草深昌子選 (順不同 )
兼題「薔薇」
ばらの香や鉄平石の壁模様 二村結季
薔薇の花々は、鉄平石の織り成す落ち着きのある壁を背景にそこはかとなく香ります。鉄平石は天然のものにして、テッペイセキという語感の響きも、その字面の堅さ冷たさも、薔薇の美しを静かにも引き立たせてます。
画眉鳥のこゑの降りくる穂麦かな 石堂光子
画眉鳥は美しくも大きな声でこれでもかというほどに鳴き続けます。人の世の憂さをはねのけるような音色を私は好みますが、人によってはうるさいとか。そんな画眉鳥はどこで鳴いてもいいのですが、「穂麦」が決まっています。黄金に熟した麦の穂もまた揺れて応えているでしょう。
竹秋の奥より黒き蝶の翅 奥山きよ子
万象すっかり春になって芽吹の頃、竹はだんだん黄ばんできます。そんな竹藪を行きますと奥の方から何かやってきました。黒揚羽だと認識するまえに、見えた順に、「黒」「蝶」「翅」と言ったところ、飛んでいるものの描写がリアルです。竹も蝶も、さまざまに生きている命を思います。
白薔薇やかめむし二匹潜り込む 竹内あや
かめむしなんてびっくり。でも、かめむしだって薔薇に魅了されてやまないのです。俳句で様々の花を詠う場合、その色を特定しない方が成功率高いですが、この薔薇の白はリアルです。俳句は初めから終わりまで、じっくりと物を見ることが第一義だと、あらためて教えられます。
薔薇咲いて向かうの丘は家の建つ 昌子
蟻どちの杖におどろくそのそぶり
陋屋や一と間灯して春は逝く

令和7年5月・青草通信句会講評 草深昌子
令和7年5月の兼題は「薔薇」
洋風バラが庶民に愛され広まっていったのは明治中期ごろからだそうです。そういえば、蕪村の〈愁ひつつ岡にのぼれば花いばら〉は山野に自生している野薔薇でした。
ビール苦く葡萄酒渋し薔薇の花 正岡子規
明治25年の作です。ビールやワインなど洋酒もまだ一般的でない頃のことでしょうか。この感覚を洋風の「薔薇の花」にとどめ得る進取の意気には唸るしかありません。近代短詩の礎を築いた子規はさすがにモダンであったようです。
夕風や白薔薇の花皆動く 子規
椅子を置くや薔薇(そうび)に膝の触るる処
薔薇の画のかきさしてある画室哉
薔薇を剪る鋏刀の音や五月晴
絶叫せんばかりの痛み、命旦夕に迫るというような重病人子規にあって、その俳句はいきいきと生きています。もとより境涯を思うとどこかしら切なくなってくる句もありますが、それはそのまま輝かしき生命力を描写しているのだと気付かされます。
俳句に「写生論」を唱えた子規は絵が好きで、「病牀六尺」の世界にあって、果実や草花を写生し続けました。そしてこう述べています。
○草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造化の秘密が段々分かって来るような気がする。
○或る絵具と或る絵具とを合せて草花を画く、それでもまだ思ふやうな色が出ないとまた他の絵具をなすってみる。同じ赤い色でも少しづつ色の違ひで趣が違ってくる。いろいろに工夫してすこしくすんだ赤とか、少し黄味色を帯びた赤とかいふものを出すのが写生の一つの楽しみである。神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんで居るのであろうか。
子規はもう本当に神がかっています。「造化」というのは宇宙、自然のことです。造化の秘密が分かった等と大それたことは言いません、「分かって来るような気がする」と、まことに謙虚です。子規の言葉をかみ砕いて感じますと、目の前の些事の一つ一つが、それこそだんだん雄大にまた深遠につながっていくのだというような気がします。
「俳句」もこの通りです。絵における絵具は、俳句における「言葉」です、一字一音の大切さです。絵も俳句もなかなか思うようには仕上がりませんが、それこそが「写生の一つの楽しみ」と言われますと深くうなずくほかありません。