草深昌子選
兼題「嚔」
飛び乗りの満員電車大嚔 神﨑ひで子
嚏に大を付ける句が多かったですが、唯一この場面の大嚏には納得します、リアリティー満点です。
なんたって飛び乗りですから、一瞬に空気が変わりました。
手術後の恐る恐るの嚔かな 小宮からす
はてさてどんな嚏が出るのでしょうか。「恐る恐るの」、表現が見事です。まさか嚏で手術の縫い目が弾けるわけはないのですが、読者の体験を呼び覚まします。
むずむずと彷徨ひ歩く嚏かな 渡邉清枝
こちらの嚏は老年でしょうか。出そうで出ない嚏をいっとき抱へ持って歩きます。それを大袈裟に表現したところが巧いです。嚏の視点がユニークです。
讃美歌の楽譜手にして嚏かな 松井あき子
大抵の嚏はあまりいただけないものとして詠われますが、この一句の嚏は何とも清らかです。 「楽譜手にして」、臨場感そのもの、嚏にも品性があります。
毛衣や若き女の脚長し 神﨑ひで子
毛衣は今やおしゃれ着ですが、この一句からは本来の獣の毛皮をなめして作ったであろう野性味がにおいたちます。皮ジャンパーから伸びた若き脚がなまなましいのです。
くつさめの鴨の浮寝を醒ましけり 昌子
銀紙の紐を垂らせる枯木かな
島見えて紀伊国屋てふ枯木宿
令和6年12月・青草通信句会講評 草深昌子
令和6年12月の兼題は「嚏」。
歳時記において季題は、「時候」「天文」「地理」「生活」「行事」「動物」「植物」などに分類されますが、この「生活」の中に、「嚏」「湯ざめ」「風邪」「咳」「水洟」「悴む」「胼」「皸」等、寒がりには切実なるつらさの冬の日々が続出します。
つづけさまに嚏して威儀くづれけり 虚子
湯ざめして或夜の妻の美しく 花蓑
風邪を引くいのちありしと思ふかな 夜半
咳の子のなぞなぞあそびきりもなや 汀女
水洟や鼻の先だけ暮れ残る 龍之介
心中に火の玉を抱き悴めり 鷹女
胼の娘の頬すこやかにほてりけり 麦南
あかぎれの手のきらめくは和紙の村 水尾
どの句もおもしろい、つらいどころか明るみがさしてきます。
これらの俳句の捉え方に学べば、厳冬も乗り越えられそうです。
さて、俳句は、本部句会でお話していますように、季語と季語以外の部分をどう構築するかが肝心のところです。
桐一葉日当たりながら落ちにけり 虚子
季題そのものを写生した一物仕立、一元的な句です。
菊の香や奈良には古き仏たち 芭蕉
上五と十二音に意味のつながりはありません。一句として季題が一つの世界を広げて、深みのあるものになっています。
さらに、季題を考えますと、季題には形のあるものとないものがあります。形のない季題を「虚」としますと、これにまた形のない気持ちを述べますと俳句は虚しくなります。「虚」には「実」を付けます。
秋風や模様のちがふ皿二つ 原石鼎
形のない「秋風」を、形のある「物」で詠いあげています。
また、生活の匂いの薄い季題には生活をつけて、生活の匂いの濃い季題には天然自然を付けるなど、「生活と自然」、「自然と人生」のバランスをよくとることも俳句の楽しみではないでしょうか。
顔の皴しづかに深し冬紅葉 原 コウ子
南に海の展けし七日粥 原 裕