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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

草深昌子を中心とする句会・選後に・令和6年2月          

2024年03月12日 | 俳句
草深昌子選
 
 

  鳩の尾の薄紫に春立ちぬ  奥山きよ子

 いつも見慣れた鳩ながら、その尾羽の色を「薄紫」だと見届けた。
 薄紫は見た通りにして、心象的なものでもあろう。
 紫にして濃くはあらぬというほのぼの感、ウスムラサキという語感のよろしさは、
 寒中の厳しさをくぐりぬけた安堵感につながっている。

  棕櫚の葉にしばらくありて春の雪  きよ子
 春の雪は今、棕櫚の葉の上にあります、と言っているだけである。
 春の雪はどこにでも降りかかり、どこにでも積もるだろうが、棕櫚の葉の上にある雪こそは春の雪らしいものだと眺め入っているのである。
 棕櫚の木は南国風で、扇状の葉っぱも盛大である。
 だが、私のイメージでは地味な印象しかない、それは生家の前栽にあって薄暗いものであったからかもしれない。
 そんな木だからからこそ春雪をもって、束の間ながら存在感を見せてくれたところ共鳴してやまない。

     巻き舌で呼び込む春の露店かな   きよ子
 露店は言わずと知れた、神社の境内など一時的に見かけるものだが、その呼び込みが巻き舌だというのである。
 いささかクセモノのような気がしないでもないが、威勢のいい荒っぽさが人々の楽しみをひきだすのだろう。
「春」の一字がどこまでも効いている。

    キオスクを通りすぎたる余寒かな   小宮からす
 寒が明けたのにまだまだ寒いという余寒である。
 高浜虚子の〈鎌倉を驚かしたる余寒あり〉を筆頭に、鬼城の〈世を恋うて人を恐るる余寒かな〉など、歳時記の余寒の句には唸らされるものが多い。
 掲句はどうだろう。ただ、「キオスクを通りすぎた」、それだけのことである。
 だが、私には、余寒の実感を共有してやまない。
 それは直感なので、説明できるようなものではないが、大抵は無意識に通り過ぎてしまうキオスクに気付かされたというところが既に余寒の情のようである。

  春寒や木組みの駅のコンコース   からす
 駅のコンコースというのは、およそ寒さを覚えるところである。
だが、そこが「木組み」となると、その感覚のしなやかさをもってして、冬の寒さにあらずして春の寒さであろうことが納得させられる。
 しなやかと言うのは私の一人合点であって、より頑丈なるものをイメージされるかもしれない、それでも木造のもたらすものの感覚は春に心を寄せながらなお寒いというものに通うものではなかろうか。

  


       春愁や時計の針は影を連れ   柴田博祥
   春愁は春のちょっとしたもの思い。
   俳句を学ぶようになって意識させられたもので初学時代は愛用したというか、積極的に作っていたが、だんだん鼻につくようになってきた。
〈春愁や道を歩けば草青く 青木月斗〉みたいな句から遠くなるばかりでもう何十年も作っていない。
選句にも、厳しくなった。
そこへやってきた掲句には、作者の本当が感じられて素直に感じ入った。
一見キザっぽい「影を連れ」も春愁をよく引き出している。
同じ作者に、〈春雨や久しく鳴らぬ柱時計  博祥〉がある。
時計というか、時間というものに作者の心情は傾くのであろう。

    春の日やざつくり括る文庫本  黒田珠水
 春の日の明るさやのどかさが下12にそれこそざっくりと詠いあげられて美事である。
 何より文庫本がいい。いわゆる岩波文庫のような小型の親しみやすさが、処分するにせよ、整理するだけにしろ、何となくすっきりとしてあたたかい。
 漫画本では、この春の日のさりげなさを引き出せないであろう。

       浜焼や頑固蛤口割らぬ  中原初雪
 中七の頑固蛤、そう、ガンコハマグリとくっつけた語呂の感覚、そしてまた下五の口割らぬ、という慣用語の面白さをもって、なかなか口を開いてくれない焼蛤のさまが真に迫ってくる。
 海辺で焼いておられるのだろう、「浜焼や」という打ち出しは爽やかにして、後ろはご機嫌斜め、その対比も楽しい。

       焼栄螺くるくるしっぽ緑かな   川井さとみ
 先の頑固蛤から一変、こちらの焼栄螺は、まこと垂涎の栄螺である。
 壺焼、そう炭火で焼いた栄螺は自然に口を開いて、腸とともに取り出していただくのだが、ここまですっぽりという感じは何とも美味そう。
一句は作者の美しい手つきや、明るい表情まで見えて、読者までご馳走さまの気分をいただくものである。

   寒雷や一村雨に鎮まれり      町田亮々
   白梅の蕊を離れぬ羽音かな     二村結季
   赤ん坊の睫にとまる春の雪     石堂光子
   信楽の狸も風の雨水かな      日下しょう子


   

