草深昌子選 (順不同)
兼題「凧」
雨粒の木々に鈴なり庭朧 加藤かづ乃
雨粒が鈴なり、という捉え方情景が見えます。そこで庭朧も語感がやさしく美しいです。
連凧のいちじゆうひやくと放たれり 間 草蛙
中七の表現が、なかなかの量感をもって迫ってきます。「放たれり」も行き届いています。
十の旧仮名は(ジフ)ですが、ここはこれでもいいでしょう。
蝶飛んで堤は風のなかりけり 草蛙
引き伸ばした表現ですが、その分、蝶々の飛びようがやさしくもあたたかに見えてきます。いつか句会で申しましたように、土手と堤は同じ場所を指しますが、「ドテ」と「ツツミ」では語感が違います。この句では堤の措辞が一句の品性になっています。
大空を武者も逆さま凧が揺れ 芳賀秀弥
上十二を言い切って、念押しのように「凧が揺れ」は実態を目の当たりに見せます。凧が揺れて逆さまになりましたという手順では単なる報告になりますから、語順が大事です。
大凧の風を待つ間やポップコーン 伊藤 波
ウマイもんですね。ポップコーンという軽さの明るさがよく効いています。映画を見るように大凧を待つ空が見えてきます。中七の切れが素晴らしい。
大凧や掛け声風に乗り来たる 奥山きよ子
「大凧や」と上五で切って、一息入れて、風に乗って来る声は喜びが感じられます、情景を広げて見せます。
凧抱へ土手駆けおりる親子かな 松井あき子
空を飛ぶ凧ばかりでなく「凧抱へ」という視点にびっくりしました。実景に実感があります。
親の顔凧いつぱいに描きにける 小宮からす
これも常識的は奴凧でなく、手描きという、意外性のある凧にびっくりしました。「凧いつばいに」喜びの勢いが伝わってきます。
凧作る指に竹ひご撓りけり からす
手作りの凧を詠われたところびっくりです。籤(ひご)で作るなんて、「指に」には難しい技のリアリティがあります。「凧」は早春の空のイメージそのものですが、「凧作る」も独自の楽しみとしてあっていいでしょう。
大凧を見上げてゐるやいぬふぐり 平野 翠
大凧を詠うのに、距離感を持って、足元の犬ふぐりを配合しました。咲いているところで見上げているというのですが、同時に犬ふぐりが見上げているかのように、細かな犬ふぐりが効いています。
凧揚げや泣く子を背負ひ走りだす 竹内あや
凧揚げの必死が面白くも切なく伝わってきます。上五もいいですが、下五「走りけり」でなく「走りだす」も臨場感があります。
大凧や二度目の風を待つ河原 さとみ
さっきのような凧が上がるに十分の風が欲しいところ、「二度目の風」が巧いです。
いつの間に凧揚がらなくなりしかな 昌子
大き日のぐるりに雲やいかのぼり
鼻と呼ぶこの半島や春大根
令和6年4月・青草通信句会講評 草深昌子
令和6年4月の兼題は「凧」。
凧きのふの空のありどころ 与謝蕪村
今、見上げた空に浮かんでいる凧は、昨日の空に浮かんでいたのとおなじところにあります、と言っているだけのようでありますが、凧のありようはもとより、時間や空間のありようまでも誰の眼にもわかるように言いとどめています。凧を通して、空漠たる空の春らしい質感があり、悠久のさまも感じさせられます。
俳句は、「今」「ここに」「私が見ました」、という一瞬の感動を通して、宇宙のはるけさまでをも表出することができるようです。
大いなる春日の翼垂れてあり 鈴木花蓑
川底に蝌蚪の大国ありにけり 村上鬼城
春潮の彼処に怒り此処に笑む 松本たかし
花を見し面を闇に打たせけり 前田普羅
風吹いて蝶々迅く飛びにけり 高野素十
近づけば大きな木瓜の花となる 星野立子
くちづけの動かぬ男女おぼろ月 池内友次郎
都踊はヨーイヤサほゝゑまし 京極杞陽
「ホトトギス雑詠選集」(春の部)から、季題の核心をつくような発見のある句を上げました。これらの句は驚くと同時に、ふっと笑うところもあります。季語に対する感受性の深さを思います。
青草俳句会におきましても、選句の大切さを縷々申し上げてきました。これは何故かと言いますと、選句力と作句力はほぼ一致するからです。初心のうちから良い選句はできません。初心の方は、初心の方の俳句を選びます。まだ俳句にはなっていない、散文の切れはしのようなものです。つまり説明や報告になっていて、常識的にわかるという575なのです。さまざまの句会に出て、修練を積むうちに次第に主宰や先輩の選句が理解できるようになります。
選句力がありますのは、作句力があるという証拠です。多くの句会に出て、よき句に出会うこと、よき句を選び採る力をつけること、これが俳句上達の何よりの秘訣です。