goo blog サービス終了のお知らせ 

青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

青草通信句会 2025年3月

2025年03月16日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼題「大試験

  

   春寒や目青不動を覗き込み     奥山きよ子
 目青不動というのは知りませんが語意からして、まさに春寒しを引き寄せます。青は何と言っても早春の感がします。目黒不動はよく行きましたが、不動尊には赤も黄も白もあるようですね、どんな不動尊なのかしらという心情も下五によく出ています。

   大試験終へたる町の匂ひかな     きよ子
 大試験という概念を払って、今まさに大試験が終わったような気分を読者にも感じさせます。「匂ひ」がいいですね。肩の荷が下りたことで町の光景が鮮やかに見えるのでしょう。庶民的に何かしらの物のにおいであってもいいでしょう。

  地下足袋の指くつきりと春の土    神﨑ひで子
 農作業の地下足袋でしょう。地下足袋は跣足袋とも言いますが、その感じが指の跡を明らかに見せるということでよくわかります。なんだかなつかしい「春の土」の実感です。

  大試験椅子も机も冷たくて   松井あき子
 「冷たくて」は、もとよりこの時節の寒さですが、物理的な冷たさだけでなく心理的な冷たさが臨場感をもって伝わってきます。この冷静な感受なら合格間違いなしのようです。

  ヒマラヤ杉見ゆる窓側大試験    あき子
 ヒマラヤ杉を窓側の席に見たからには心身引き締まったことでしょう。こちらも合格間違いなさそうです。「窓側」は、表現としてはなめらかさに欠くようですが、実直に効いています。


      

  なにやかやおしころしたる大試験    昌子
  人々の立つてもの食ふ梅日和
  笊吊つて梅にあきなふ平屋かな


令和7年3月・青草通信句会講評        草深昌子

 令和7年3月の兼題は「大試験」
  大試験今終りたる比叡かな   五十嵐播水
  大試験山の如くに控へたり   高浜虚子

 どちらも山がどっかとゆるぎなく象徴的に坐っていて、大試験ならではの開放感が前句、緊張感が後句にみなぎっている。
 大試験は学年末の試験、あるいは卒業試験のことで、大きな試験、大事な試験という意味がこもっている。明治には、進級試験を「小試験」、卒業試験を「大試験」と言ったようだが、今は一般的ではなく、季題「入学試験」を立てて、その傍題に「受験生」「受験期」等を置く歳時記が多い。但し、虚子編歳時記では入学試験は「入学」の傍題として四月の項目にあがっている。

  入学の吾子人前に押し出す  石川桂郎
 人見知りの一人っ子が小学校に入学する頃、この句に出会った。入学に寄せる親の不安や期待がそのまま出ていて感激した。
そう言えば、外山滋比古著『省略の文学』に感銘したのもこの頃のことだと思い出した。そこで、一部を飛び飛びに抜粋。
――
 言語表現では前のことばのイメージが次のことばにかぶさってゆく、さらにそのイメージが下のことばに干渉する、そのイメージは一過的現象で、視覚の残像と同じようなものがことばにも働いてくる、この言語イメージの残曳を、「修辞的残像」と呼ぶ。

 切字こそ俳句における省略の詩学の指標で、切字によって俳句は平俗な言葉を自由に駆使しながらも、散文的空虚、平板に堕することを避けることができる。これ以上は省くことができないところまで捨てたのが俳句の詩法。
  古池や蛙飛び込む水の音  芭蕉
 「古池や」のあとの空間において古池の残像とそれと方向の違った「蛙飛び込む」という二つの表現が重なりあう。切字の前後の部分が心理的空間を距てて相対峙し、その断絶が統合されたときはじめて、俳句らしい屈折、もつれ、ねじれなどの感じが出る。
  
 「発句は必ず切るべし」と教えたのは、一句の独立性を確保するだけでなく、詩情の複雑、充実のためにも有効ということになるのである。切るべし、とは、言語空間を作ることが短い詩型の文学の独立のために必須の条件であることを道破したものである。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青草本部句会 令和7年3月7日

2025年03月16日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼「引鴨」 席題「困」

        

 白梅や母の遺影は困り顔      奥山きよ子
 東風吹くやらいてうの碑に青鷺に    きよ子 
 行く鴨の気配充ちたる日暮かな     きよ子 
 困りごと何も無き日やぺんぺん草   山森小径
 硝子戸の前にパンジー不動産屋      小径
 啓蟄の雨や地べたに染み入りて   松井あき子        

 困りごと喜びごとも二月尽     河野きなこ
 引きながら鴨ふり返る日本晴    小宮からす
 お互ひのまなざし知らぬ内裏雛    佐藤昌緒 


      
                        

 大波もつひぞ困らぬ磯菜摘      草深昌子   
 蓋閉ぢて困つてゐたる田螺かな
 貧困の世やのけぞって地虫出づ
 鴨帰る亀の甲羅を干してをり
 引鴨につかのま雪の都かな
 困窮のきはみを亀の鳴きにけり



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草深昌子を中心とする句会・選後に・令和7年2月          

2025年03月16日 | 俳句
草深昌子選

 

  春光やとんび四羽の急降下   竹内あや
 鎌倉の稲村ケ崎でのんびり弁当を楽しんでいると、鳶が急降下して見事にウインナソーセージを攫っていった。
 何が起こったのかも分からないぐらいの瞬時であった。
 以来、爪の鋭い猛禽の鳶を警戒しながらも、さてさて四羽そろっての急降下は見たことがない。
 まさしく作者は驚かれたことであろう、驚きの一句はインパクトが強い。
 たまたま出くわした発見がそのまま、「春光」にキャッチされて、情景がぴたりと決まった。

  雪解や長き眉毛のどぶろく屋   松井あき子
 どぶろくは白く濁った酒、にごり酒である。
 澄んだ酒にあらぬゆえ、どちらかというと荒くれのイメージのあるどぶろく屋、そこの主人の眉毛が長いとは、優男ではないか?
 何だかミスマッチが面白い。
 さて肝心の季題はとみれば「雪解」である、ここで大きく合点がいった。
 降り積もっていた雪がゆるんで解けはじめたのである。
 そんな光景にどぶろく屋の風貌は見事に溶け込んでいる。
 作者に問えば白川郷へ旅した句だという。そうと知ればいっそう雪解の味わいが深くなる。

  手土産は空也の最中黄水仙  田中朝子
 空也最中は、近頃いただいたことはないが、昔所属した結社の句会ではよく提供されたもので懐かしい。
 夏目漱石が、『吾輩は猫である』の中に登場させたことで有名になった、漱石はもとより明治から昭和の文豪に愛された最中である。 
 さて、そんな空也最中を手土産にして訪れたのはどこの誰であろうか。
 ただ、そこに、黄水仙の黄はひそやかにも燦然としている。空也の甘味もそこはか匂いたつようだ。

       冴返る朝の林檎を剥いてをり  山森小径
 立春が過ぎてようやく春の気分を持ち始めたころに、再び寒気がぶり返すのが「冴返る」である。
 寒中よりむしろ冷たい、その尖がった感覚は朝食の林檎が静かにも呼応している。
 朝食後の林檎でも、朝食代わりの林檎でもいい、ともかく林檎を剥くという所作が冴返るのである。
 二読三読するうちに林檎の果汁が静かにも早春の風光を滲みだしてくれるものである。

       口開けてちりめんじゃこの面構へ   小径
 ちりめんじゃこは鰯の稚魚を干したもの。
 ちりめんは一面に干した様子が縮緬(ちりめん)のようだとか、あるいは身が縮緬のように縮むあたりから名付けられたのだろう。
 そんな、極小の雑魚にも「面構へ」を認めたところが諧謔といおうか。
 「口開けて」の描写が生きている。

  

     春寒ややがて一枚脱いでをり   佐藤昌緒
 「春寒」は早春のころの寒さ。
 この頃は寒暖の差が激しく、「冴返る」寒さもあれば、春の「暖か」がたっぷりの日もある。
 掲句は、寒さに構えて着重ねてきたところ、午後から急に気温上昇という場面であろう。
 いったん上五を「や」で切って、さらに続けて「やがて」という表出加減がまさに春の寒さを明らかに見せている。
 「はるさむ」と和語で読むか、「しゅんかん」と漢語で読むか、それぞれの句においてその印象を考慮すべきだろう。
 「はるさむ」と読むのが一般的だが、私は大抵漢語読みにする、その方が寒がりには実感をもたらすのである。

       小金井のサッカー場や下萌ゆる   小宮からす
 どこのサッカー場でもよさそうだが、やはり小金井のサッカー場ならではの「下萌ゆる」が実感として立ち上がってくる。
 野球でなく地べたを蹴り上げるイメージのサッカーも利いている。
 小金井がどこにあるのか知らなくていい。
 字面から「小」、金ぴかの「金」、井戸でもありそうは「井」がさっとよぎれば、それで充分、
 いかにもサッカー少年が走り回っていそうではないか。
 そんな大地には草の芽があちこち吹きだしているのである。

       まんさくの蕾ほどけて黄に赤に   石堂光子
 金縷梅は早春にあたって「先ず咲く」、それが訛って「まんさく」だとか。
 葉に先立って咲く花の感じは野趣もあって、ちょっと跳んだ表現も可能であろう。
 だが、作者は単刀直入に見届けたままを詠いあげられた。実直にして清新である。
 さもゆっくりとした動画を見るように、縮れたように線状に開いていく花びらであろうか。それも「黄に」また「赤に」。
 これがまんさくの花ですよ、ああ出会ってよかったという喜びの余韻をたっぷり引きながら。

       乳首のごとき赤根やはうれん草   冨沢詠司
 菠薐草はお浸しに胡麻和えに炒め物にサラダに日々親しい食材である。
 それだけに、〈夫愛すはうれん草の紅愛す 岡本眸〉を筆頭に、
 菠薐草と言えば「赤」を詠いあげたいという思いが誰にでもわきあがってくる、そこに類想が生まれやすく悩ましい。
 その赤を、作者は直感的に「乳首のごとき」と見たのである。
 古い歳時記を確かめると果たして、〈はうれん草乳首のごとき根を洗ふ〉があった。
 だが、掲句は、上12にシンプルに言い切ったことをもって既成句にまさるとも劣らない独自性をもっている。

  三頭の犬に引かるる遅日かな    奥山きよ子
  稜線のなかなか暮れぬ霾ぐもり     きよ子
  一人居や一つ家鳴りに冴返る     湯川桂香
  春寒や時計の音の大きくて      木下野風
  春寒や甕の水嵩減りもせず        野風
  春セーター気持ち大き目買ひにけり   石野すみれ

    

  ダニューブや楕円渦巻く雪解水   松尾まつを
  踏青の小走り楽し小雨かな     柴田博祥
  補聴器はデスクの上や春の雷    中沢翔風
  露地売りの菠薐草は爺好み     漆谷たから
  春耕や荒田みるみる蘇り      岩城泰成
  ひとり寄席笑ひ崩れて二月かな   大村清和
  走る走る犬ころ走る春の風     間草蛙
  立春や老女の赤きヘルメット    村岡穂高
  初午や赤飯の色それぞれに     石井久美
  荒行の背ナに湯気立つ寒戻り    中原初雪
  一人飯菠薐草の根のソテー     松原白士
  春寒のジョギング軽し老いは未だ  滝澤さくら
  梅咲くや入江の際の門構へ     河野きなこ







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『俳句四季』2025年3月号 わが道を行く 草深昌子

2025年03月09日 | 俳句
『俳句四季』2025年3月号
  わが道を行く 草深昌子                

    

 新作15句     
  遠く見て   

          
            
   遠く見て墓場広しや布団干す 
   冬紅葉空に近くてちぢれをり
   段ボール噛んで冬日の清掃車
   暖房や首を伸ばせば海が見え 
   赤松のふくら雀をこぼしけり

   寒晴の墓域広くてはぐれたる
   時雨忌の昼を遊んで夜を酌んで
   子ののぞくものをのぞくや懐手
   落葉してうつろの穴の幹に開く 
   天つ日は雲の彼方や蝉氷 

   焼芋を食うて別れし運河かな
   初霜や案山子のほかに人を見ぬ
   木の椅子に木の鋲浮くも日短 
   金蛇のあはれ掌にのる小春かな
   一茶忌の机に蠅とゐたりけり 

   自選40句

   風にうちたたく小判や小判草 
   青田風とは絶えまなく入れ替はる
   線香と数珠をバッグに朝ぐもり
   夏や鳥水に映りて空をゆく 
   とある日や寄席に笑うて章魚食うて 
   夏鴨の鳴いて日中を飛びにけり
   大空は大穴なりし雲の峰
   ぼうたんに非のうちどころなくは無し
   妖怪の汗のちらばる楽屋かな
   手の甲に来たる揚羽の翅ひらく

   肌脱ぎのその強運をうたがはず
   夏館ものの盛りは過ぎにけり
   狂ふかもしれぬ手を挙げ踊るなり
   やはらかになつてきたりし踊の手
   おしなべて秋草あかきあはれかな
   七夕の傘を真つ赤にひらきけり
   羽織りたるものの重みも月夜かな
   二人して二百十日の森に入る
   はたはたや峠に住みてものしづか
   読み書きのいよよ楽しやけふ子規忌

   子規や今つくつくぼーしつくぼーし
   はかなげに咲くが如くに菌かな 
   柿盛るや笊にバケツにリヤカーに
   めいめいのことして一家爽やかに
   蜻蛉の顎つきだす秋の風
   雲去れば雲来る望の夜なりけり
   水涸れて日向のなんとあたたかな
   セーターの黒の魔術にかかりけり
   末枯の担架格納箱長し 
   薪積んで冬の日向に崩れさう

   おいぬれば日向ぼこりをひもろぎに
   寒晴や鼈甲飴は立てて売る
   赤子はやべつぴんさんや山桜
   花散るや何遍見ても蔵王堂
   春林のどこやら星のにほひせる
   さへづりやたうたう落ちし蔵の壁
   お彼岸や林の深く野の広く
   遠足のどつと笑ふは代官所 
   足の向くところかならず春の泥
   奥つ城のほかは春田でありにけり


   

  
 略歴
   1943年 大阪生れ
   1977年 飯田龍太主宰「雲母」入会、
       原裕主宰「鹿火屋」同人を経て、
   2000年 大峯あきら代表「晨」同人
   2017年 「青草」創刊・主宰 
                  
   句集に、『青葡萄』『邂逅』『金剛』
   青草」主宰・「晨」同人  俳人協会会員
              













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする