草深昌子選 (順不同)
兼題「日傘」

梅雨晴の朝の空行く烏かな 間 草蛙
別段変わった鳥でなく「烏」であるところに穏やかな梅雨晴の気分が出ています。また「朝」という時の爽やかさが効いています。
あやす子のつかもうとする日傘かな 川井さとみ
日傘でこのような場面を詠いあげるのはなかなか面白いです。日傘のゆらゆらと自由奔放の手が見えます。
線香の煙をあとに日傘かな さとみ
墓参りで線香を供えたのでしょう。亡き人に思いを寄せているような余韻がよき日傘に漂っています。
墓参りで線香を供えたのでしょう。亡き人に思いを寄せているような余韻がよき日傘に漂っています。
パラソルを開くやアクアリウム出て 奥山きよ子
アクアリウムは水族館でいいのではないかと一瞬思いましたが、事実アクアリウムで詠われたのでしょう。その軽い語感がパラソルをお洒落に見せています。
冷酒や有線で聞く藤圭子 中澤翔風
一世を風靡した藤圭子、ハスキーボイスがたまらない、それも有線で。光陰矢の如しを思う冷酒でしょうか。
ジーパンの男手ぶらの日傘かな 冨沢詠司
どこにでもいそうなラフな男。ヤツにして日傘とは、釣り合うような釣り合わないようなよろしさ。
パラソルの泡立つやうなフリルかな 小宮からす
フリル付のパラソルですが、この句は中七でもって太陽光線が見えるようで、単なる報告を抜けています。

流鏑馬のありし道ゆく日傘かな 松井あき子
八幡宮の流鏑馬でしょうか、その儀式の尊さや馬の疾走への思いが日傘の内にこもっていることでしょう。
羽抜鶏下校の子等に抱かれをり 伊藤 波
羽抜鶏という蔑まされるような見劣り感はここにはありません。しばしの安らぎに癒されます。「下校の子」がキーポイントです。
木天蓼の花や古道の途切れたり 森田ちとせ
木天蓼の花は吉野も奥の渓谷でよく見かけましたが、この句も古道の途切れたところです。そういう情趣のある花ということになりましょうか。
ハーモニカ吹いて卒寿や夏の空 芳賀秀弥
九十歳にして力強いハーモニカです。その音色のよろしさは夏空が保証しています。
絶景にたたむ日傘や渡月橋 二村結季
一句を読み下ろす調べが、まさに絶景、すっきりしています。下五の渡月橋にきて、また反復したくなるような響きが、よき日傘を思わせるに充分です。
立ち話日傘一つがくるくると 中原初雪
立ち話の日傘は他にもありましたが、この句は下五の「くるくると」という描写があって、何気に楽しい様子がうかがわれます。
出航を桟橋に待つ日傘かな 石堂光子
同じ着想の句がありましたが、この句がいちばん的確でシンプルです。ワクワク感のある日射しが思われます。

伊吹山横に見てゆく白日傘 草深昌子
風に散る雨を軒端の団扇かな
鶺鴒の水をはなれぬ朝ぐもり
令和5年7月・青草通信句会講評 草深昌子
七月の兼題は「日傘」。
「日傘」と言えば、フランスの画家モネの描いた「日傘をさす女性」が思い浮かびます。又、小倉遊亀の描いた「径」、その小径を行く母と子の日傘も好きです。まこと日傘は絵になる季題のようです。
草山をまた一人越す日傘かな 渡辺水巴
水巴は花鳥画の大家渡辺省亭(せいてい)の長男です。「草山をまた一人越す」は、水巴ならではの動的な捉えかたですが、私はやはり、モネの絵に重ね合わせてその風景を広げたくなります。
降りしきる松葉に日傘かざしけり 星野立子
大峯先生と伊勢の海女の地へ旅しました折、どこのお寺でありましたか、境内の大木の松から落葉が音もなくはらはらと降りかかってきました。句友はみな日傘をさしておられ、思わず立子の一句が口を衝いて出ました。全く、眼前の光景の通りであったのです。
俳句は出合いがしらを、そのまんま詠いあげる、作為のないのが一番だと気付かされたことで、印象深いものです。
ただ、「松落葉」(散松葉)も夏の季題ですので、主題は五分五分というところでしょうか。
墓に来て日傘の太く巻かれけり 岸本尚毅
第一句集『鶏頭』所収。以下は岩田由美氏の鑑賞です。
―暑い折の墓参りだ。強い日差しの中を墓にたどりつき、一通りのことをするためにまず日傘をたたむ。折り畳んでくるくると巻かれた日傘の、その太さに眼を留めた。雨傘と違って、麻や木綿でできた日傘はたたむと以外と太くなるものだ。それに気づいたのが墓であったことも句に情趣を添える。せわしなく流れていく日常生活をふと離れた場所で、周りにあまり大勢の人がいることもないだろう。そんなとき普段は意識されないような些細なことが目に留まるものだ。―
この鑑賞の「雨傘と違って」に、はっとします。まさに日傘らしい在りようの発見、日傘そのものの描写になっています。
俳句が好きで、吟行が好きで、自然のさまざまに触れることが何より楽しい、このような姿勢で俳句を学んでいきたいものです。











