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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

角川『俳句年鑑』2025年版  俳句界の一年を俯瞰する

2024年12月18日 | 俳句
 角川『俳句年鑑』2025年版
   「全国結社・俳誌―一年の動向」

          

   誌名  青 草 (あおくさ) 
   主宰 草深昌子  同人会長 柴田博祥   編集長 佐藤健成
  ★平成二九年二月、草深昌子が創刊。師系・大峯あきら。
   自然と共に生き、季節の移り変りを感受する、命のよろこび。 [年二回刊]

  ★令和六年二月青草新春句会を厚木レンブラントホテルで開催。
   「大峯あきらを読む会」、吟行、通信句会、ネット句会を活発に展開。

   青草の雨のきれいにあがりけり  草深昌子
   炎天を来て大楠の木蔭かな    石堂光子
   蚕豆の畝長々とありにけり   川井さとみ 
   つつじ咲き満ちて連休始まりぬ  佐藤健成
   六月の川に溶けたる夕日かな   佐藤昌緒
   平穏な旅の知覧の新茶かな    柴田博祥
   あぢさゐや揺すつて軽き貯金箱  二村結季
   枝物を活けて風あり金魚玉   松井あき子
   里山に迫る夕闇山法師     松尾まつを




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青草通信句会 2024年12月

2024年12月11日 | 俳句
草深昌子選
兼題「嚔」
 
       


        飛び乗りの満員電車大嚔      神﨑ひで子
    嚏に大を付ける句が多かったですが、唯一この場面の大嚏には納得します、リアリティー満点です。
 なんたって飛び乗りですから、一瞬に空気が変わりました。

       手術後の恐る恐るの嚔かな    小宮からす
 はてさてどんな嚏が出るのでしょうか。「恐る恐るの」、表現が見事です。まさか嚏で手術の縫い目が弾けるわけはないのですが、読者の体験を呼び覚まします。

       むずむずと彷徨ひ歩く嚏かな    渡邉清枝
 こちらの嚏は老年でしょうか。出そうで出ない嚏をいっとき抱へ持って歩きます。それを大袈裟に表現したところが巧いです。嚏の視点がユニークです。

       讃美歌の楽譜手にして嚏かな    松井あき子
 大抵の嚏はあまりいただけないものとして詠われますが、この一句の嚏は何とも清らかです。    「楽譜手にして」、臨場感そのもの、嚏にも品性があります。

    毛衣や若き女の脚長し    神﨑ひで子
 毛衣は今やおしゃれ着ですが、この一句からは本来の獣の毛皮をなめして作ったであろう野性味がにおいたちます。皮ジャンパーから伸びた若き脚がなまなましいのです。

       


  くつさめの鴨の浮寝を醒ましけり    昌子
  銀紙の紐を垂らせる枯木かな
  島見えて紀伊国屋てふ枯木宿



                           

令和6年12月・青草通信句会講評   草深昌子

 令和6年12月の兼題は「嚏」。
 歳時記において季題は、「時候」「天文」「地理」「生活」「行事」「動物」「植物」などに分類されますが、この「生活」の中に、「嚏」「湯ざめ」「風邪」「咳」「水洟」「悴む」「胼」「皸」等、寒がりには切実なるつらさの冬の日々が続出します。
  つづけさまに嚏して威儀くづれけり  虚子
  湯ざめして或夜の妻の美しく     花蓑
  風邪を引くいのちありしと思ふかな  夜半

  咳の子のなぞなぞあそびきりもなや  汀女 
  水洟や鼻の先だけ暮れ残る      龍之介
  心中に火の玉を抱き悴めり      鷹女
  胼の娘の頬すこやかにほてりけり   麦南
  あかぎれの手のきらめくは和紙の村  水尾   

 どの句もおもしろい、つらいどころか明るみがさしてきます。
 これらの俳句の捉え方に学べば、厳冬も乗り越えられそうです。

 さて、俳句は、本部句会でお話していますように、季語と季語以外の部分をどう構築するかが肝心のところです。
  桐一葉日当たりながら落ちにけり   虚子
 季題そのものを写生した一物仕立、一元的な句です。
  菊の香や奈良には古き仏たち     芭蕉

