goo blog サービス終了のお知らせ 

青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

草深昌子を中心とする句会・選後に 令和4年8月

2022年09月19日 | 俳句
草深昌子選

  

  二つ星迎へ夜つぴて歌ふなり  石原虹子
 天の川を挟んで輝く、織女星(織姫)と牽牛星(彦星)を「二つ星」という。
この二星が天の川を渡って一年に一度の逢瀬を果たすのが七夕である。
 星祭のこの夜、虹子さんは「夜つぴて」、そう、よどおし歌ったというのである。
 子供の頃の懐かし郷愁が詠わせた一句であろうか。
 七夕の句として順当なものに違いないが、私にははっとするような特異な輝きをもって迫ってくるものであった。
 子供のこころを持ち続けていなければ、詠えない清純そのものの「二つ星」である。

  ポン菓子の爆発音や秋の空   松井あき子
 ポン菓子とはなつかしい駄菓子である。戦争が終わったばかりの子供の頃、どこからかオッチャンがやってきてそれらしい機械を動かす間合いがあって、その一瞬の爆裂音にいっせいに飛び上がった、ポン菓子の出来上がりである。
 でもこの句は回想に非ずして、今の世の出会いがしらの光景だろう。
 戦渦のいまわしい爆発音ならずして、この句のバクハツオンのひびきは大いに華やいでいる。
 爆発音の前に「ポン」がちょっと笑える、そんな楽しさ。
 晴れ上がった秋の空がどこまでも見わたされるのである。

  朝蜘蛛を庭に放つや盂蘭盆会   二村結季
 盂蘭盆会には、家のうちそとに、その道筋があるかのように先祖代々の御霊がただよっているものである。
 ことに朝蜘蛛は縁起のよいこととて、祖霊への感謝の気持ちにかぶさるものでもあるだろう、命をいつくしむ清らなる心がしのばれてならない。

  蟻塚は掃かず八月十五日  結季
 ここにも戦争を悼み、いのちの平穏を希求する心がこもっている。
 両句とも心がこもってあればこその、さり気ない表現である。


 


  一点の雲広ごりて処暑の雨   松尾まつを
 処暑の節は、陽暦では8月23日頃。さっきから一つ不穏なる雲が出ていたが、それがやがて広がって、終には雨を降らしたという一句。自然現象をそのまま描写して、何の飾りもない、それこそがまさに「処暑」という節季の意義を表出している。
 暑さがおさまるという、しみじみとした実感がある。

  星月夜人は仰のき歩きをり   冨沢詠司
 たくさんの星がきらめいて月夜のように明るいというのが「星月夜」。月の光にあらずして、星の光をいうのであるが、言葉そのものがすでに美しい。
 そこで掲句は、何の飾りも付けずに、「人は仰のき歩き」とごく普通に詠いあげて、むしろ星月夜の本当を表出している。
 当たり前のようで、当たり前でない詩情が醸し出されている。

  三叉路に人の影ある盆の月   石本りょうこ
「三叉路」の措辞が、「盆の月」をいやがうえにも輝かせている。
 なぜ三叉路がいいのかと説明してしまうと一句の情趣が台無しになりそう、直感的な感受がほしいところ。
 ただ、道路が三叉に分かれているところにくると、人は誰しもふと立ち止まるのではなかろうか、その刹那がただの月ならずして「盆」の月を大きく見せるのである。

       秋風や科の木蔭に昼寝して   菊地後輪
 科の木というものがどんな木とも知らずして、即座にこの秋風のなつかしさに吹かれるような気分になった。
 「シナノコカゲ」たるひびきが爽やか。
 呑気に昼寝なんかして、いい気なもんだと言われそうな一句である。
 そんな感覚が「色なき風」といいう秋風の本領を発揮させているのかもしれない。


  

 
  睡蓮に欄干の影くつきりと  石堂光子
  鶺鴒がちよんちよん渡る舗道かな  永瀬なつき
  百日紅花の向き向き広がりぬ   大村清和
  炎天の庭に降りたつ雀かな   加藤洋洋
  秋の風少し値の張る靴を買ふ  関野瑛子
  課題図書開かぬままやつくつくし  川井さとみ
  手の甲の皴深きかな秋の風  山崎得真
  関西弁まねる江戸つ子夏休み  古舘千世
  よるべなく蓮から蓮へ糸とんぼ   平野 翠
  新涼や美白クリームやはり買ひ   小宮からす
  レジ袋一番上に今日は桃   中原初雪
  もう一歩もう一歩寄り稲の花   石野すみれ
  新涼や鯛のうす塩かぶと焼   中澤翔風
  秋の風ふと天命を思はるる   鴨脚博光
  朝まだき岩間のおこぢよ露に消ゆ   森田ちとせ
  蹠を電気が走る雷の朝   日下しょう子
  新しき靴はき慣らす星月夜   伊藤 波
  人の子が迷ひ込んだる墓参り   湯川桂香
  雲少しかかりたるまま盆の月   佐藤昌緒
  道いつぱいひろがり帰る星月夜   神﨑ひで子
  夏場所や女ばかりの桟敷席   佐藤健成




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青草通信句会 2022年9月

2022年09月12日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼題「蟷螂」

   

  蟷螂を降ろして新聞取りにけり     古舘千世
 「降ろして」巧いです、わざわざというような仕草を見せて丁寧に詠いました。言えそうで言えない言葉、俳句は言葉で作るということを思います。

  肩先の蟷螂枝に移しけり  神﨑ひで子 
 前句同様、こちらは「移しけり」、ここにも言葉から光景のありようをさり気なく見せようとする気持ちが入っています。両者、蟷螂にお優しいです。

     秋の雷吾子は筑紫へ出向きけり          二村結季
 「筑紫」という古風な措辞が、夏の雷でなく、秋の雷の「秋」を引き立てて、祈りの気持ちがよく響いています。

     蟷螂の顔やさながら宇宙人   小宮からす
 宇宙人とは言い得て妙。「蟷螂の顏や」で切りながらすかさず下五に着地させる、「さながら」なる措辞が絶妙です。

  生ぬるき雨に蟷螂ぬっと出で   伊藤 波
 「生ぬるき雨」が「ぬっと出て」に信憑性をもたらします。
 はっと驚くのは人また蟷螂もでしょう。

   蟷螂や羽根を広げてバレリーナ   田中朝子
 「羽根を広げてバレリーナ」とは又何と軽やかな表現でしょう。今という今の蟷螂のいのちが見えるようです。

   鰯雲サーディンランを見るごとく   朝子
 サーディンは鰯、ランは走るですから、何となくすぐに想像がつきました。でもよく知らないのでネットで確かめますと、海流の関係で南極水域から南アフリカ東岸沿いを鰯の群れが一斉に北上する現象のことだそうです。 「見るごとく」に鰯雲を仰いでいる確かな感触があります。

   掛筒に差して傾く秋団扇     渡邉清枝
 描写の目が秋団扇を捉えてぴしっと決まっています。「差して傾く」、ごく自然に表現していますが、なかなかこうは詠えないものです。見習いたいものです。

  空称ふごとく蟷螂鎌上げる   森田ちとせ
 「空称ふごとく」とは素晴らしいものの見方です。蟷螂の鎌の潔さは、なるほどそうだなと感じ入ります。作者の心映えがしのばれます。

  秋の薔薇ノートルダムの傍らに   佐藤昌緒
 「ノートルダム」の措辞をもって、夏の薔薇でなく「秋」の薔薇の趣が鮮やか、語感が功を奏しているのでしょう。

    色変へぬ三保の松原富士の裾   松尾まつを
 「色変へぬ松」を「色変へぬ松原」に拡大解釈しました。「富士の裾」たるダメ押しもここでは効いています。

  蟷螂の無礼を脇へ畑仕事   泉 いづ
 「無礼」といいつつ蟷螂への親しみを込めています。「脇へ」は共に畑に居るという臨場感を打ち出します。

     

  軒簾色なき風をはらみけり   草深昌子
  ふんばつてなほつつたつていぼむしり    
  大食ひの蝗は口のひらべつた 



令和4年9月・青草通信句会・選後に   草深昌子

  蟷螂のひらひら飛べる峠かな     岸本尚毅

 作者、岸本尚毅氏は、語感についてこう述べています。
――ある言葉を俳句の中に放り込んだ時、その言葉がどのように力を発揮してくれるか。その匙加減が、俳句の面白さの一大要素である。
 「蟷螂のひらひら飛べる峠かな」の「ひらひら」のように、使い古され、手垢のついた言葉の方が、意外にパワーがある。――

 皆様に「多作多捨」をお勧めしていますが、私も今は習練というより、とにかく書くしかないので書いています。いつの間にか駄作の山を積み上げています。あれこれ沢山書いているうちに、たまに瞬間的にハッとする句が出来ます。量があってこその偶然です。
 画家にとって「考える」とは絵を「描く」ことだといいます、筆を使って初めて脳が回転してくる、それが画家であるように、私たちも考える前に一歩外へ出て、ペンを持って「書く」、それが俳人です。

 さて、もう一つ、俳句の上達には句会に出ることが一番です。
それも一つの特定の句会だけでなく、いくつかのメンバーの違う句会に出ることが大事です。   「本部句会」はもとより、「青草」のどの定例句会にも臨機にご出席くださいますようお勧めいたします。
 どの句会も、基本的なところはぶれませんが、連衆が多くなりますと、当然俳句が違ってきます。そこで、選句も「慣れる」ということがありません。「あっ、こんな俳句があるのか」とびっくりすることがあります。句敵(くがたき)からよき俳句の刺激を受けることが、スポーツと同様、俳句向上の源になること間違いありません。
 私は、皆さまの俳句に驚かされています。あっと驚く、新鮮な俳句に出会えることが最高の喜びです。
 自分の中にある、自分の本当の言葉を心を込めて打ち出していく、そんな俳句に出会えますと、お互いに「俳句をしていてよかった!」と思えるのではないでしょうか。
これからも、どんどん驚かせてくださいますように。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青草本部句会 2022年9月

2022年09月03日 | 俳句
草深昌子選  (順不同)
兼題「鮭」席題「赤」



その川の匂ひを知るや鮭の旅  奥山きよ子
座布団に寝かす赤子や盂蘭盆会  きよ子
竹伐つて竹の始末の匂ひかな  佐藤昌緒
蟷螂の影や紳士のごとくあり  昌緒
鶏頭の赤や夕日の傾きて  昌緒
放屁虫扇子に乗せて放しけり   平野 翠
初鮭や小樽市場の明か明かと  翠
この川のひしめく鮭の目は虚ろ  湯川桂香
那珂川の鮭ぞとのぼり来たるかな  二村結季
生身魂額の痣の赤きかな  山森小径
生国の水のきらめく鮭のぼる  小径
コスモスの赤一片をなくしけり  大村清和
隈取りの赤の一点臭木の実  河野きなこ





ともしびのただただ赤き鮭番屋  草深昌子
鮭打つやかの日かの時浪江町
ことのほか頬つぺ赤きが捨案山子
雨の音聞いて雨見ぬ夜長かな
近道はきまつて坂の赤まんま
尊徳のうつむく松は色変へず




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする