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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

草深昌子を中心とする会・選後に・令和6年7月

2024年08月14日 | 俳句
草深昌子選
 

  


  一と匙をどのあたりからかき氷   山森小径
 炎天をきて、「氷」一文字の旗を見つけたときの嬉しさ、氷水を目の当たりしたワクワク感を思います。
先ずはシロップの鮮やかさ、フルーツの飾りつけのよろしさに見惚れているのではないでしょうか。
 〈日焼顔見合ひてうまし氷水  秋櫻子〉、〈匙なめて童たのしも夏氷  誓子〉、
は男性に子供にたまらない魅力のかき氷を見せますが、掲句からは女性の慎ましやかな華やぎを思いもします。

  地引網跣足に砂のこそばゆき   小径
 跣足の実感が地引網からじわりと伝わってきます。

  枝物を活けて風あり金魚玉   松井あき子
 枝物といいますとすらりと伸びた枝、ちょっと曲がった枝のよろしさが浮かびますが、
 それらを趣きよく活けますと花とは違った清々しさがあります。
 ふとした風の筋までもが見えるようです。
 さらっとした表現が、そのまま金魚玉の涼感を引き立てています。

  片蔭や単語カードを捲る人    佐藤昌緒
 俳句は一読して、いかにもそれらしき光景に納得させられることがありますが、
 私はそれよりも「へえ、そんなことあるの?」という思いがけないありよう、つまり意外性のある俳句に惹かれます。
 掲句がその例です。
 夏の暑さを歩きつつ、家並にそった片側の影を見つけますとほっとします。
 私などやれやれと息を整えるばかりですが、何と熱心にも単語カードを捲っている人がいるというのです。
 いや、熱心というよりクセのようなもので放心しているのかもしれませんが。
 いずれにしても片陰の濃さにリアリティをもたらしています。

  蜜豆を食うて免許を返しけり   小宮からす
 ナニを食べて、あるいはナニを飲んで、免許返上を思い立っても、その行動をとるに及んでもいいのですが、
 この「蜜豆」ほど何気ない契機はないのではないでしょうか。
 いや、何で蜜豆なの?と思う人の方が多いかもしれません、その理由のないところが一句の面白さです。
 これも俳句の意外性のよろしさということになります。
 たまたま蜜豆であったというだけの一句でしょう。
読者は、作者のこれを言おうという作為のないところ、直感に違いないというところに惹かれます。

  七月や新札裏の浪高き   からす
 令和6年7月3日、新札が発行されました。
ことに千円札の裏にある葛飾北斎の富嶽36景の浪の絵はすばらしいです。
「七月」は事実であるだけでなく、梅雨も明けて夏到来という月のよろしさを「新札裏の浪高き」に象徴しました。

  


    街を行く背広姿の日傘かな   石野すみれ
 「街を行く」というごく自然な導入が、「背広姿の日傘」を何ということなく日常的なものとして見せます。
 ビジネスマンをイメージしつつ、普通の情景が颯爽と感じられますのも「日傘」のおかげでしょう。
 ちなみに男子日傘が出始めたのはひと昔前になるでしょうか。近年の猛暑が拍車をかけて今や街並みに溶け込んでいます。

  合歓の花知らぬ病名告げられし   石井久美
 不調があって診てもらった結果、聞いたこともない病名であったという。
 そこには一抹の不安があったでしょう、だがしばらくして納得もされ、やがてさほどの心配も要らぬということに落ち着かれたのではないでしょうか。
 こういう場面や心の内面を「合歓の花」から察しました。合歓の花が一句の救いです。
 合歓の花は桃色もうっすらと美しいですが、ネムノハナという語感からしてすでにうっとりとするようなやさしさがあります。 
 このように自分の気持ちは季題に仮託すればいいのです。自分から色々言わなくても季題が物語ってくれるのが俳句です。

  炎天を来て大樟の木蔭かな   石堂光子
 炎天は灼けつくような、地獄のような暑さです。
 やりきれない炎天を耐えに耐えてやって来て、落ち着く先は何ともほっとするところではありませんか。
 千年、二千年も生き延びて神が宿るとまで言われるような大樟でしょうか。
 大樟という具体的な樹が表出されてこその木蔭が生きています。
 私も先日、小石川植物園の大クスノキの木蔭に入って、あちこちうろうろしないで木椅子に一時間も二時間も坐っていました。
 ここではじめて高浜虚子の言う「じっと案じ入る」という写生の態度の涼しさを実感しました。

  炎天や干してシーツの乾く音   中原初雪
 炎天に干してシーツがすぐ乾くのは当たり前です。
 一味違うのは「乾く音」と音を下五にとどめた確かさです。
 風が吹いて少しはためい音でしょうか、なんて解釈つけますと一句のツブシになります。
 一句は「炎天」という季題のカラカラ感が乾ききった音から立ち上がってくるものです。
 すべからく「俳句は季題を詠うべし」ということになります。

  畳這ふ蠅虎の眼は光り     初雪
 蠅を捕食してくれるのが蠅虎(ハエトリグモ)です。じっと狙っているのがよく分かります。


   


   袖口に来て何処かへ天道虫     奥山きよ子
   甲斐駒を飲まんばかりや雲の峰   森田ちとせ
   村ぢゆうのいま一と色の青田かな  川井さとみ
   この坂を蚯蚓ロードと名付けたり   渡邉清枝
   蜻蛉来てとんぼ去りゆく蓮の池    平野 翠
   茄子刻み入院するを決めにけり    関野瑛子
   日盛やよきこと一つ新札来      芳賀秀弥
   夏の川下山の足を浸しけり      冨沢詠司




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青草通信句会 2024年8月

2024年08月13日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼題「送り火」
 
  

     送火や手慣れてをりぬ本家の子     小宮からす
 送り火の所作を見るにつけても、さすがに本家の子だなあという感じ。こんなところにも送火の一つの情趣が通います。

  風穴に出会ふ林間学校の子   間 草蛙
 子供の頃の、自然に親しむための林間学校は懐かしいです。近年この季題に、それこそ出会いませんでしたが、一句はそのよろしさを「風穴」の一言でもって言い切りました。

     送り火や犬は離れて伏せをして   松井あき子
 人だけでなく、犬までもつつましくお見送りに加わっています。一家のしあわせ、安堵の気持ちが漂っています、「離れて」もよき味わいです。
    
  


  遠く見て墓の背ばかり鬼やんま     昌子
  津守よきこゑをもらしぬ魂送り
  筆が立ち口が堅しや生身魂
   

令和6年8月・青草通信句会講評     草深昌子

 令和6年8月の兼題は「送り火」。
 盂蘭盆会の伝統行事は地方によってさまざまですが、京都宮津の灯籠流しは約400年前から始まったそうです。一般的には迎火をもって先祖を迎え、送り火をもって彼岸へ送ります。大阪にいた子供の頃、盆の供物を舟にのせて川に流したことを覚えています。
 
  送火や母が心に幾佛        高浜虚子
  しばらくは流れに添うて魂送り   松村蒼石
  魂送りして来し母の足濡れて    山田弘子

  送り火のすずろに消えてゆきにけり 高橋淡路女
 どの句も作者ならではのもののようです。「送り火」は概念的には分かっていても、体験がないと詠えないことを実感しました。難しい季語とよくぞ向き合ってくださったことと感心いたしました。
 
 ここで俳句とはどういうものかを確認しておきましょう。
 俳句は直感で、全部を言わないで大切なところだけを言います。あとは読者の想像にお任せするのです。毎回お話していますように、俳句は自分一人では出来ません、読者に想像してもらって一句が完成するのです。従って俳句というものは自分の作品を見せて皆さんに感心させるものではないのです。人さまの作品に敬意を表することの方が先です。だがら俳句のつきあいは楽しいのです。

 要は「俳句は説明ではない」ということです。俳句は「韻文」ですから、「散文」のように意味で伝達するものではありません。文章は読めば頭にすらすらと入ってきますが、俳句は説明をしていませんから、つまり「ナニナニだから、ナニナニになりました」という因果関係がありません、なので俳句ははじめのうちは、ちょっと「分かりにくい」かもしれません。これが直感で即座に反応できるようになりますと俳句って面白いなということになってきます。色々の句会に出て、多くの俳句と接するうちに身についてきます。 
 説明を回避するために俳句には「切れ」があります。

 此の秋は何で年よる雲に鳥      松尾芭蕉
 鶏頭の十四五本もありぬべし     正岡子規
 大いなるものが過ぎ行く野分かな   高浜虚子



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青草本部句会 令和6年8月2日

2024年08月13日 | 俳句
草深昌子選  (順不同)
兼題「残暑」席題「当」
 
 

 当たり籤失せしままなる法師蝉   佐藤昌緒
 朝顔や破れながらもよみがえり   昌緒
 秋暑し蓮の葉うらの白きこと   昌緒
 川縁の屋根に日当たる残暑かな   昌緒
 天井裏何か棲みつく残暑かな  小宮からす
 立秋や子のさらさらの土踏まず   からす
 店頭に新米並ぶ残暑かな   川井
さとみ
 八月や心当たりのなき手紙   松井あき子
 向日葵の葉のちりちりと残暑かな   奥山きよ子
 弁天の半身出づる蓮の池   きよ子
 秋海棠活けて子宝観世音   きよ子
 夏痩せの犬を抱き行く残暑かな   河野きなこ
 花二つ蘇鉄にありし残暑かな   二村結季
 田の風に遅れ溝萩そよぎけり   結季
 悪疫に禁足の日の冷奴   間 草蛙
 
 
 


 暗がりは瑠璃の色して猛暑なる   昌子
 石敷を行けば石段盆が来る
 孑孑の何もあらぬにつき当たり
 生ビール当たり外れのなかりけり
 雨樋に土用雀のひと並び
 界隈のそよりともせぬ残暑かな



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