   針山の中から針や春の雨      山森小径
   震生湖いま百歳や山笑ふ      河野きなこ
   完売と赤に手書きや菠薐草     石野すみれ
   自転車をぐんと漕ぎ出し日脚伸ぶ  村岡穂高
   公魚の簾干しなる北の浜       間 草蛙
   流氷来空を画してゐたりけり     佐藤昌緒
   吊橋の揺らぎをゆくや春の雨     古舘千世
   公魚や湖上まぶしきものばかり    松井あき子







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青草通信句会 2024年3月

2024年03月12日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼題「春の水」

 

  春の水雀行つたり来たりかな     佐藤昌緒
 愛くるしさの躍動感が「春の水」のそれとして、生き生きと描写されています。俳句らしく表現を練らずして、そのまんまが好感度抜群です。

  もぞもぞとなにやらあやし春の水   川井さとみ
 「もぞもぞ」は虫がうごめくさまに使われるいわば常套語ですが、心惹かれる様子が「あやし」という措辞ともどもに表出されています。そこで春の水の生命感が浮かびあがります。

  胸赤き鳥の跳ねたる春の水   奥山きよ子
 胸の赤い鳥って何鳥でしょう、いや、ここでは鳥の名前などどうでもいいのです。ただ青や緑でなく「赤」であるところに思わず春の水をリアルにしかもタップリに、想像させられるところがあります。

  今日辺り河童はしやぐか春の水   小宮からす
 今回の春の水の多くは常識的でしたが、河童が出て来てはじめてびっくりしました。「今日辺り」、おっとりとしていていいです。単なる思いつきでなく、現場でのごく自然な発露であろうことが思われます。人の心も春です。 

  真鍮のカレーの看板春の駅   中原初雪
 昔の看板は琺瑯だったりブリキだったりしますが真鍮もそうでしょうか。今昔を問わず、真鍮はカレーの味にかなっていそうです。駅もまた趣きを反らさぬように春らしさを醸しだします。

 


  音あげて岩をよろこぶ春の水   草深昌子
  蛇穴を出づる団地の外れなり
  蠅生る釣鐘堂の奥のはう


令和6年3月・青草通信句会講評   草深昌子

 令和6年3月の兼題は「春の水」。
  一つ根に離れ浮く葉や春の水  高浜虚子
 水面に二つか三つ、離れ離れに葉が浮いていますが、ふと水の底を見ると一つ根っこから生えているものであったというのです。
 作者の発見、つまり驚きがそのまま一句になりました。春の水は水草のいのちと共に、生き生きと輝いているように思われます。
 「一つ根に離れ浮く葉や」と言えば、水を想像できますから、もう水ではない他の季語にとんでもよさそうですが、虚子はそうはしません。あくまで対象を掴んで離しません。季題「春の水」というもののありようを堂々と、いや、ささやかにと言ってもいいでしょう、当たり前に詠いあげます。さりげない詠いぶりから、春の水とは、そう自然とは、何て力強いのだろうと感じ入ることが出来るのです。
 虚子自身が提唱した「客観写生」を地で行く一句です。

 俳句は最短の詩型ですので、何も言えません。当然、省略が基本になってきます。俳句初学の頃、外山滋比古著『省略の文学』を愛読しましたが、こういう理論書を読んでも実作がうまくいくわけではありません。ただ、俳句には「切れ」がある、切字がある、と言うことの意義はわかったように覚えています。
 何より、俳句には「季題」があります。季題というものの中には、省略された様々の情報がつまっています。つまり、季題には千も二千もの言葉が圧縮されてあるのですから、作者は何も言わなくても、季題がおのずから物語ってくれるのです。
俳句は何も言えない文学です。言い換えれば、何も言わなくてもいい文学だということになります。あれが言いたい、これが言いたい、これぞ分かってほしい、と作者は饒舌になる必要はないのです。ただ黙って、省略の効いた一句を差し出せばいいのです。
 俳句は作者だけでは成り立ちません、俳句は作者と読者との合作だということを常々申しあげています。信頼されるに足る読者にならねばなりません。人さまの俳句を読んで、季語はどうか、切れはどこにあるのか、よく味わって、「俳句を読む力」をつけたいものです。

  日輪の燃ゆる音ある蕨かな  大峯あきら



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青草本部句会 令和6年3月

2024年03月12日 | 俳句
草深昌子選  (順不同)
兼題「紫雲英」 席題「一」



馬跳びの靴とばしけりげんげん田   二村結季
牛乳の吹きこぼれさう風信子   二村結季        
一番のゼッケン捲れ春の駒   佐藤昌緒            
芋植うる種や肥料や一輪車   山森小径
閏日の風に揺るるや花馬酔木  小径          
暖かやバスステップの下がりくる   小宮からす         
大正に生まれ紫雲英を編みにける   からす
げんげ野に子らの散らばる二時限目   奥山きよ子       
ユニホームの子の一列に春田かな   きよ子
湯婆を足でなでてる寝つきかな   東小薗まさ一 
 

     
一つ荷に望遠鏡や春の風   草深昌子
一山に門がいくつも鳥雲に
竹秋や一つ嚏の大きこと
げんげんを摘んでひとりや一人つ子
草庵に一つ巣箱も古りにけり
一軒に窓の二十やあたたかし



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