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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

俳句総合誌『俳壇』令和3年12月号

2021年12月22日 | 俳句
  

特別企画 
昭和・平成・令和の歳末

  日記買ふ      草深昌子
 
 私の小学一年の冬休みの日記には「にわとりがたまごをうみました」、「こうじぶた(麹蓋)をあらいました」等とたどたどしく記している。
 戦後もまだ数年の頃であったが歳末は楽しくてならなかった。 
 働きものの祖母や母がことにいそいそと張り切っているのが子供心にも嬉しくて、料理や晴着の仕度など、どんな買物にもついてまわった。

  手鞠麩を買ふや時雨のはなやぎに   昌子

 やがて経済の高度成長期に入ると、来年はもっとよくなるだろうという熱気に溢れていった。
 結婚して子供を育てる日々にあって、一年の結末はきちんとけじめをつけて新しい年を迎えたものである。
 平成は一転してデフレ、総じて低成長となって、年が変わっても何も変わらないという無気力な風潮であっただろうか。
 それでも我が家は重詰など縁起物の用意には気合をかけたように覚えている。

  煤掃いてパンもご飯も餅も食ふ    昌子
 
 夫の歳晩の働きは大きかった。
 私は煤逃と称して吟行をよくさせてもらったからである。
 たまには「パン如何?」、「おにぎり如何?」とねぎらった、終にはまだ年も明けぬうちから「お餅も如何?」ということに相成って笑いあった。
 一年に一度の積もりに積もった塵の清算は幸せの実感を噛みしめるひとときであったのだった、今はなつかしいばかり。 

 令和は気儘な歳晩となってしまったが、ただ一つ変わらぬものは「日記買ふ」であろうか。
 二000年十二月三十一日にはこう書いてある。
 ――指揮者朝比奈隆は「我々の仕事は一種の芸事で、理論や方法よりも年数なんですね。
 片岡仁左衛門さんだって名優と言われたのは七十歳ぐらいからですよ、先生、芸は七十からでんな、そうでっしゃろ、と言ってましたよ、私も一回でも多く舞台に立ちたい」と。
 ここには二十世紀とか二十一世紀という区切りはない。
 昨日に続く今日、今日に続く明日を素直に悠々と生きてゆきたい。――

  我が生は淋しからずや日記買ふ    虚子


  (総合俳句誌「俳壇」・令和3年12月号所収)




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角川『俳句年鑑』2022年版

2021年12月14日 | 俳句
  
   

年代別2021年の収穫   「70代女性」
 
揺るがないものを持つ     押野 裕
                  「澤」/昭和42年生

  社会や自然や家族、そして自分自身との向き合い方それぞれだが、世の中がどのように変 わろうとも、
  変わらない句風を築き上げた、というのが句を拝見した印象である。
  その文体、詠み方も含め、いずれの作家にも自己の立脚点を確かにした安定感がある。
  俳人の平均年齢の世代というだけではない、今の俳壇の中心の句がここにあると思った。

      草深昌子(昭和18年生/青草・晨)  

   こゑにでていなむらがさきあたたかき        「青草」8号 
   空に虫垂らして五月来たりけり           「青草」10号
   涼しさの縁の下など覗きけり            「晨」220号

  地名を音でとらえた表記にも暖かさが表れる。
      五月の清々しい印象とはやや異なる命の躍動。
  涼しさを視覚でとらえるかのような三句目も句の構成に工夫がある。 

 諸家自選5句
        草深昌子(青草・晨)

   初場所や初日いきなり肩透かし
   水涸れて日向のなんとあたたかな
   とびきりの友は子規なる土筆かな
   子規や今つくつくぼーしつくぼーし
   十薬に松の聳ゆる避暑の宿
            
  
☆「全国結社・俳誌――1年の動向」
   誌名  青 草  
   主宰  草深昌子   

 ★平成二九年二月、草深昌子が創刊。師系飯田龍太・原裕・大峯あきら。自然と共に生き、季節を感受する歓び。 
 ★令和三年は新春句会はじめ様々の計画の中止を余儀なくされたが、青草通信句会、青草ネット句会は意気盛んに続行された。

   空に虫垂らして五月来たりけり  草深昌子
   空港の展望デッキ小春かな   松尾まつを
   三反の畑は穀雨の黒さかな    間 草蛙
   残月や綿虫ひとつ手に留めて  河野きなこ
   秋の日の大講堂に一人ゐる    佐藤健成
   日輪や元朝の身をうち曝し    佐藤昌緒
   ごみ置場千両ほどの小判草    中原初雪
   わが畑へ誰か来てゐる野分あと  二村結季
   重箱の筍飯のまだ温き     松井あき子

(角川「俳句年鑑」2022年版・令和3年12月7日発行・所収)

     


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青草本部句会 令和3年12月10日(金)

2021年12月14日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼題「日記買ふ」
席題「縄」

   


総代の音頭に倣ひ縄を綯ふ       川井さとみ
誕生日ストーブの火のたつぷりと    さとみ
反り返るストーブ列車の鯣かな     さとみ
焼き鳥は手羽先からと名古屋人     長谷川美知江
冬の日の揺らぐ湯の中白き足      松井あき子
手を合わせ開いたほどの日記買ふ    泉いづ
頼りなきもの押し合うてびわの花    いづ
入口に泥つき葱は立ててあり      芳賀秀弥
冬空や啼き声高く鷺の行く       河野きなこ
日記買ふまづ書き込んで初句会     湯川桂香

    

雪来るよ来るよと縄に跳ねてをり    昌子
歳晩や縄もて地べた打ちに打ち
縄とびの上手のこの子内弁慶
手に取れば撓ふ日記を買ひにけり
悴むやいまうらごゑのハワイアン
寒禽をとどめて時計塔正午






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青草通信句会 2121年12月

2021年12月14日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼題「木枯」
              

  木枯や人は黙って前のめり       冨沢詠司
 木の葉を吹き散らし枯木にしてしまう「木枯」ですが、そんな風には人もまた自ずからこの句のように身構えます。

  カーテンで仕切る病室今朝の冬   山森小径
 大部屋の入院状況を上五中七で明瞭に言い切りました。そこで立冬という季節の折り目を迎えました。私は私なりに頑張るぞとひそかなる覚悟をしたのです。

  木枯や富士くつきりと美しく    渡邉清枝
「富士くっきりと美しく」は木枯のなせる技以外の何ものでもありません。大自然のありようを受け止める富士のゆるがぬ姿です。

   湘南の海の匂ひのおでんかな    清枝
 中七はややキザかなと思わないではありません。それでもこのおでんのよろしさに惹かれます。垢抜けした「湘南」の効果でしょう。


  木枯しに夕餉の菜を増やしけり   湯川桂香
 暮らしに引き付けた木枯です。風邪をひかないように滋養のある総菜をあれこれ考えて作っています。

  落葉搔く音は二拍子上機嫌     松井あき子
 上五中七で言いたいことは言いましたので、下五はなくてもよさそうですが、「上機嫌」と念を押さずにはおれません。それだけ落葉の季節を慈しんでいるのです。前向きの句です。

  凩や家鴨は小屋の隅にをり      木下野風
 よく見届けられました。さすがに家鴨も寒いのかなと思わせるところが巧いです。「や」「をり」も気になりません。



  凩の抜けて明るき鳶尾山        東小薗まさ一
 何気ない一句の、凩の表情に魅了されます。固有名詞ですが「鳶」の一字が明るさを具体的にして見せるのです。

  木枯らしの夜に下車するひとりかな  泉 いづ
 こういう自然状況にある、その人の心にふっと寄り添ってみたくなりました。

  凩の吹き抜けし道清清と       神﨑ひで子
 そもそも木枯とはこういうものなんですけど、飾り気のない素直な表出に惹かれます。

   
  海べりに干して蒲団のひらひらす  昌子
  凩や幹の鋼に食ひ込んで
  道々に見上ぐる崖の冬日かな

  

令和3年12月青草通信句会・選後に
                       草深昌子


  凩や目刺に残る海の色   芥川龍之介(大正六年)

 目刺は大衆魚ですが、なかなかに乙なる味わいのものでしょう。吹きすさぶ木枯の中にあって、目刺の目には、まだ真っ青な海の輝きの色がありありと在るというのです。
 〈凩の果はありけり海の音 池西言水〉という句があります、これの本歌取りのような〈海に出て木枯帰るところなし 山口誓子〉もあります。どれも木枯と海の関係性です。

 さて、「残る」という措辞ですが、前にあったものが残っていますという、説明せんばかりの「残る」を使わないように、いつも句会では注意しております。この句の「残る」はそんな残るではなくて、海に生きていた、その鰯の「目刺に今在る」色として、句の中で鮮やかにその色を見せているものです。作者ならでは色彩に対する鋭敏なる感覚が光ります。

 芥川龍之介は小説家ですが、俳人としても傑出していました。高浜虚子門です。ちなみに手許にある岩波文庫『芥川竜之介俳句集』(加藤郁乎編)から好きな句の少しを引きます。

  青蛙おのれもペンキぬりたてか
  木枯や東京の日のありどころ
  秋風や人なき道の草の丈
  元日や手を洗ひ居る夕心
  夏葱にかそけき土の乾きかな
  初秋の蝗つかめば柔かき
  蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな

 「切れ」が明快で、調べのよさに余情がつのります。ことに、
「元日」の一句ほど、心にしみる句はありません。 
先ごろ発刊されました岸本尚毅著『文豪と俳句』(集英社新書)
には、幸田露伴、尾崎紅葉、泉鏡花、森鴎外、宮沢賢治等と共に、〈芥川龍之介〉の章―違いの分かる男、としてくわしく紹介されています。俳句の読み方が学べるものです。
 
 何回も言いますが、俳句は詠み方(作り方)を学びますが、それ以上に、俳句の鑑賞を学んで、読み方(選句・鑑賞の仕方)がわかりますと、いよいよ面白くなってきます。






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草深昌子を中心とする句会・選後に 令和3年11月             

2021年12月12日 | 俳句
草深昌子選

  
 

  冬囲ふ手足のしばしおぼつかな   伊藤欣次
 冬囲というのは即ち「雪囲」で、風雪の強い地ならではの家を守るべき設えであって、旅先ではよく見かけたものの、実地に体験者として詠いあげるというのはお手上げである。
 而して、欣次さんの一句にはなるほどこういうものかといたく納得させられた。
 それというのも「冬囲ふ」という、じわりとした入り方がよかったのだろう。
 やがて本腰を入れて、頼もしい柵囲いを仕上げられたことであろう。
 同じ作者に、 
       針桐の目立つや村の冬構         欣次
「冬構」、これまた雪害から家を守るための風除けや雪囲いの意であるが、この一句はそういうもろもろを総括したところに、ある種の冬の風物をあますところなく言い切っている。
 「針桐」という、針を含んだ語意、さらにハリギリという語感があって、この木のありようをよく知らない私にして、一読、これは凄い、こういう村の精悍たるありようがあるものだろうかと感嘆したものである。
 辞書にあたると「針桐」はウコギ科の落葉高木、枝は太く鋭い棘が多い、葉柄は非常に長いとか、根皮は去痰薬になるとか。
 そんな知識はともかく、要は「針桐」でもっている一句である。
今更に、俳句は最小の窓からかくも最大の光景が荘厳できるものだということを知らされるものである。

       縄跳や世田谷線の通る町      中原初雪
 「縄跳」のその場に読者をすっと運んでくれる句である。
 元気よく仲良く冬の寒さもものかはと縄跳を楽しんでいる。そこは世田谷線が通る町だというのである。
   世田谷線という固有名詞からは先ず三軒茶屋という名称が浮かぶ、そして歴史がありながらも、なかなかに瀟洒なものではなかろうかと思う、いやそれは世田谷線をよく知らない私の印象で、全く違うという鑑賞もあろう、そこを読者任せにしたのが一句のミソである。
 要は庶民の暮らしの身近に電車が走っている、そのような場所の縄跳のありようがいきいきと弾んであることだけは確かではないだろうか。

       マラソンの足を止めたる冬の蝶   平野翠
  冬の蝶は弱弱しいと言われるが、果たしてそうであろうか。
 先日鎌倉のお寺でみた黄色い冬の蝶はひらひらひらひらと菊から菊へ至って元気であった。だが一匹であった。
   この句も一匹ではなかろうか。
堤を走っていたマラソンランナーは思わず蝶々に目を落とし、足をも止めたというのである。
 冬と言う厳しい季節の感覚が、自ら蝶々の命へのやさしい思いやりにつながっていることに気付かされるものである。
 
 


      初冬や展望台にまた登り        鈴木一父
 何故に「展望台にまた登る」のだろうか。展望台だから見晴るかすものがあるに決まっている、
どんな景が見えるのであろうか、そう思わせるところが何ともすばらしいところである。
 想像するだけで楽しい、つまりは「初冬」が一等効いているのである。
 小春日和を含め、初冬のよき日和であろう、初冬の遠くまで澄み切った大気が透き通って見える句である。

       部屋ごとに名のある豚舎枇杷の花  川井さとみ
 先月の厚木市せせらぎの小道の吟行の折の一句。
 歩きだすとすぐに豚舎があった。その一つ一つの小屋に何らかの名前がついていたことに作者の興はそそられた。
 それはそのまま豚への愛情があるからであろう。
 その傍らには枇杷の大木があって高空に花をいっぱい咲かせていた。
 蛇足だが、偶然私もその景に惹かれて〈枇杷の花咲くや豚舎に近々と 昌子〉と等と作っていた。
 豚舎と枇杷の花の取合せは妙に合うものだと納得させられたものである。

       ソバージュの詩人に会うて一葉忌   奥山きよ子
 樋口一葉の生涯を知る人にとっては、この「ソバージュの詩人」ほどそぐわない措辞はないであろう。
 まさに、そこのところが一葉忌の句として抽ん出ているのだと思う。
 作者の胸中には明らかに一葉が蘇ったのである。
 ソバージュの詩人もまた作者にとって興味津々に惹かれる詩人であるに違いない。

       マスクして冬田の道の長きこと    佐藤健成
 「マスク」は冬の乾燥した寒気を防ぐ、あるいは感冒を防ぐ目的があって「冬」の季語である。
 ところがこの数年、マスクはコロナウイルス感染予防対策の必需品となってしまった。冬に限らず、一年365日使用している。
    従って、コロナ禍を詠う「マスク」の句は多い。
この句も、冬田という広々とした空間にあっても、マスクを外さずに歩かれたことによる「長きこと」なる嘆息であるかもしれない。
    でも、私は素直に、作者は風邪気味であろうか、
寒々しい冬田を歩いていくのに何とまあエンエンと道は続くよという感慨に耽っているものと読みたい。
  つまりマスクに嫌味がなく、冬田の空気感を清潔に感じさせるもとして生きていることに感心するものである。

   しやつきりともってのほかや一人膳    関野瑛子
「もってのほか」は食用菊の名前、つまり「菊膾」のことである。
山形県特産の紫がかったピンクの菊を茹でて三杯酢であえたもの、そのシャキッとした歯触りの味わいは格別。
「もってのほか」は、思っていたよりずっとおいしいと思わせるような名称であるが、
とんでもない、きわめて不届きというような本来の言葉の意味合いを一瞬にもうっすらとひきゆくところにおかしみがあって、
「一人膳」の印象を濃くしている。
「しゃきりと」もまた、プロの腕前を持つ料理好きの瑛子さんならでは背筋の美しさを思わせて、まこと垂涎の一句である。

  小春日や道の向かうの嚏聞き     加藤かづ乃
 小春日は冬に入っても穏やかな日より続く頃のことである。
 つまり春に似ながら冬の気候なのであるから、嚏の一つも出るわけである。
 ちなみに「嚏」は冬の季題でもあるが、この句では「小春日」が明らかに主題である。
 道の向うからハクションが大きく聞こえたのだろう、その一瞬の心の揺らぎ、面白いといっては嚏の主に失礼かもしれないが、同じ人間としてふっと笑えるような感じ。
 そういう心理もまた小春日和のものなのである。

  枯蟷螂芋蔓に尾の絡みつき        かづ乃
 枯蟷螂の描写に作者のこころがこもっている。


  温く温くと蒲団にもぐり夢うつつ    松尾まつを
 蒲団の温もりが、一読じかに伝わってきて、誰しもが共鳴するものではないだろうか。
 この温もりのおかげで、うつらうつらもまた楽しく、冬の寒い朝を起き上がれないのである。
「蒲団」ってものはそういうものなのよ、そう言ってしまえばオシマイである。
だが、そういうもんだよってところが、こう詠われてみてはじめて実感できるのではないだろうか。
理屈を並べた句より、素直な句の方がはるかに上等である。
 「ぬくぬくと」は「温温と」であり、一句は平仮名でもいいかもしれない。
但し、漢字の方がストレートに温みを感じるので、今は作者の表記を重んじている。

   

  里山は時雨れて雑木黄葉かな     石原虹子
 俳句は一息に読み流したいものである。
 どこかに引っ掛かって、読みにくいものはそれだけでもう興がそがれる。
 この句は、575の切れをメリハリとして感じつつも17音となる一句の響きを清々しく奏でている。。
 読後にもう一度読みたくなって、今度は雑木黄葉の美しい味わいをしみじみと反芻するのである。
 俳句は意味より韻律であることを感じていただきたい一句である。

  それぞれに落つる面ある枯葉かな   小宮からす
 「面」という席題に、句会3回目にして詠われた、からすさんの感受性。
 枯葉のみならず人間もまた、お一人お一人多彩なる面をお持ちであることを再確認させていただいた。
 俳句は心して、いよいよ真剣に楽しみたいと願ったものである。

  缶コーヒー飲み干す肩に熊手かな     日下しょう子
 「缶」という席題の一句。しょう子さんはいつも格別の物を見る目があって、類想を作らない。
 缶から「熊手」が出てきたことも出色。
 大いなる熊手をゲットして、心意気も上々の男性であろうか。
 「熊手」の本情がしっかり詠いあげられている。


  裸木に一つ蛹のあらはなり        松井あき子
  鳴き交はす鴉隣家の花梨の実       二村結季
  落葉踏み流るる落葉見てゐたり      古舘千世
  木枯の校門に立つ教師かな        中澤翔風
  凩や背ナにリュックの暖かき       湯川桂香
  看護師の冷たき指になすらるる      泉 いづ
  コスモスの茎の幹めく荒地かな      河野きなこ
  自販機の声をあげたる冬の夜       石本りょうこ
  ラジコンの音の響ける冬野かな      石野すみれ
  けらけらと笑ひ上戸や柿紅葉       末澤みわ
  小春日や橋の向かうのレストラン     市川わこ



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