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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

「俳壇」2025年6月号・俳壇ワイド作品集   草深昌子

2025年05月25日 | 俳句
      
                         

 春禽   草深昌子 「青草」主宰

 蟇穴を出づるメガフオン転がつて
 春泥の団地のバスの着くところ
 きれ破れて彼岸の布団干されあり 
 浜風の吹き来る春の涼しさよ
 春禽の枝をたがへて対き合へる
 花冷の花屋はみどり美しく 
    囀のどの松の木も老いにけり 


   私の作句信条

 季節の移り変わりの中で、さまざまの花鳥に巡り合います。
 自然は力強く元気です。
 思わず一句をもって「不思議と思われませんか」と問いかけたくなります。
 これからも出会いの喜びを、いっそう生き生きと詠いあげていきたいものです。




   簡単な俳歴
1943年 大阪市生まれ
1977年 飯田龍太主宰「雲母」入会
その後、原裕主宰「鹿火屋」同人を経て、
2000年 大峯あきら代表「晨」同人
2017年 「青草」創刊・主宰
句集に 『青葡萄』 『邂逅』 『金剛』







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草深昌子を中心とする句会・選後に・令和7年4月

2025年05月15日 | 俳句
 草深昌子選
        


  前後ろおぼつかなきや春の服    東小薗まさ一
 「春服」と言いますと、気分はいっぺんに春らしくなります。
そう、若々しくも軽やかな、おしゃれな女性を思い浮かべてしまうのです。
そんな明るいイメージが、おっとどっこい、一転しそうになった句です。
何と、前なのか後ろなのか、はっきりしない服であることよっていうのですから。
ああ、そうか、これは嘆きにあらずして、今どきのハイセンスの前後不明のデザインに戸惑っているのかもしれない。
 思わず楽しくなって、文句なく◎。
 「まさ一!」句会で名告りを聞いて二度ビックリ、眉目うるわしきお方さまではなく、堂々たる御老体さま、まさ一さまである。
 聞けば、どっちが前だか後ろだかが分からなくなって、着るのに手間取ったというのです。
 本当のことを言っただけです、という作者。それだからこそ読者は自由に想像を広げさせてもらえたのです。
 俳句ってやっぱり面白いです。

  天守閣見えて菖蒲の根分けかな   奥山きよ子
 「青草」春の吟行会は小田原城界隈でした。
 お濠をゆき、いくつもの城門を出たり入ったり、あるいは海岸まで足を延ばしたり、方々に逍遥して去りゆく春をたっぷり惜しんだのでした。
 そんな中で、地道なる「根分け」に出会ったとは、これまたビックリ。
 菖蒲の萌えだした芽を分けて植え直していたというのです。
 「天守閣見えて」、この見届けが見事です。
 やがて菖蒲はさぞかし鮮やかな花を咲かせることでしょう、
 立ち姿の美しい花菖蒲がはるか天守閣の距離感をもって、早々と目に見えてくるようです。

 吟行は下見をしないで一発勝負の出会いがいいと思います。
 ただし、事前に、この季節、この場所ならと思いを巡らして、いくつかの季題を予測して書き留めておくのがいいでしょう。
 波多野爽波門下の「季題を待ち受ける」という態度を私も見習っています。
 それでも私にとっての吟行の醍醐味はやっぱり予想外の出会いです。

  取つときの皿や艶めく黒めばる   きよ子
 「黒めばる」という季題もまたなかなかのものです。
 早春の魚で名の通り、目が大きい。
 そりゃあ、取っときの皿でなくてはと思わせる、目張は目張でも「黒」は高級なのです。 
 俳句に修飾語は要らない、というもののこの句の「艶めく」は実感でしょう。
 昔はよく、釣り好きの彼にくっついて旅をしました。
 ことに加太港で、朝もまだ暗いうちから舟を出して、宿の褞袍を着こんだまま(当時はダウン などなかった)目張を釣ったこと等なつかしく思い出されます。
 何より目張の煮つけにビールは美味しかったのです。

  山鳥や天守石垣苔むして   黒田珠水
 この「天守石垣苔むして」も、紛うことなく小田原城下の句でしょう。
いたるところに歴史的城垣があって、分厚くも苔むすさまは見るほどに深い歳月がしのばれたものです。
 作者はその感銘を、つべこべ言いません、ただ一言、「山鳥」なる季題に代弁させたのです。
 山鳥といいますと、たちまち〈あしびきの山鳥の尾のしだりおのながながし夜をひとりかもねむ〉が浮かびあがってきますが、
 この歌とは別にしても、ただただ尾が長い、もうそれだけで、山鳥以下のフレーズをいきいきと引き立てています。
 「鶯や」ではもたないでしょう、「山」の一字も重厚に効いているように思われます。


      


  海風の轟くほどや竹の秋   大村清和
 春になってもの皆が芽吹きはじめ青々と色づくころになって、
 竹の古葉はすっかり黄色くなっていきます。これが「竹の秋」です。
 吟行のこの日、作者は城下町を抜けて、御幸の浜へ出られたのでしょう。
 伊豆半島や三浦も見渡せるようなよきスポットです。
 でもこの海の風は大風であったようです。
 大きな音に響きわたるというのが「轟く」ですが、轟くと言い切ってはいささか強すぎます、
そこで、「轟くほどや」という中七の措辞はさすがに巧いです。
このよろしきリズム感は竹の秋に及んで、はるかの竹藪をゆっさりと傾がせるような趣をもたらします。 
 この句は季題が決まるまで、じっくり時をかけられたのではないでしょうか、
 よく心がこもっています。

  植込みに絡んでゐるや花通草   石堂光子
〈鳥飛んでそこに通草のありにけり〉という虚子の句がありますが、この通草は甘くて美味しい秋の味覚です。
ところで通草の花は四月ごろ咲くのですが、その葉に紛れてうっかり見過ごしてしまいそうな花です。
 私も先日、鎌倉の切通しでやっと手の届くところの花を引き寄せて見ましたが、
雌花と雄花が房のようにかたまって、濃くも薄くも紫が可憐で見飽きない花でした。
 そんな花を作者は「植込みに絡んでゐるや」、ただそれだけのことに見届けたのです。
 そのありのままが通草の花のありようをよく伝えています。
 このように詠いあげたからこそ、通草の花、その命がここに存在しているのです。

  新橋の新入社員機関車前   中原初雪
 JR新橋駅にはいつ行っても大きな機関車がデンと居座っています。
 サラリーマンの聖地として、かの機関車は輝き続けているように思います。
 大手町とはまたちょっと違った新橋のビジネスオフイス群は、鉄道発祥の地とてしての誇りとともに親しみ深いものがただよっています。
 この独特の場所に「新入社員」の季題をすっとはめ込みました。
 堅牢にも、この上なき祝福がこもっています。
 新社員は、いよいよ着実に凛々しく前進されていくことでしょう。

  初蝶やまづは小庭をひとまはり   関野瑛子
 初蝶を我が庭で見つけた喜びがひそやかにもたっぷり詠いあげられています。
 大きいお庭であっても「小庭」と言ったところで初蝶の初々しさが目に見えるようです。
 「まづは」も「ひとまはり」も、ようこそ初蝶さんというやさしさのぬくもりが伝わってきます。

  前をゆくうすももいろの春日傘   田中朝子
 この句も「前をゆく」のよろしさ、「うすももいろの」よろしさ、
 どの一語一句もさりげなく気持ちのいい仕上がりになっています。
 夏の日傘とは一線を画した、春の日傘ならではのおもむきが詠われているのです。
 作者の心惹かれたさまがそのまま読者のものになっていきます。

  桜貝ささやくやうな母の歌   松井あき子
 何という明るくもやさしい母の歌でありましょうか。
 「ささやくやうな」その微妙な感覚のうるわしさがたまりません。
 かの桜色した桜貝のなつかしさ美しさは、
 譬えていうなら「ささやくやうな母の歌」だと言えましょう。
 そして静かに耳をすましていますと、「ささやくやうな母の歌」を譬えていうなら「桜貝」だと言えましょう。
 桜貝の「さ音」が、ささやく「さ音」を引き寄せてやみません。

               
                           


   地下鉄の二番出口や新茶の香    石野すみれ
   亀の鳴く砂丘を風の吹きわたる    佐藤昌緒
   老いてなほ俳句は夢よ竹の秋     葉山 蛍
   あやしくも小糠雨かな花衣      柴田博祥
   湖に落つる夕日や蜆汁        村岡穂高
   桜散る手裏剣道場屋根低し      平野 翠
   天守閣左廻りに春惜しむ       冨沢詠司
   行春やいづれも小さき城の窓    森田ちとせ
   藤の花くぐればインド料理店     高橋 麦
   伸びやかや川原育ちの諸葛菜     木下野風
   浜を行く一本下駄や桜貝      漆谷たから
   亀鳴くや鉄幹の碑の一碧湖      二村結季






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青草通信句会 2025年5月

2025年05月12日 | 俳句
草深昌子選 (順不同 )
兼題「薔薇」 

        

  ばらの香や鉄平石の壁模様      二村結季
 薔薇の花々は、鉄平石の織り成す落ち着きのある壁を背景にそこはかとなく香ります。鉄平石は天然のものにして、テッペイセキという語感の響きも、その字面の堅さ冷たさも、薔薇の美しを静かにも引き立たせてます。

  画眉鳥のこゑの降りくる穂麦かな   石堂光子
 画眉鳥は美しくも大きな声でこれでもかというほどに鳴き続けます。人の世の憂さをはねのけるような音色を私は好みますが、人によってはうるさいとか。そんな画眉鳥はどこで鳴いてもいいのですが、「穂麦」が決まっています。黄金に熟した麦の穂もまた揺れて応えているでしょう。

   竹秋の奥より黒き蝶の翅   奥山きよ子
 万象すっかり春になって芽吹の頃、竹はだんだん黄ばんできます。そんな竹藪を行きますと奥の方から何かやってきました。黒揚羽だと認識するまえに、見えた順に、「黒」「蝶」「翅」と言ったところ、飛んでいるものの描写がリアルです。竹も蝶も、さまざまに生きている命を思います。

  白薔薇やかめむし二匹潜り込む   竹内あや
 かめむしなんてびっくり。でも、かめむしだって薔薇に魅了されてやまないのです。俳句で様々の花を詠う場合、その色を特定しない方が成功率高いですが、この薔薇の白はリアルです。俳句は初めから終わりまで、じっくりと物を見ることが第一義だと、あらためて教えられます。


         


        薔薇咲いて向かうの丘は家の建つ             昌子
        蟻どちの杖におどろくそのそぶり
        陋屋や一と間灯して春は逝く


        

                         

令和7年5月・青草通信句会講評  草深昌子

 令和7年5月の兼題は「薔薇」
洋風バラが庶民に愛され広まっていったのは明治中期ごろからだそうです。そういえば、蕪村の〈愁ひつつ岡にのぼれば花いばら〉は山野に自生している野薔薇でした。
  ビール苦く葡萄酒渋し薔薇の花  正岡子規
明治25年の作です。ビールやワインなど洋酒もまだ一般的でない頃のことでしょうか。この感覚を洋風の「薔薇の花」にとどめ得る進取の意気には唸るしかありません。近代短詩の礎を築いた子規はさすがにモダンであったようです。
  夕風や白薔薇の花皆動く         子規
  椅子を置くや薔薇(そうび)に膝の触るる処       
  薔薇の画のかきさしてある画室哉
  薔薇を剪る鋏刀の音や五月晴

 絶叫せんばかりの痛み、命旦夕に迫るというような重病人子規にあって、その俳句はいきいきと生きています。もとより境涯を思うとどこかしら切なくなってくる句もありますが、それはそのまま輝かしき生命力を描写しているのだと気付かされます。
俳句に「写生論」を唱えた子規は絵が好きで、「病牀六尺」の世界にあって、果実や草花を写生し続けました。そしてこう述べています。
 ○草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造化の秘密が段々分かって来るような気がする。
 ○或る絵具と或る絵具とを合せて草花を画く、それでもまだ思ふやうな色が出ないとまた他の絵具をなすってみる。同じ赤い色でも少しづつ色の違ひで趣が違ってくる。いろいろに工夫してすこしくすんだ赤とか、少し黄味色を帯びた赤とかいふものを出すのが写生の一つの楽しみである。神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんで居るのであろうか。 
  
 子規はもう本当に神がかっています。「造化」というのは宇宙、自然のことです。造化の秘密が分かった等と大それたことは言いません、「分かって来るような気がする」と、まことに謙虚です。子規の言葉をかみ砕いて感じますと、目の前の些事の一つ一つが、それこそだんだん雄大にまた深遠につながっていくのだというような気がします。
 「俳句」もこの通りです。絵における絵具は、俳句における「言葉」です、一字一音の大切さです。絵も俳句もなかなか思うようには仕上がりませんが、それこそが「写生の一つの楽しみ」と言われますと深くうなずくほかありません。



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青草本部句会 令和7年5月2日(金)

2025年05月11日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼題「立夏」席題「生」

    


 生温き水道水や夏来る     河野きなこ
 雲白く行くや五月の蠅生まる   佐藤昌緒
 辣韭の薄皮浮きぬ洗い桶    小宮からす
 江の島のぐつと近づく立夏かな  山森小径


   


 蜻蛉生る藪に大きな風の音      昌子   
 紐引けばあはれ鈴鳴る蟻地獄
 昭和の日積乱雲をめぐらしぬ
 木の洞のへりは茸の蟻の道
 生き生きと鶏冠はあれど羽抜鶏

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