草深昌子選 (順不同)
兼題「蜩」

かなかなや天袋から声のする 小宮からす
実際に何らかの用で天袋に上がった人の声がしたのか、それとも、蜩の声そのものがあたかも天袋から下りてきたようだというのでしょうか。私は後者に解しましたが、どちらでも結構です。何れにしても「天袋」が文字通り意表を突いています。
実際に何らかの用で天袋に上がった人の声がしたのか、それとも、蜩の声そのものがあたかも天袋から下りてきたようだというのでしょうか。私は後者に解しましたが、どちらでも結構です。何れにしても「天袋」が文字通り意表を突いています。
鱧食うてついと異人の立ち去りぬ 二村結季
鱧は関西人には欠かせぬ夏のご馳走です。はてさて異人さんのお口に合ったのでしょうか。「ついと」がウマイです、きっと満足されたのではないでしょうか。
蜩や西武球場芝生席 結季
一読、こんなところで聞いてみたいと思いました。やはり「芝生」の魅力でしょう。用言がなく簡単明瞭が素敵です。
一読、こんなところで聞いてみたいと思いました。やはり「芝生」の魅力でしょう。用言がなく簡単明瞭が素敵です。
かなぶんや足掻きて羽を半開き 渡邉清枝
虫が苦手の私にも、この観察眼によって、かなぶんに少し親しめそうです、ここから又飛ぶのでしょうか。 〈俳人にかなぶんぶんがぶんとくる 兜太〉
虫が苦手の私にも、この観察眼によって、かなぶんに少し親しめそうです、ここから又飛ぶのでしょうか。 〈俳人にかなぶんぶんがぶんとくる 兜太〉
八月や真正面に望の月 奥山きよ子
一日か二日か、夏満月はまさに皓皓として、確かに真正面でした。夏の月としないで「八月や」という主題の転換には、独得の感慨があります。
蜩の馬坂尽きるところかな きよ子
馬坂という固有名詞の字面のよろしさが聞き覚えのある蜩の音色を聞かせます。馬坂峠かもしれませんが、「峠」としないで中七の表現が巧いです。
馬坂という固有名詞の字面のよろしさが聞き覚えのある蜩の音色を聞かせます。馬坂峠かもしれませんが、「峠」としないで中七の表現が巧いです。
炎天を咲き継ぐ薔薇でありにけり 石堂光子
炎天にもめげずに、野性の生命力を見せる薔薇の花にうたれています。断定的に言い切ったところに、作者の感銘が打ち出されました。
蜩やそろそろ仕舞ふキャンプ場 小宮からす
賑やかだったキャンプ場にも時の移りが寄せています。「そろそろ」に、蜩の声をしみじみ聞かせます。
映画館出て夕暮は残暑かな 田中朝子
実感があります。句跨りの表現もさることながら、「夕暮」という素朴な措辞が効いています。
実感があります。句跨りの表現もさることながら、「夕暮」という素朴な措辞が効いています。

ふと指に触れてねばるや土用の芽 草深昌子
遠目にも鵯の口開く暑さかな
ゆるやかにくだりゆくかなかなかなかな
令和5年8月・青草通信句会講評 草深昌子
8月の兼題は「蜩」。
書に倦むや蜩鳴いて飯遅し 正岡子規
遠目にも鵯の口開く暑さかな
ゆるやかにくだりゆくかなかなかなかな
令和5年8月・青草通信句会講評 草深昌子
8月の兼題は「蜩」。
書に倦むや蜩鳴いて飯遅し 正岡子規
蜩や几(つくえ)を圧す椎の影 〃
明治三十年作、子規三十歳。すでに脊髄カリエスを病んで、腰痛激しく杖にすがって漸く立っていた頃の句です。
一句目は、書物に飽きて、さっきから蜩が鳴き続けています、さて飯はまだかという面白い句です。二句目は、机に椎の木の夕影がかぶさってくる感じが黒々と感じられます。 それにしても「圧す」とは言えません、子規ならではの心象が籠っているようです。
どちらの句にも、蜩の声が美しくも切なく沁み入っています。
子規が死の前年から死の直前までを書き綴った『仰臥漫録』には、俳句や水彩画に交えて、日々の食欲の旺盛ぶりも克明に記されています。この健啖こそが子規が病人にあらずして巨人であったことの証のような気がします。
俳句は上手に作ろう、作ろうとしますとうまくいきません。ふと我を忘れたときに向うから言葉がやってくるのを体験されていることでしょう。それは日頃から沢山作って沢山の失敗を繰り返しているからこそのご褒美かもしれません。「青草」の句会が始まる前の席題でも、思いがけぬ佳句が生まれています。席題で詠うときも空想で作っているわけでなく、過去の体験なども寄せ集めて、自分をそこに置いて作っています、つまり写生しているのです。
俳句は韻文ですから、散文のように意味でつないで筋を通すものではありません。一読して、何となく面白いというのが俳句です、俳句は作る時も選句の時も直感的に反応するものです。従って、俳句は分かる人には分かりますが、分からない人には分かりません。 読者に分かってもらおうと思わないことです。
また俳句は切字が大事です。切字は説明したい自分の気持ちを断ち切ります。切字でもって相手の関心を対象の方へ引き込むのです。どうしても説明したい人は切字が使えません。
切字によって俳句の背骨が通ります。
蜩の一本道を来りけり 大峯あきら