 上五と十二音に意味のつながりはありません。一句として季題が一つの世界を広げて、深みのあるものになっています。

 さらに、季題を考えますと、季題には形のあるものとないものがあります。形のない季題を「虚」としますと、これにまた形のない気持ちを述べますと俳句は虚しくなります。「虚」には「実」を付けます。
  秋風や模様のちがふ皿二つ     原石鼎
形のない「秋風」を、形のある「物」で詠いあげています。
 
 また、生活の匂いの薄い季題には生活をつけて、生活の匂いの濃い季題には天然自然を付けるなど、「生活と自然」、「自然と人生」のバランスをよくとることも俳句の楽しみではないでしょうか。
  顔の皴しづかに深し冬紅葉     原 コウ子
  南に海の展けし七日粥       原 裕








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青草本部句会 令和6年12月6日

2024年12月11日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼題「湯豆腐」 席題「裏」
 
      


御殿場は高所なりけり冬の靄  小宮からす
太鼓橋渡れぬ仔犬冬ぬくし  松井あき子
建長寺からす天狗に紅葉降る  東小薗まさ一
宝くじ売り場の列のちやんちやんこ   二村結季    
湯豆腐や疎水の音の径を来て   奥山きよ子
揺れながら紙切る人や冬羽織   小宮からす
湯豆腐を吹けばあなたも吹いてをり  佐藤昌緒  
湯豆腐や底の昆布の真四角な   小宮からす
手のひらに乗せてみたきや冬雀   川井さとみ 
裏道のコーヒーショップ朴落葉   山森小径
足袋裏の白々前座引つ込めり   小宮からす
湯豆腐や遠く雨戸の閉める音   柴田博祥          
裏窓に男女の影やもがり笛   山森小径         
甕棺の継目の数多冬ざるる   松井あき子
叡山の麓のふくら雀かな   二村結季
柿干して大根干して師走くる   木下野風
地下鉄の階段降りる落葉かな   佐藤昌緒


         


段ボール噛んで冬日の清掃車   昌子   
四五軒の長屋の裏を冬の川
湯豆腐の裏も表もなかりけり
鮮魚屋の裏へまはると冬の川
裏返し表返して十二月
炉語りのいまてのひらを裏返し




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草深昌子を中心とする会・令和6年11月

2024年12月09日 | 俳句
草深昌子選

       


  ずわい蟹届きて作務衣とり出しぬ   福本金魚
 ずわい蟹は地方によって越前蟹とも松葉蟹とも呼ばれ、冬季が旬である。
 さて、ずわい蟹が届くやいなや、作務衣をとり出すという用意周到が何とも頼もしい。
 私も毎年、鳥取から松葉蟹をいただくのだが、箱を開くと飛び出さんばかりに十本の長い脚がうごめき始めて、
 飛び散るしぶきを浴びながら、こわごわ挌闘する。
そうであったか、作務衣があればよかった。
作務衣という僧侶の作業着は、天然の美味をいただくべく、ずわい蟹をいとおしむ挨拶のあらわれであろう。

  寒晴やかもめ寄り来る定食屋   佐藤昌緒
 港町によくありそうな定食屋、海の幸を満載にしてなかなかの人気である。
 鷗もよくその辺に飛んでくるのであろう。寒さの厳しいなかにスカッと晴れわたった真っ青な空が見渡されるようである。
 一読して、そっけないほどの平明なる調子が余情をよくひいている。

  うどん屋の古りし木の卓冬めける   昌緒
 こちらは定食屋ならぬうどん屋である。
 むさくるしいうどん屋ながら、さすがに味は良さそうである。
 うどんの専門店といえば聞こえがいいが、この店主は頑固でうどん一点張りなのであろう。
 物にも人物にも年季の入ったさまが、冬めく詩情を誘い出している。

  朝刊の霜踏む音のまちどほし   東小薗まさ一
 晴れた日のその夜に、地面の水蒸気が一気に結晶して霜となる。
 霜が降りはじめると、もう人の世は何もかも寒々しくなるように思われる。
 でも、作者は違った。
 「霜踏む音のまちどほし」とは何とよき心構えであろうか。
 「音の」というのは事実の音にあらずして、しんしんとした外気に心を合せているような微妙な気配をいうのであろう。
 果たして新聞はよきニュースを運んでくれるに違いない。

  冬菊や門も囲ひも取払ひ   奥山きよ子
 まるで何の庇護もないような場所に咲いている冬菊である。 
寒さの中にその色はいっそう引き締まっているであろう、美しい冬菊のありようがぱっと飛び込んでくる。
「冬菊」は、虚子編の歳時記では「寒菊」(菊の盛りを過ぎた頃に蕾をあげるという菊の変種)の異名として、傍題になっている。
今では、冬になってもまだ咲き残っている菊を詠う場合が多い。

  托鉢の立ちたる駅や初しぐれ   きよ子
  その先は暗渠となるよ石叩     〃
  立冬の墓きらきらと山を向き    〃


     


  がらぽんの二等朱の色冬に入る   二村結季
 がらぽんは「ガラポン」、抽選器のこと。
 商店街の商戦としてよくある福引きだが、大抵は外れるものである。
 それと分かっていても、何色の玉が出るだろうかいう無作為の楽しさに人々は吸い寄せられる。
 何と朱の色が出てそれが二等だというのである、おめでとうの鐘も打ちならされたことだろう。
 そんなよろこびのとまどいは、計らずも立冬の日のことであった。
 赤ならぬ「朱」の色がいい。
 朱の色を確認して、さあ冬を迎えるのだという、いかにも作者の意にかなったものであろうことが伝わってくる。

  また別の鳥来て郁子を割らんとす   結季
 郁子は通草に似ているが、熟しても通草のように開かない。
 〈塗盆に茶屋の女房の郁子をのせ  虚子〉という丁寧な句もあるが、掲句は鳥まかせである。
 「また別の」、郁子のありように目をそらさぬ作者がそこに居る。

  掻き上ぐる手櫛の中や木の葉髪   小宮からす
 木の葉髪は文字通り、木の葉のようにしきりと落ちてくる髪の毛である。
 人生の哀れを詠うべく木の葉髪をアクセサリーのように取り合わせがちだが、そんな句はむしろ虚しい。
 この一句は何と素直に木の葉髪を詠い切ったものだろうか、全くこの通りだと思う。
 誰もがやりそうな仕草を詠ったまでのことながら、その先の思いは人さまざまではなかろうか。
 「掻き上ぐる」の表現には勢いがある、嘆くばかりが能ではないのである。

  下まつげ伸びに伸びけり冬の鹿   からす
 作者は正倉院展に日帰りで行かれたという。そこで出会った奈良公園の冬の鹿である。
 鹿をまじまじと見つめて、その驚きがごく自然に表出されていてすがすがしい。
 読者は「えっ、ホント?」「どのくらい長いの?」と興味しんしんとなった。
 ネットで調べると確かに超長い。 
 なぜこんなに長いのか、それが冬の鹿の特徴なのか、私は何も知らない。
 不思議にも愛らしい冬の鹿に会ってみたいと思うばかり。

  梅紅葉肌色のまま散りにけり   永瀬なつき
 梅の紅葉は他の木々の紅葉ほど華やかなものとは思えないのだが、
「梅紅葉」と先ずは打ち出すところからして作者の心寄せが鮮やかである。
 私など、地味なものとして見過しがちなのに、作者は「肌色のまま」という、
散り際の見届けまで心がこもっている。
 人の肌のようなうっすらとした赤味はそのまま作者の親愛の情を滲ませている。


     


   目覚むれば金貨は木の葉山の宿   鴨脚博光
   冬耕や馬鈴薯一つころがりぬ    川井さとみ
   凩のその音途切れ途切れかな    冨沢詠司
   信州の峰の高さや寒昴       森田ちとせ
   鴨渡る一途に波をすれすれに    柴田博祥
   木戸に板一枚打ちて冬に入る    中澤翔風
   隣りからフエンスを越えて柿落葉  葉山 蛍
   時雨るるや傘をつぼめて参拝す   石井久美
   山茶花の白の際立つ垣根かな    松井あき子
   ビル風の濠を渡るや枯はちす       〃
   寄鍋や作り話のおもしろう     石野すみれ




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