草深昌子選 (順不同)
兼題「熊手」

今朝冬の結納の品受くるかな 二村結季
おめでとうございます。立冬ならではの心の引き締まり、結納を交わされた品々が目出度くも金ぴかに光っています。
作者にとって真実の立冬に共鳴します。
一斗缶に火の粉爆ぜるや熊手市 奥山きよ子
一斗缶の大きさ重さ、そこに爆ぜる火の粉の明るさ熱さ、いよいよ熊手市が賑ひます。このフレーズから人々の行き交うさまも浮かび上がります。
買主の名札太字や大熊手 冨沢詠司
そう、バッチリ書いてあります、太字を見届けたところに作者の描写の眼が光っています。私など下々には縁のない大熊手のようです。
おめでとうございます。立冬ならではの心の引き締まり、結納を交わされた品々が目出度くも金ぴかに光っています。
作者にとって真実の立冬に共鳴します。
一斗缶に火の粉爆ぜるや熊手市 奥山きよ子
一斗缶の大きさ重さ、そこに爆ぜる火の粉の明るさ熱さ、いよいよ熊手市が賑ひます。このフレーズから人々の行き交うさまも浮かび上がります。
買主の名札太字や大熊手 冨沢詠司
そう、バッチリ書いてあります、太字を見届けたところに作者の描写の眼が光っています。私など下々には縁のない大熊手のようです。
色変へぬ松の構へや出入り口 詠司
門被りの松でしょうか、中七の「松の構へや」という堂々たる言い方がいかにも縁起のよい松を見せます。「出入り口」なる場所の表現も、人々のよき暮らしを思わせます。
酒樽の菰に挿したる小熊手 松尾まつを
さすがの発見の一句です。菰樽という祝賀のイメージになお熊手の繁昌が加わってよき光景です。酒の味わいもひとしおでしょう。 「酒樽の菰に挿したる熊手かな」
大熊手買ふや地元の旦那衆 まつを
私も昔、緑が丘の八百安の旦那さんが一番の大熊手を掲げられたのを覚えています。やっぱり、さすがと、嬉しくなるものです。句跨りにして切れのあるところ巧いです。
晩秋の浮きたる富士や黒黒と 渡邉清枝
「晩秋の富士や浮きたる黒々と」でしょうか。「晩秋の」でいったん大きく切って読みます。「富士や浮きたる」と続きます。「黒々と」静かにも実感がこもります。もう冬がそこまでという晩秋の大景です。
門被りの松でしょうか、中七の「松の構へや」という堂々たる言い方がいかにも縁起のよい松を見せます。「出入り口」なる場所の表現も、人々のよき暮らしを思わせます。
酒樽の菰に挿したる小熊手 松尾まつを
さすがの発見の一句です。菰樽という祝賀のイメージになお熊手の繁昌が加わってよき光景です。酒の味わいもひとしおでしょう。 「酒樽の菰に挿したる熊手かな」
大熊手買ふや地元の旦那衆 まつを
私も昔、緑が丘の八百安の旦那さんが一番の大熊手を掲げられたのを覚えています。やっぱり、さすがと、嬉しくなるものです。句跨りにして切れのあるところ巧いです。
晩秋の浮きたる富士や黒黒と 渡邉清枝
「晩秋の富士や浮きたる黒々と」でしょうか。「晩秋の」でいったん大きく切って読みます。「富士や浮きたる」と続きます。「黒々と」静かにも実感がこもります。もう冬がそこまでという晩秋の大景です。

おかめともわれとも笑まふ熊手かな 昌子
妻が手に持たせて熊手大きこと
薔薇咲いて鷗の飛んで時雨かな
令和6年11月・青草通信句会講評 草深昌子
令和6年11月の兼題は「熊手」。
初学時代は、歳時記に掲載の行事という行事はすかさず出向きました。そこで酉の市といえば浅草の鷲神社と決めこんで毎年通いました。縁起物の熊手を売る店がぎっしり立ち並び、まさに立錐の余地もありません。人波にもまれながら句帖を持って折々書きつけるものですから、「何を調べてるんだい?」と店主に睨まれたり、叱られたり、今はなつかしい思い出です。
俳諧の慾の飽くなき熊手買ふ 富安風生
この句の通り、佳句を掻きこみたい一心で、ささやかな熊手を買ったものです。熊手の売買が決まると、必ず両者でシャンシャンシャンと手締めをして祝いますが、どんな小さな熊手でも大きな熊手と変わらない手締めをいただけたことは嬉しかったです。
「熊手」は今では、多くの歳時記で「酉の市」の傍題になっていますが、句会の席題で「酉の市」が出ましたら、「熊手」「一の酉」「二の酉」「三の酉」等で詠いあげるのは当然のことです。
ただ、「傍題」の中には、メインの季題のバリエーションとして、こんな詠い方もありますよというものも出ています。「木の葉」ですと、木の葉の降ることを雨の音と聞きなして「木の葉の雨」、「木の葉時雨」などというものです。初心の方は実感もなくただカッコよさにひかれて、借りものの傍題で詠うことが多いのは残念です。
「芭蕉忌」がやってきます。高濱虚子の歳時記には、「時雨の持つ閑寂、幽玄、枯淡の趣きはそのまま移せば芭蕉の心の姿である。恰も時雨月のことで、芭蕉の忌を時雨忌ともいふ」とあります。「時雨忌」や「翁忌」は芭蕉忌の別称というものでしょう。
湖の寒さを知りぬ翁の忌 高浜虚子
時雨忌の人居る窓のあかりかな 前田普羅
二句は芭蕉忌を詠っていますが、翁の忌と時雨忌は置き換えることはできません。俳句はたった17音ですから、どの一字一音も大きな役割を負っています、何となく使うということはあり得ません。
さて、「言いおおせて何かある」という芭蕉のことばがあります。
「言い切ってしまったら、どうなるものか。どうなるものでもない」というのです。言い切ってしまったら何も残りません、言い尽くさないことで、逆に無限の世界が広がってくるというのです。つまり、読者に想像力をはたらかせてもらうことが大切です。










