goo blog サービス終了のお知らせ 

青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

草深昌子を中心とする句会・選後に(令和4年10月)

2022年11月20日 | 俳句
 草深昌子選

  


        
  蔵の前その一本の棗の実  川井さとみ
 青草中央吟行会が古民家山十邸で開催された折の一句。
 山十邸は神奈川県愛甲郡愛川町にあって、明治初期の豪農の邸宅である。
 薬医門をくぐると入母屋造りの母屋があり、その横手には大きな白い蔵が建っている。
 蔵の前には棗の木が八方に根方を広げて空高く伸びあがっている。
 見上げるほどに熟れきったその実は赤く、一粒口にすると甘酸っぱい味が沁み入った。
 見たままの、ぶっきらぼうの表出のようではあるが、山十邸でなくてもどこの蔵でもいい、
読者に同じような情景を思い起こさせるものとなっている。
私には「その一本の」に、「私、この木大好き、この実大好き」という作者の思い入れがこもっているようで頼もしい。

  任されて下枝一枝松手入  さとみ
「松手入れ」の兼題では大方が庭師や園丁の手際を詠みこんだが、これは松手入は不慣れながら、この下の方のひと枝ぐらいなら試してみましょう、という仕上がりになっている。
 もとより作者自身であっても、新米の庭師であってもいい。

    晩秋の日は暖かき句会かな   間草蛙
 これも先の青草吟行会の句である。
 この通りとしか言いようのない、何の目敏さもない句ではあるが、文字通りしみじみと暖かな思いが立ち昇ってくる。
 果たして自身が、このように素直に、その日その時にあたって、その感興を一句に乗せることが出来るであろうか。
 「棗の実」の句と同様、ここには作者の「幹事のお働きがよくて、本当にいい句会ですねえ」というお礼の気持がこもっているのである。
 思い返せば吟行に出ると、初学時代には必ずといっていいほど「吟行や」あるいは「句会かな」が出た。
 選者は折角ですから、この5音には、今日の吟行で見たもの、聞いたもの等を書き込みましょう等と言ったものである。
 なのに、今回は◎特選である。
 かにかくに俳句というものは理論通りにはいかない。
 マルもバツもさまざまの体験を経て、草蛙さんは今や重鎮の貫禄とでもいうような句を出されたことに感じ入っている。

  ホスピスのラジオ体操鵙日和   石本りょうこ
 高い梢に止まって、鋭い声をあげる鵙の声は、いかにも秋の季節そのもの感があって爽やかである。
 そんな鵙のよく鳴く、よき日和のなかにあって、ラジオ体操が始まった。
 それもホスピスという広やかな心を思わせる施設でのことである。
 鵙の声はただ鋭いばかりではない、その大いなる勢い、その明るさは人々のラジオ体操の手足の先々にまで元気を与えてくれているようである。
 この句も無駄な言葉がなく、ただそこにある景色をそのまま一句に乗せられただけである。
 虚飾なき一句は、読者が思い思いにその光景を思い浮かべ、同時に何かしらの感慨をもたらすものとなっている。

  鵙鳴くやサザンビーチは露地の先  奥山きよ子
 サザンビーチと聞くさえなつかしいものがある。
 歌の流行に詳しくはないが、かのサザンオールスターズの桑田佳祐、その出身の茅ヶ崎を思い出さずにはおれない。
 記憶はあいまいであるほうが、思い起こそうという作用が働いて楽しい、そんなサザンビーチがこの露地の先にあるなんて、作者もまたヘエーッって思わずにっこりなさったのではないだろうか。
 この時の鵙の弾みはまるで桑田さんのそれのように響いたことだろう。

  

  岩風呂のランプの灯ちちろ虫  森田ちとせ
 ちちろ虫、そう蟋蟀の声が、まさにチチロチチロとでも聞こえてきそうな一句である。
 あまり体験のない岩風呂ながら、また近年まれなるランプの灯ながら、いささかあわれなる秋の夜の趣をもたらしてあまりある虫の音である。
 岩に取り囲まれた、いや岩そのものの凹がそのまま温泉となっているのか、何れにしても 作者の実体験がなければ醸し出せない虫の声のよき余韻を引いている。

  ポケットに入れて犬の子冬隣   湯川桂香
一読愛らしいと思う。手のひらにあたたかくもやさしい子犬の毛触りが心地よい。
 そこまでは誰しもが体験を呼び覚まして共鳴するのであるが、すかさず「冬隣」という作者自身の実感もっておさえたところが素晴らしい。
 読者もまた「冬隣」という季題の持ち味に納得してやまないものがある。
 今という時を感じることが、やがて来たるべき時を思うことに繋がっていくのである。
 それにしても冬の隣にいるという、まるで人の隣りにというような「冬隣」、季語そのもののセンスが妙である。

  酢橘めし仄かに色のありにけり  小宮からす
 徳島を郷里とする句会のお仲間に「酢橘」のお裾分けをいただいた。
 酢橘は何に搾っても風味抜群で、私もお汁にお菜にふんだんに楽しませていただいた。
 だが、作者は、ネットのレシピ参考に酢橘めしたるものをお作りになったのだ。
 人さまに物をいただいたら、このように喜び、このように美味しかったことをご挨拶句として出すのが礼儀であった。
 入会されたばかりのからすさんは全身全霊でもって俳句に打ちこんでおられる。
 その姿を拝見していると「初心忘るべからず」と叱咤される思いである。

  露寒の小鳩をつつく鴉かな   中原初雪
「露寒」は「露寒し」とも言って、露が霜に変る頃に感じる時節の寒さである。
 折から、いたいけな鳩のところに横柄な鴉がやってきたというのであろう。
 眼前に見た光景をもって露寒を詠いあげたものであるが、ここにも作者の心象がよく籠っている。
 俳句は「見たまま」というが、何を見るか、どこをどう見るかは作者その人の物の見方にゆだねられている。

  屋根越えて空たかだかと秋の蝶   山崎得真
 立秋を過ぎるとかの春の「蝶」は「秋の蝶」と呼ばれるが特別な種類ではなく、方々で親しく見かける蝶である。観念的には、春や夏の蝶に比べてどこかしら弱々しい秋の蝶ではあるが、実際にはなかなかどうして掲句の通り、元気溌溂である。
 蝶々は蝶々としてその命あるかぎりを精一杯生きて、いや飛んで見せてくれているのである。
 俳句は「ありのままに」とはまさにこの通りである。
命と言えば、私たち人間も、また蝶々も森羅万象にあって、ただただ「命ひとつ」に生かされているのである。
 秋の蝶をこのように詠いあげたときの作者のはればれとした顔が見えるようである。

  


   唐紙の大きな穴や秋の暮   石原虹子
   後の月畑に二葉の出そろひて   山森小径
   目ぱっちり肉食系の鵙美人   永瀬なつき
   青すだち瀬戸の朝湯を香るかな   平野 翠
   紅葉山鼓膜ぴきつとなりにけり   松井あき子
   野路菊のかぼそき茎や花たわわ   加藤かづ乃
   水飛沫上がる流れや初紅葉   石堂光子
   浅海でありし地層や鵙の贄   日下しょう子
   尻餅に甘藷はなさぬ畑の子   二村結季
   家に入れば衝立の龍目を剥けり   伊藤欣次
   ホールまで打ち寄せさうな秋の波    菊地後輪
   天高し歩幅広げて通院す   関野瑛子
   秋天や羽を窄めて鳶の二羽   佐藤昌緒
   乗り継ぎの三番線や走り蕎麦   中澤翔風
   秋麗や屈めば鯉の裏返り   伊藤 波
   秋晴や植物園は坂の上   田中朝子







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草深昌子を中心とする句会・選後に(令和4年10月)花野・カルチャー合同吟行会  

2022年11月12日 | 俳句
令和4年11月7日(月)、立冬にして快晴の日、洗足池(東京都大田区)を吟行しました。
紅葉の真っ盛り、息を呑むような美しさでした。
洗足池の由来は日蓮聖人がここに足を洗ったことによるそうです。


   

以下は、共鳴を得た俳句の一部です。草深昌子選(着席順)

 湧き水や草あをあをと小六月  町田亮々
 八重に咲く薔薇の蕾や小六月  亮々
 エサ禁」の鯉のあはれや蘆の花  亮々
 箒目に団栗一つ乗つてをり  中原初雪
 何鳥かその尾の紅葉ふるはせて   初雪
 青き馬冷たき脚を上げてをり  小宮からす
 黙々と池を巡るや冬衣   からす
 冬に入る中敷きふかふかしてをりぬ  からす
 桜山紅葉の山となりにけり  中原翔風
 袈裟懸けの松に合掌今朝の冬   翔風
 冬鳥の滑る水面や太鼓橋   平野 翠
 鴨真似て鳩のもぐるや池の冬   翠
 餌くれぬ人につれなし鯉の冬   翠
 鯉の口あまた揃ひて冬浅し   松井あき子
 子ら去つて汀に鴨の寄り来たる   あき子
 玩具めく洗足駅の小春かな   奥山きよ子
 鳰もぐれば散つて紅葉かな   きよ子
 銀杏散る鳥居の高き池の端   田中朝子
 杭の上に動かぬ鳥や冬ぬくし  朝子
 立冬の池へ突き出す小桟橋   東小薗まさ一  
 水澄みて日蓮聖人遥かなり   まさ一
 櫨紅葉坂のどこかに水の音   二村結季
 鯉の口銀杏落葉を食んでをり   結季
 立冬の三連橋の見ゆるかな   菊地後輪
 団栗の爆弾かとも壁を打つ   後輪
 木の実降る袈裟懸け松は三代目   河野きなこ
 蘆を刈る女庭師や弁天堂   きなこ






 立冬や池の真中に三羽ゐる     草深昌子
 一つ池そつくり紅葉かつ散れり
 上人のお御足すすぐ紅葉かな
 日蓮のこと言ふコート赤きこと
 寿司食うてビールを飲んで紅葉かな

  ご案内は、洗足池を望む高層マンションにお住まいの青草会員、町田亮々さん、
  カルチャー教室受講生かつ青草会員の中原初雪さんでした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青草本部句会 2022年11月

2022年11月11日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼題「酉の市」 席題「色」
 
        
           
 茶の花の垣根たどれば蔵のあり   松井あき子          
 蜘蛛の糸繋ぎとめたる蔦紅葉   奥山きよ子       
 山鳩の声に振り向く冬隣   きよ子
 がまずみの傾ぐ水湧くところかな   きよ子
 福引の五等桃色文化の日  きよ子
 蜜柑黄色にかみきり虫を落としたる   二村結季
 厨から見遣る枯木は柏かな  結季
 道すがら蒟蒻掘つて貰ひけり  結季
 その色の褪せて長押に熊手かな   河野きなこ       
 ボール蹴る子を見降ろすや樗の実   きなこ
 残菊や車椅子押す人の杖   松尾まつを
 冬の蚊やまとはり付いてゐるばかり  湯川桂香 
 ペコちゃんに持たせてみたき熊手かな   小宮からす

        


 銀鼠色に暮れゆく熊手市   草深昌子
 夜を寒み室生犀星句集など
 小春日の金色殿に至りつく
 頬被色好みにはあらねども
 冬来たる電車の床は日の色の
 鍛冶屋から人出て種を採つてをり




 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青草通信句会 2022年11月

2022年11月10日 | 俳句
草深昌子選 (順不同)
兼題「小春日」

   
  

       辞書を手に落葉の坂を登校す      千世
 一と続きに叙述のかたちになっていますが、上五にちょっとした小休止があって、落葉の「坂」に、息遣いを感じさせるものになっています。

  柿貰ふこの顔多分禅寺丸  湯川桂香
 禅寺丸柿は川崎市麻生区の柿生の柿で、日本で一番古い甘柿です。昨日、寺家ふるさと村を吟行して、鈴生りの小振りの禅寺丸に見惚れてきたところです。そこで「この顔多分」に惹かれました。この顔とはもちろん柿の顔です。

  子の服を脱がせ洗うて小春の日   桂香
 子は思い切り服を汚して帰ってきたのでしょう。親も子もはつらつたる明るさの小春です。中七の丁寧な表現に落着きがあります。

  竹林の奥から日射し冬ぬくし   田中朝子
 「竹林の奥から」という情景の日射しは、冬ならではの清々しさを感じます。明るさの中にあって、何やらほっとするような温もりです。

  白茶けしブリキのバケツ冬日向   神﨑ひで子
 「白茶けし」とは作者ならではの言葉です。しかもブリキのバケツ。その存在を示しただけなのですが、あきらかに「冬日向」の日差しが見渡せます。

  小春日の天守四方を開け放ち   佐藤昌緒
 天守、しかも四方という絶好の展望が小春日和をスカッと壮大に見せます。

  番犬は伏して半眼小六月   冨沢詠司
 その辺の犬でなく、「番犬」がいいです。そして「伏して」、「半顔」とすかさず続けます。韻律の上からも穏やかな日和が引き出されています。

  膝に本手にお握りの小春かな   芳賀秀弥
 食べて、読んで、幸せな気分がそのまま小春日和にかなっています。

  小春日や大山道のよく掃かれ   森田ちとせ
 大山道は霊験あらたかな阿夫利神社へ参詣する古道です。その道は落葉掻きも絶やさずゴミもなかったのでしょう、清潔なところに着目して、敬虔なる気持ちがこもります。

   門入ると蔵に日のさす小鳥かな   二村結季
 山地で囀っていた鳥たちがお屋敷の明るき庭先に降りてきてしきりに鳴いています。こんなよき秋の日和は先日の山十邸で見た通りです。
 この句は虚子の〈遠山に日の当りたる枯野かな〉と同じ文体です。この表現方法を習得しますと句作りの幅が広がります。


   


  小春日のお化け出さうな門構へ   草深昌子
  小春日やパンダの糞を袋詰め
  厠まで廊下長しや小六月
   


令和4年11月・青草通信句会・講評  草深昌子

  あたたかき十一月もすみにけり    草田男
 今年も暖かな十一月の幕開けとなりました。穏やかな日和にほっとしますが、いつしか気ぜわしくもなっていきます。

  古家のゆがみを直す小春かな     蕪村
  海の音一日遠き小春かな       暁台
  小春日や石を嚙みゐる赤蜻蛉     鬼城
  玉の如き小春日和を授かりし     たかし
 初学の頃感銘した小春の句々は枚挙に遑がありません。
 「小春」ほど親しみやすく、作りやすい季題はないように思います。その分、いかにも小春らしい、予定調和な俳句になりやすいです。
 俳句らしい俳句は俳句ではありません。俳句は因果関係で成り立つものではありません、無意味なものでいいのです。

 俳句に未熟の頃は難しい理屈や理論を述べがちですが、修練を積んで上達した方々は、簡単で、平明な言葉しか用いません。
 詩情といいますのは、素朴な心、単純な心からごく自然に生まれるようです。子供の心と言い換えてもいいでしょう。
 私も体験のあることですが、俳句を作ろう、作ろうと考えていますと、心が躍動しませんので、俳句に勢いが出ません。俳句を作るにあたって、「深刻にならない」ことが大事だと気付かされます。

 サッカー・ワールドカップが間もなく開催されます。「神は細部に宿る」と言いますが、サッカーに於いても「サッカーは細部に宿る」と言われています。細部に期待して今はワクワクしています。
 何より「俳句は細部に宿ります」。
 世の中のディティールは不思議に満ちています。作者の思いを伝えるのではなく、何がどうだ、何がどうある、ただそれを言っただけでいいのです。自然の変化に富んでいることに驚いて参りましょう





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青草中央句会吟行 2022年10月27日

2022年11月07日 | 俳句
   本厚木駅から40分ほどの路線バスを降り、静かな住宅地を抜けると、古民家山十邸(明治時代の豪農、熊坂半兵衛の元邸宅・国登録有形文化財)があり、句会はその和室で行われました。
山十邸をはじめ、近くには中津川が流れ、龍福寺、八菅神社と八菅山いこいの森など散策の地には事欠きません。
    当日は穏やかな小春日でしたが、時間の都合もあり、すべてを廻ることはできませんでしたが、晩秋のこの時期、参加の方々は
思い思いの場所で句作に励まれたようです。趣のある句会になりました。
   コピー機も暖房も無いと言う条件の中で、幹事の方々には本当にお世話になりました。



吟行地 愛川町、龍福寺周辺 

              古民家山十邸にて


草深昌子選(順不同)

 家に入れば衝立の龍目を剥けり  伊藤欣次
 一振りの刀静まる秋座敷  小宮からす           
 蔵の前その一本の棗の実  川井さとみ          
  行く秋や熊坂細く木々の中  松井あき子         
 虫喰ひの縁側きしむ暮の秋  あき子
 森の秋米粒ほどの実の赤し  平野 翠            
 浅海でありし地層や鵙の贄  日下しょう子        
 行く秋の水に添うたる家並かな   山森小径      
 晩秋の日は暖かき句会かな  間 草蛙
 開け放つ奥の座敷や鵙の声  二村結季 
          
  
                山十邸 門


 稲掛けて山を遠くに向かう岸  草深昌子
 奥つ城のこの辺鮎の落ちゆけり
 あをあをと愛川町を秋の逝く
 古家に絨毯赤き句会かな
 熊坂は細くけはしく小鳥かな



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする