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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

草深昌子を中心とする句会・選後に 令和4年4月

2022年05月20日 | 俳句
草深昌子選


  


  遠足や丘を登れば富士の山   石野すみれ
 「丘を登れば富士の山」とは何とすばらしい遠足でしょう、すかっとしています、いかにも新鮮で心がはればれとします。
 遠足は俳句でよく詠われるのですが、何だか久々に感銘しました。
 作者に作句のきっかけを聞きますと「お友達と誘いあわせて遠足したのです」とお答えになって、私は感銘の理由がすっと分かりました。
遠足を広辞苑に当りますと、①遠い道のりを歩くこと。また日帰りできるくらいの行程を歩くこと。②学校で、見学・運動などを目的として行う日帰りの校外指導。とあります。
 遠足は春に限ったことではないのですが、「遠足」は春の季題となっています。
〈遠足の列とどまりてかたまりて 虚子〉、〈遠足の女教師の手に触れたがる 誓子〉
〈遠足の列大丸の中とおる 飛旅子〉など私の知る大方の句は②の遠足でした。
 掲句は学校に関係のない①の遠足でした。

  老いの尻ぐいと鞦韆揺らしけり   中澤翔風
 鞦韆とは遊具のぶらんこのことです。ぶらんこと言わずして鞦韆と言ったからには鞦韆であってほしいものです。
 つまり、中国からもたらされたものでこれに乗って遊ぶ風習があったというゆかしい春の景を浮ばせたいものです。
 ところが雅な美女ならずして、「老いの尻ぐいと」とは何という無様でありましょうか。
 いや、これは鞦韆への心入れがあればこその自嘲でありましょう。
 思わず笑ってしまいますが、読者はこういう一句を喜んで迎えるのです。つまり共鳴してやまないのです。

  飛行機の低くゆくかな花曇   川井さとみ
 ある日のことです、飛行機というものは空高く飛ぶものだと思っていたところ、なんとグオーッって感じに空低く行き過ぎ去ったのです。
 オオッとそのことを認めた瞬間に「花曇」を心から感受したのです。
 何でもなく見過ごしてしまいそうですが、瞬時の飛行機という重量感が「養花天」とも言われる季節感をよく表出しています。
 「花曇」という本意や本情を歳時記で読むだけではこんな句はできません。
 外へ出て自然のありように接する、「花曇」という季語の現場に立つことほど大事なことはありません。

  芽吹山一夜城とはどのあたり   宮前ゆき
 「芽吹山」は、芽吹きの木々があたり一面、一つの山となっているのでしょう。
 作者は小田原にある豊臣秀吉の手になる一夜城、その現地に立っているのでしょうが、 そこで「一夜城とはどのあたり」という措辞が絶妙です。
 芽吹山の旺盛をイメージさせながら、一方で一体一夜城とはどういうものであろうか、
 というそもそもの成り立ちの不思議に心を通わせているのではないでしょうか。じっくりとした情感がこもっているのです。
 平明ながら美しい余情をひいています。

 
  


  惜春や黒いビールを飲み干して   菊地後輪
 「黒いビール」、ここに作者の本当があって、その本当がそのまま読者に実感をもたらします。
 これが普通の瓶ビールや生ビールでは「惜春」にはなりません。
 黒ビールと言わずして「黒いビール」と言っているのですから、作者はビールのその色、その喉越しにちょっとした違和感、おやっというような感じを覚えているのでしょう。
 そんなしみじみとした味わいの気分がそのまま春を「惜しむ」という心情につながっていくのです。
かにかくに、作者は事実を述べただけですが、分かる読者には分かります、それが俳句というものです。
 もとより作者は誰かに分かってもらおうなんて少しも思っていないのです。

  火の気なき春の炬燵に足を入れ   伊藤 波
 炬燵は冬の暖を取るものですが、春ともなりますともうほとんど不要です。
 でも何となく名残惜しくそのままになっていることが多々あります。
 そう、「火の気なき」にもかかわらず人は炬燵とあれば、なぜか足を入れるものなんです。
 当たり前のことを当たり前に詠って、うらうらとしたおかしみをもたらしています。
 まさに「春の炬燵」をあますなく詠いあげているということになります。 

  風少し強く吹く日や豆御飯   古舘千世
 一読、何と素敵な豆御飯であろうかと思いました。
 もう一度読み直しますと風がやや強く吹いているというのです、それでもなぜ文句なく素晴らしいと思ったのか、それはきっと作者が何のはからいもなく作句された、正真正銘の「豆御飯」にほかならなかったからではないでしょうか。
 「豆飯」は豌豆を炊き込んだご飯です。
 豆の緑も鮮やかによき塩気に仕上がりました。それにつけても、「風少し強く吹く日」が意味なくなつかしく思われるのです。
 選者はそういう真実の句を見落としません、と言えばかっこいいですが、むしろ句の方から採るように声をあげているのです。
 作者の豆飯にはなにかしらの思い入れがあるのかもしれません。

  花曇同じ病の立ち話   木下野風
 立ち話というのは立ったままですから軽い話しかしません、でも今日はたまたま出会った方と同病相哀れむというようなことになりました。
 二た三言交しあっただけでも、共々勇気づけられたに違いありません。折柄季節は「花曇」です。
曇っているのですからちょっと憂いがちになるのですが、桜の咲くころの独得のものです。
 病とはいえ、大して悪くはなさそうで、どこかしら快癒の気分が感じられるものとなっています。

 
  


  畝広く種置くやうに花の散る   川北廣子
 桜の花は咲き盛るかと思いきや、みるみる惜しげもなく散ってゆきます。
 花びらは畑の畝の上にまるで種を置くように一枚また一枚明らかに散っているではありませんか。
 作者は咲く花よりも散りゆく花に心を寄せてやまないのでしょう。
 日本人の伝統的は美意識が具体的に目に見えるように詠われています。
 ここには、命の再生を祈るような気持がこもっているようです。


  春潮や動きだしさうゴジラ岩   松井あき子
 ただの岩では動くわけはないのですが、ゴジラ岩と言われますとまるでかの怪獣ゴジラが動くかのように感じられます。
 ハッとするような感情をもたらされたのは、真っ青な海がふくれあがるほどに春の潮が差してきたからでしょう、逆にぐーっと遠くまで引いていったのかもしれません。
 このダイナミックな「春潮」を捉えて、「動きだしさうゴジラ岩」です、ただその12音で美事に言い切りました。
 ちなみにゴジラ岩は秋田県男鹿半島にあってまさにゴジラそのものという奇岩ですが、
 日本にはその他にもいくつかあって、西伊豆の海岸にあるものも有名だそうです。


  川近き魚屋の軒を燕かな      奥山きよ子
  菜の花畑ひよいと曲りて川に合ふ  二村結季
  あをあをと朝採り苣や水弾く    末澤みわ
  春風に干物のにほひ二番線     石本りょうこ
  風止んで藤は長さを揃へけり    澤井みな子
  屋根瓦投げて落として日の永き   芳賀秀弥
  朧月銜へ煙草に三味を弾き     長谷川美知江
  画眉鳥が若葉の山によく鳴くよ   間 草蛙
  磐石の爪の隙間やすみれ草     泉いづ
  墓へ行く坂道ゆるく木瓜の花    東小薗まさ一




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青草本部句会 2022年5月

2022年05月16日 | 俳句
草深昌子選
兼題「山女」 席題「涙」

     


爪先に立夏の川のしぶきかな   松井あき子
山藤の重なり合ふて高みかな     あき子
橘の花こぼれをり涙また   河野きなこ
滝そこに水神様や青楓      きなこ
かの人の病は癒えて松の花    きなこ
山小屋の長押に干さる山女かな  きなこ
炉端焼き待つ間の山女魚談義かな   伊藤欣次
山女焼く焔に揺るる凱歌かな       欣次
をちこちの休耕田に姫女菀   芳賀秀弥          
正面の富士の晴れ晴れ薔薇の園   川井さとみ


                 


千年の杉の高さを滝しぶく   草深昌子
竹の葉の散るや蝲蛄一つ釣れ
涙ぐむことも卯の花腐しかな
夏や鳥水に映りて空をゆく
くどくどとあまご焼く火を熾しをり
とある日や寄席に笑うて章魚食うて
     



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青草通信句会 2022年5月

2022年05月13日 | 俳句
草深昌子選  (順不同)
兼題「牡丹」

  

  
  ぼうたんの中やたゆたふ雨雫         森田ちとせ
 「たゆたふ」という措辞が、牡丹の花の揺れを感じさせます。「中や」も飾り気がなく、近々と覗きこんださまが思われます。

  牡丹咲ききつてそろりと崩れけり       ちとせ
 そのままを叙しただけに見えて、なかなかこうは詠えないものです。読み下すリズム感もよく、「そろりと」の描写がなめらかでよく効いています。   
                                             
  ぼうたんや蜂も蛙も来てをりぬ        石堂光子
 牡丹そのものに迫った写生ではないのですが、蜂や蛙を描いたことによって、小さな生き物の命を引き寄せて、牡丹の絢爛を感じさせます。
                                             
  垣越しに太き筍渡さるる     佐藤昌緒
 垣根越しの受け渡しは楽しいものですが、何より筍は有難いです。太々とした筍、それも土付きのズシリという感じが嬉しく伝わってきます。無駄な言葉がなく明確です。                                                                 
  ネモフィラの風に夏蝶来たりけり       中澤翔風
 ネモフィラは匍匐して広がる特徴からでしょうか、野や丘を一面にどこまでも染め上げます。風に乗って、夏の蝶がやってきたのです。色彩感のある明るい光景がひらけます。   

       閂の木戸は抜け道白牡丹    翔風
 的確に描写されています。閂のかかった木戸がちょうど近道に都合がいいのです。少し薄暗いような、そんなところに咲いている牡丹はいっそう白く浮びます。
                           
  人の歩のだんだん緩く牡丹園         川北廣子
 ひろびろとした牡丹園の牡丹でしょう。さっきまでルンルンの歩みでしたが、次第に一人一人のもの思いになってゆくようです。つまり牡丹に見惚れているのです。                                  
                             
  頑丈な相方つれて羽抜鳥    東小薗まさ一
 面白いです。「相方」という措辞が、まるで漫才のそれのように思われもして、羽抜鶏の哀れに救いがあります。
                                             
  石楠花の雨落ちかかる高みかな       奥山きよ子
 一見地味ですが、言葉の連係プレーに無駄がなく、虚飾がなく、表現に気品があります。山地でしょうか、岩かげでしょうか、雨の詩情をもって石楠花が見えてきます。                                      
  ぼうたんの参道尽きて大伽藍         間 草蛙
 先月の延命寺の印象でしょうか。私には、〈牡丹百二百三百門一つ 阿波野青畝〉という、かの整然たる伽藍が偲ばれもしました。何れにしましてもよき牡丹です。
                                  
  限り無く笑まふ布袋に牡丹かな       伊藤 波
 布袋は中国の本場の石像など見ますと、さも福々しくその笑顔はどこまでもひろがってゆくようです。また牡丹は中国原産で花王と称されます。そんな理屈抜きに、布袋と牡丹がひとところにあったという自然な取合せの妙を思います。           
                                  
  筍や屋敷の奥の量り売り     渡邉清枝
 スッキリした表現が見事です。筍が何だか神秘的に思われます。松茸の量り売りは一グラム単位の細かさと聞きますが、筍はもっと大雑把でしょう、ちょっとオマケもしていただいて。


  


  ぼうたんの一つに丈を越されけり       昌子
  弁天の琵琶かきならす牡丹かな     
  本流へ流れ急かるるつばくらめ       



 令和4年5月・青草通信句会・選後に   草深昌子

 俳句は、歳時記によって季語の本意本情を知ることも大事ですが、それ以上に、季語の現場に立ち会ってよく観察することが一番です。 
今回の兼題「牡丹」は、青草創刊五周年記念俳句会で、延命寺の牡丹を見せていただけましたおかげで、写実の句が多かったです。
  白牡丹といふといへども紅ほのか   高浜虚子
 ここまでじっくりと牡丹に見入って、これほどゆったりと引き伸ばして詠いあげる、その「言回し」は絶妙です。
 虚子の句には「一物仕立て」の名句が多いです。

 さて、その吟行の折、「牡丹はすでに言い尽くされていて、私はいくら見ても作れない、どうすればよいか?」というご質問がありました。そこで、そんな場合、牡丹に集中しないで、その周辺のものを見て「有り合わせ」で作ってみてはいかが?と申しました。つまり俳句の基本形のもう一つのかたち、「取り合わせ」で作るのです。
 芭蕉は「こがねを打ちのべたるような」一物仕立ての俳句も、二つのものを組み合わせて作る「取り合わせ」も、どちらも弟子に推奨しました。芭蕉の凄いところです。
取り合わせは想像力や直観をもって、奥の方でつながりながら、季題は大きく切り離されています。一物仕立てだとか、取り合わせだとか、定義の問題はさておき、両方の作り方を自由に行き来してみませんか。虚子が「写生をしながらも心は大きく天の一角に遊ばせて」と言っているのと同じことです。
 そんな取り合わせの名句を思いつくままに左記しました。

  夏草や兵どもが夢の跡       芭蕉
  此秋は何で年よる雲に鳥      芭蕉
  秋風や模様のちがふ皿二つ     石鼎
  たんぽぽや長江濁るとこしなへ   青邨
  骰子の一の目赤し春の山      爽波
  切干も金星もまだ新しく      あきら






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