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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

WEP俳句通信123号(令和3年8月発行)に掲載されました 草深昌子

2021年10月26日 | 俳句

     

その一部を掲載いたします。

超結社句会/新12番勝負にゲストとして

「栞」同人の 小川美知子さん、「青草」主宰の 草深昌子

「春燈」同人の 鈴木直允さん、「天頂」主宰の波戸岡旭さん

ホストは、星野高士さん、藤本美和子さん。

以下、一部抜粋

 

  沿線は雨降りつづく茂りかな   小・旭

 「茂り」が効いていますよね。雨の茂りだから翠が濃くて、それが沿線だからまっすぐになっている。

未知子 句のリズムが好きで、「……つづく」と「茂り」の余白に風景が見えてくる気がして、「茂り」が美しいと思いました。

直允 梅雨どきではなくて夏の雨。「茂り」をまた促すような雨が降っている。句の中に生命力がある句だなと思いました。

 そこまで深読みはしたくない(笑い)。

高士 そこまではね。わたしは当たり前かなと思っちゃたけど。「茂り」に見所がある。

昌子 波戸岡さんの仰せの通りだなと。

美和子 地味だけど、いいんではないかと思います。採らなかったのは「沿線」という言葉がなじまなかったので、採れなかったんです。

高士 どなた?

昌子 昌子です。

高士 つぎは、(中略)

   暑き日や蝶の向うに墓見えて   小・旭

高士 小川さんと波戸岡さんが採っています。お二人は選があいますね。喜んでいいんだか分からないけど(笑い)。

 実景なんでしょうね。「蝶」に目がいっていて、フッと気がついたら向こうに墓があったという。暑いときは目先に目がいきますからね。広がりが無理なく出ていますよね。欲張ったことは何も言っていませんが。

美知子 初心のころにこういう句を作ると「蝶」の生命力と「墓」を対比させている、という聞いた聞いたりしたんです。でも、いまはあまりそういうことは考えない方がいいんだろうなと思っています。実景でそこに「暑き日」を持ってきて俳句になったんだと思います。

昌子 わたしも虚子の系統で学んでますので、実景で捉えました。

直允 分かりそうで分からないといいましょうか。生きている「蝶」と死者が収まっていう「墓場」。そこがただ暑い、ということに私は詩を感じる事が出来なかった。

美知子 景は分かるんですが、「暑き日」にわざわざ「蝶」を出してきたところに、惹かれませんでしたね。

 「炎天や」より「暑き日や」の方がいいですね。

高士 悪い句ではないと思った。どなたですか?

昌子 昌子。墓は九品仏です。

高士 私は毎月いっていますよ。それから、 (後略)

 

 

  

ふつつりと小説終はる夜の蟻    小川美知子

夏服や明るい空に月が出て

後ろ手をゆつくりほどく雲の峰

白鷺の四辺に雨の降つてをり

昼顔の吹かれてをりぬちぎれさう

 

沿線は雨降りつづく茂りかな      草深昌子

暑き日や蝶の向こうに墓見えて

四つ角やその角角の大夏木

土用芽をあまさず吹いて大樹かな

舟虫や古い映画をみるやうに

 

コロナワクチン打つたる後の氷菓かな  鈴木直允

火蛾あふのけ覆ひ被さる山の闇

初蝉の森の奥より水の音

青栗やあをぞらながら零す雨

出来たての土竜の山や半夏生

 

夏芝居骨寄せといふ見処の       波戸岡旭

鮎つかむ手の甲までもうすみどり

花茣蓙のよく冷えてゐる死者の席

買ひ込んできて満腹の冷蔵庫

数学に虚数の遊び蟻地獄

 

日焼けして仲見世裏に紛れけり      星野高士

禅寺に閉門はなし初蛍

靴底の厚みそこそこ滝しぶき

山寺の団扇に表裏のなく

さくらんぼ喜怒哀楽の楽あたり

 

盆栽は五葉松なり夕端居         藤本美和子

汗ひくや水琴窟の音の中

風の道まづは蜥蜴が顔を見せ

床の間の小暗きに慣れ竹夫人

晴れぎはの声の増えくる夏燕

 

(WEP俳句通信123号所収)

 

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「浮野」令和3年10月号・現代俳句展望   太田かほり

2021年10月11日 | 俳句

 現代俳句展望         太田かほり

 

    

 

  相撲部屋三つまでよぎる着ぶくれて      草深昌子

  着ぶくれて道あれば行く楽しさよ

 

  芋嵐雲の形の変はりけり           二村結季

  わが畑へ誰か来てゐる野分あと

 

「青草」2021年春季号より

  一句目。

  看板が掛かっていたか、長い布が干されていたか。相撲部屋が三つともなると興奮しただろう。

  こんな所もあるものだと偶然に迷い込んだ土地柄に興味が湧く。といってそれ以上の行動はしなかっただろう。

  この句の面白さは自分が着膨れていると描写した点にある。力士の大きな体躯との類似性という解釈ではない。

  上五中七の描写と下五とのかかわりはあるといえばあるようだがないといえばなく、むしろ後者としたい。

  冬でも裸で稽古に励む力士には着膨れは無縁だろう。

  つまり相撲部屋にも相撲にも縁のない自分が肉体の原型を隠す風体で

  鋼の肉体を誇る力士たちの町を歩いているという微妙な可笑しさを詠んだのだ。

  二句目。

  ウオーキングやジョギングはノルマや目的を達成する楽しみがあるが、

  何となく道があるので行き、そのこと自体が楽しいと感じている。

  こんな人っていいな、道連れになりたいな。

  そう思わせるのだからこの句は成功、季語が人物証明書のように働いている。

  三句目。

  芋の葉の形は何とも面白い。

  伸びた茎の天辺に馬面のような葉を広げ、雨滴などが溜れば右に左に首を傾げて踊り出す。

大振りな葉は強風に吹かれると一枚の田んぼごと大揺れに揺れる。台風の頃かもしれない。

  「変はりけり」に変化の兆しを認めたか、余波は収まらないが雲行きから嵐の通過を確認したのだ。

  四句目。

  台風の通過を待って一番に田畑を見回るのだが、自分より先にもう人が来ている。

  もちろん顔見知り、被害が大きいこともあれば免れることもあり、良きにつけ悪しきにつけ、情報を交換し合う。

  句がもたらす最小の情報から地域で育まれているヒューマンな雰囲気が引き出されている。

  ふと、後ろ手に歩く宮沢賢治のシルエットが浮かんできた。

 

(令和3年10月号「浮野」所収)

 

 

 

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2021年10月 青草通信句会

2021年10月11日 | 俳句

草深昌子選 

兼題「稲」         

       

     

      雨降りの芝神明の秋灯           奥山きよ子

 芝明神といえば生姜市がなつかしいです。〈降りだして出直すことに生姜市 汀子〉がありますように、祭の期間が長いので「だらだら祭」ともいいます。そんな祭礼のある芝明神の秋の灯です。灯の色が雨にけぶっているのでしょうか、しばし思いを馳せました。何も言わない一句のよろしさ。  

   霊園を一列にゆく秋日和           きよ子

 霊園での法要でしょうか、秋の穏やかな日差しの中を静々と歩まれているのでしょう。私は吟行地として谷中や青山の霊園へよく参ります。ゆかりのない墓石を見ながら、文豪の墓に手を合わせたりするのも霊園の秋日和にかなっているものです。                                                

 

 干稲の束の真ん中まだ青し            日下しょう子

 さりげなく詠われていますが、その発見は大いに納得させられます。なるほどそういうものかと気付かされます。

     秋気澄む仙人草の蔓幾重           しょう子

 仙人草は季語として定着していませんが晩夏から秋に白い花を咲かせます。仙人という語意から世間離れしたイメージをもたらすからでしょうか、澄明なる秋の空気感が感じられます。                                         

 

  次の田へ藁焼くけぶり鳥渡る             二村結季

 秋には北方から多くの鳥が渡ってきます。ひろびろとある上空の下には、収穫の済んだ田で藁を燃やしています。「次の田へ」という煙の動きが「鳥渡る」によく呼応しています。      

 

   側溝の目皿より出づゑのこぐさ       黒田珠水

 側溝の目皿、おやっこんなところにという目の付け所が頼もしいです。ゑのころぐさに存在感があります。 〈側溝の目皿を出づるゑのこぐさ〉 

   

   稲の穂や粟と稗とに背を抜かれ               珠水

 たしかに稲作に有害なる粟や稗は稲より高く成長します、「稲」では常識的な詠い方が多い中、面白いところに目を付けられました、意外性がすばらしい。〈稲の穂や粟また稗に背を抜かれ〉 

   

     富士の背に畳込まるる秋夕焼         松尾まつを

 「畳込まるる」を一句の中にこのように詠いあげられた作者独自の感覚の冴えを思います。勇壮なる富士が目立ち過ぎず、少し淋しくもある秋夕焼の光景をよく表現しています。   

                                             

    橅楓橡七竃空真澄                    川井さとみ

 漢字ばかり、それもかなり重厚なるものが重なります。そんな中で下五に「空真澄」と抑えられますと、やっぱり一句そのものが彩色をもって澄んできます。あまり凝った感じがしないところも爽やかです。  

 

       稲の香の鴨居に並ぶ遺影かな             山森小径

 よく見かける景で、俳句にも多々類想がありますが、一行に書きおろして「かな」で止めて、表現がよく出来ています。 

                                                   

        稲の秋鷺の頭は見へ隠れ            田中朝子

 中七下五が面白いです。〈稲の秋鷺の頭の見え隠れ〉〈稲の穂や鷺の頭の見え隠れ〉もありかと。                                                

                                 

       稲を扱く父子黙々の両手かな              川北廣子

 「父子黙々の」というあたり、もう少し噛み砕いて表現できぬものかとはじめは思いましが、二度三度読んでみますと「フシモクモクノ」は扱いでいるリズムになっていて、「リョウテカナ」まで読み下しますと、まことガッテンの出来栄えです。観察眼があります。                                           

                

                                  

                    

                        

      稲の穂やはるかに見ゆる磯馴松     草深昌子

  秋晴の空に鳴く鳥なかりけり

  野晒しの臼また杵や柿熟るる          

 

 

令和3年10月青草通信句会・選後に     草深昌子

 稲は縄文時代の末期には日本にもたらされたとされるもので、今も日本に欠かせぬ作物です。豊かに稔った稲穂の黄金色は全国津々浦々に見渡せて、何とも懐かしい光景です。

 「稲」の傍題にはさまざまありますが、別仕立ての季題としての、「豊年」、「新藁」、「藁塚」、「新米」なども詠いたいものです。また「稲雀」、「案山子」、「鳴子」、「鳥威」、「添水」など稲作関連の季語も多々あります。

 私は厚木に越して来てはじめて、四季を通して田んぼの風景に触れることになりましが、耕すこともない身には、なかなか満足に詠いあげることが出来ません。

 

  北へ行く列車短し稲の花     山本洋子

  空へゆく階段のなし稲の花    田中裕明

  稲稔りゆつくり曇る山の国    広瀬直人

  案山子翁あちこち見や芋嵐    阿波野青畝

  稲刈つて鳥入れかはる甲斐の国  福田甲子雄

  新米に月満ちてゐる大和かな   大峯あきら

  新米といふよろこびのかすかなり 飯田龍太

  豊年や日和の尉と風の姥     綾部仁喜

 

 左記は、爽波句集『湯呑』のタイトルになった一句です。

  掛稲のすぐそこにある湯呑かな  波多野爽波

 掛稲と湯呑の距離の関係について、意見がわかれて、俳壇でちょっと問題になったように覚えています。湯呑が掛稲の下に転がっている、置いてあるという鑑賞があったのです。

 湯呑の存在は何処にあるのでしょうか。私は縁側に、あるいは掛稲が近くに見える外のどこか、そのどちらにあってもよいのですが、要は湯呑を通して、遠からず「すぐそこにある」掛稲のありように、日差しの温もりを覚えたものでした。

 最近知ったことですが、昔は農家の庭が広くて、その庭にも稲が掛けてあったそうですね。そうするとこの湯呑は語らいの場の縁側にあるもののようです。

 かにかくに俳句は、そこに「もの」が「ある」ことを認めますと、それで十分「存在の詩」となります。

 

  

                                       

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寄贈書誌より(令和3年9月)    草深昌子抄出

2021年10月10日 | 俳句

『吾が愛誦句と娘の世界 散りながら』(一色伽文)

水彩画・ペン画・銅版画は一色千枝子。

  あとがき―

 2016年の3月、その五年前の東北大震災を忘れまいと、娘が〈わたしの銅版画・父の愛誦句、そして明日へと〉という本を出した。

 そして、五年後、今度は僕が電子辞書の形で〈吾が愛誦句と娘の世界、散りながら〉を出すことになった。

 句の大半は俳句年鑑・全国結社誌の動向5年分から戴いた。

 

                       

 

「青草」誌からは以下の作品が掲載されている。

   かちわりや快音またも空を抜け     松尾まつを

   知らぬ子に手を握らるる花火の夜    佐藤健成

   ねころんで瀬の音聞くや鮎の宿     柴田博祥

   水仙やキリストのごと兄の病み     鈴木一父

   山と海あらば空ある新酒かな      草深昌子

 

 

 

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青草本部句会 令和3年10月8日(金)

2021年10月09日 | 俳句

草深昌子選     (順不同)

兼題「刈田」 席題「実」

 

    

 

 十月や立体となる案内状         松井あき子

 伽羅木に赤き小さき実をかぞふ       伊藤欣次

 牧場ゆ一路夕波の芒原             欣次

 あてもなく外に出て暮るる刈田かな       欣次

 潔く腹に庖丁鮭捌く          長谷川美知江

 ゆっくりと落ち穂を食めよ雀どち     河野きなこ

 縄文の血の濃き人の胡桃かな         きなこ

 山鳩の刈田で遊ぶ番かな          鈴木一父

 鳶凧一休みする刈田かな            一父

 刈小田や轍の跡の黒々と            一父

 青天はひとつ色なり冷やかに         間草蛙

 贅沢は一人忙しき柚子仕事         湯川桂香

 草庵と印す門あり時鳥草            桂香

 

   

 

 色変へぬ松を正座に見てゐたり       草深昌子

 おもしろや風にぼけの実くわりんの実

 鐘楼と枯山水と蟷螂と

 墓あれば蚊のくる水の澄みにけり

 木の実降る文庫の裏を下りけり

 稲刈って町の灯遠くなりにけり

 

 

 

   

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