今年は例年に無い猛暑続きの中、
令和6年8月に「青草」16号が発刊されました。
今号から多少の変更もあり、より充実した誌面になっています。
その一部をご紹介しましょう。
青山抄 草深昌子
紫陽花や蝶の越えたり潜つたり
いしぶみをなでまはしゐる風涼し
松が枝の湖へはりだす夏越かな
肌脱ぎのその強運をうたがはず
ラムネ玉ここは都のどまんなか
草々の木々めく梅雨の茂りかな
涼風や鷺のゆばりは紐のやう
物のうら物のおもてや蚊の唸り
若きらは円座に尻をあまさざる
老鶯や寺のうしろが藪表
うち晴れて緋目高の色うすれたる
六月やあはれ螇蚸の鼻大き
鎌倉はそつくり青葉山であり
蝉丸をおもへば定家葛咲く
上蔟やそこ行く川の平らかに
夏シャツの小花もやうの男かな
拾うては嗅いでは捨ててサングラス
てんと虫その背にのせて天道虫
春夕焼見えて聞こえて子ら遠く
西に生れ東に老いぬさくら餅
さつきから花びら掃いてばかりかな
鼻と呼ぶこの半島や春大根
年寄の椿拾うておどけたる
チューリップ向かうの丘は女子美大
雨とんで風と来たるや炉の名残
孔子廟あんずの花と知れるまで
裸灯をものの裏手の涅槃かな
烟ゆくやうに雲ゆくひばり笛
蔓物が好きでセーター重ね着て
梅屋敷入つてすぐの募金箱
(「ウエップ俳句通信」140号掲載句を含む)
青草往来 草深昌子
いつだったか、朝日新聞のコラム「折々のことば」に、桂米朝の「落語は正面きって述べたてるものではない」があった。落語は汗を流して大熱演する芸でなく、遊びと軽みの感覚で大きなことは望まない、庶民の思いに寄り添うものだというのである。
大阪生まれの私は落語に限らず、「お笑い」に育ててもらったようなものである。誰かがぼけると誰かが突っ込むというのが普通の暮らしであった。こんな環境に育っているから、「東京の保育園ではパーンと搏つ恰好をしてもキョトンとしているが、大阪の保育園だと何人かは撃たれる格好をする」というのも頷ける。大阪人は東京人に比べ、落語の落ちを聞いての反応が早い。また、動物園の猛獣の檻の前には「危険ですから手や顔を近づけないでください」ではなく、「かみます」と一言。
落語といい、ストレートといい、関西の文化は俳句と似通っているところが面白い。
「アホになれんやつがほんまのアホや」という「関西の言い伝え」もコラムに載っていた。優等生然としないで、自分を笑われ役にして、最後に「しやあないなあ」というような人の方が信頼されるのである。
そう言えば大峯あきら先生も関西人。句集の書評を書くにあたっては毎回「無知をさらけ出しなさい、ええ恰好したらアカン」と念を押され、句作に悩むと「飾りをつけたらアカン」であった。
今年は高浜虚子生誕百五十年。新編『虚子自伝』(岸本尚毅編)に、虚子は「平凡な人間を自称した」とある。
初学時代、虚子の多くの句に圧倒されながらも、一方で「アホちゃうか」と、落語ならぬ俳句のおとぼけにお手上げだった。ユーモアも軽みも俳句の奥深さを何一つ知らなかった頃のことである。
虚子は韜晦と言われもするが、ほんまのアホではないということは確か。すぐそこに届きそうと思わせながら、あまりにもはるけき巨匠虚子ではある。
明易や花鳥諷詠南無阿弥陀 高浜虚子
芳草集
春の水雀行つたり来たりかな 佐藤昌緒
猫柳そのふちどりのひかりかな
かげろひて鉄塔にゐる鴉かな
ときに吹く風に顔上ぐ潮干かな
秋薔薇からす揚羽のゆつたりと
つつましく酒を頼むや薬喰
元朝や日輪眉にあたたかき
暮れかかる坂は親しき臭木の実 奥山きよ子
鳶の声仰げば時雨来たりけり
羽子板市玉三郎が一列目
お降りのあとや雀ら西を向き
鳩の尾の薄紫に春立ちぬ
蓮の実の一つ仰向く薄氷
巻き舌で呼び込む春の露店かな
青草集
文机の眼鏡に薄く春の塵 冨沢詠司
番犬の上目遣ひや小鳥来る
広々とロープ張られて芝青む
稜線のみるみる消ゆる冬至かな
まな板の音して今年はじまりぬ
春光や遍く青きフェアウェイ
秋風や雲てんてんと常ならず
水先船鴎の飛んで鰡飛んで 森田ちとせ
侘助に重たきけふの雨雫
冬の日や静かにひと日またひと日
トレランの標をちこち笹子鳴く
早春の日差しかちつと窯開き
いまさつき居りし頂陽炎へり
安曇野の川は急がず猫柳
大峯あきらのコスモロジー⑫ 草深昌子
大峯あきら自選句集『星雲』の帯文にはこうある。
――季節とはわれわれの外にある風物のことではなく、われわれ自身をも貫いている推移と循環のリズムのことである。世界の中の物は何ひとつこのリズムから自由になれない。――
同書の「栞」には、池田晶子が〈虫の夜の星空に浮く地球かな〉を鑑賞している。
この句が悩ましいのは結句が「地球かな」とくるところ――虫の音と星空に一体化して憩っていたこの私、これは確か地上に存在していたはずだ。ところがその眼が突如として、宇宙の真中に見開いた。宇宙から地球の私を見た。地球の私を見ているこの眼は、一体誰の眼、誰なんでしょうか。(中略)じっさい、外界の星空を眺めている私の内界にその星空は存在するなんて、とんでもないことですが事実です。――
大峯あきらの帯文と池田晶子の栞はことばの宇宙のなかに響きあっているようだ。
『星雲』の翌年、二〇一〇年(平成二十二年)第八句集『群生海』(ぐんじょうかい)が刊行された。作者七十六歳から八十一歳まで五年間の作品である。本句集は毎日芸術賞、詩歌文学館賞を受賞した。
「群生海」は浄土仏教の聖典から拾った言葉で、生きとし生けるものという意味であり、「言葉を探し求めて迷い、ふと言葉を得てはよろこぶ私もまた、群生海の一員であります」とあとがきに記されている。
平成二十二年九月、刊行したばかりの本書を吟行先の長命寺で頂いた。帯の一句〈まだ若きこの惑星に南瓜咲く〉の斬新さに呆然としていると、すぐさま書評を書くように勧められた。(その書評と一部重複)
この日は近江八幡水郷を巡って葭蔵なども見学、かなり歩いた。師は葭の一本を吟行の間じゅう手放さず、バスに乗ると襟に挿された。思わず〈一穂の群生海の葭であり〉とつぶやいたのを覚えている。矍鑠としてなお少年のような師が、この時八十一歳であったとは。
悼 池田晶子
今朝引きし鶴にまじりて行きたるか あきら
その人の逝きたる春を惜しみけり
朧夜のどこかにゐると思ふなり
哲学者池田晶子との共著『君自身に還れ』では、この不思議な宇宙に生まれて死ぬとはどういうことなのか、宗教と哲学を混然一体にして、真理というべき謎を明瞭なる言葉で語り尽くされた。この頃の師は池田晶子と本当の話しができた喜びを何度も語られた。
降る雪に池田晶子を読み始む あきら
君逝きて二度目の春も行く気配
師に、池田晶子著『帰ってきたソクラテス』を勧められて以来、その他多くの池田著書を読み漁った。
――思索がおいしくなるのは人生の果実が熟する晩年。思索してゆくと、ある時、人生を思索するというより、人生それ自体が思索になっていると気付く。気付いたことによってそれはもう「自分の人生」ではなくなっている。「誰が」「何を」考えているのか。自分が考えているそのこと自体に巻き込まれてゆく。これが思索することのおもしろさ。巻き込むことで巻き込まれてゆくところの、この「自分」とは何なのか、その謎です。――
老いてなお思索がおいしくなるとは、大峯あきらの若さの秘訣ここにありと思われた。
まだ若きこの惑星に南瓜咲く あきら
この句に出会った時の眼の眩むような感動は今もあたらしい。思わず背丈がスーッと伸びあがるような浮遊感と透明感。それでいてまた何と硬質なる珠玉であることか。全く関係のない二物がすかさず取り付いた磁場の強さ、南瓜の花は俄かに垢ぬけして、その鮮黄色は金剛の如く光っている。まだ若きこの惑星を、まだ若き私と錯覚するからであろうか、愚かしい私は読むほどに嗚呼嬉しいと思う。無意識のうちに深く思索してあったものが、我知らず具象になって結実したのだということが容易に察せられる句である。
「自分の知らないところから出てくる言葉に出会う体験が一番嬉しい」、「言葉によって私たちが襲われるというのは詩だけが持っている独自の性格なんだ」という、その言葉通りの一句ではなかろうか。
読むたびに元気をいただけるのは作者の強さがそこに生きているからである。
冬の蠅子規全集にとまりけり あきら
簀戸入れて午から子規を読むつもり
子規もまた今ここに生きて在ることの不思議を思わなくてはおれない人であった。若き日に、「実に奇体なり この世界にこんなに家屋をたて人間がかく横行するかと思へばそれさへおかしきに、わが身がその人間に生れて、かく動きかく考ふるは如何にも妙なり 変なり 我は何物なるか、どうしたのか、どうするのか、ハテ奇体なり サテ奇体なり」と自分が茫として分らぬようになることがあると書いている。大いなる論を立てながら、自身への問いかけを忘れることのなかった子規、終には写生を通して造化の秘密に触れるまで、その文学と哲学は己が不思議の中に溶けあっていた。
子規全集からは「大峯あきら詩人ほど我にふさわしい対話者はいない」という子規の声が洩れてきそうだ。冬の日差しを背負って必然の如くやってきた一匹の蠅。何と清潔で、強靭な命であろうか。
簀戸は子規へ向かおうとする意気込みそのもの、物我一如である。「読むつもり」には、時間が前にも後ろにもひそんでいて、涼しさの風筋が見えるようである。
とめどなき落葉の中にローマあり あきら
女来て古城の木の実拾ひ去る
写実に発しながら只の即興ではない、風景の象徴化が成されるのが作者の詩法である。今という瞬時は永遠そのものであって、その奥深さに立ちすくんでしまうような気がする。共に、動画でありながら静止する静けさが古色蒼然として、時の流れを絵巻物にして見せてくれるような詩品を醸し出している。
花の日も西に廻りしかと思ふ あきら
花は日本古来の楚々たる山桜。吉野山中に惜しみなく日の光をいただいた桜狩の一日、夕日に移り変ってゆくその刹那を物陰から手を差し伸べるようにして言葉にとどめている。
あらましの星揃ひたる桜かな あきら
金星のまぎれこみたる桜かな
満月のはなれんとする桜かな
桜を愛でると言うことは全宇宙を愛でるに等しい。一回性の中に表出される光景の比類なきかたち、その花の俳句は文字通り一頭地を抜いている。
その辺を歩いて来たる桜かな あきら
ここに至って、作者はすでに桜の方から呼びかけられ、愛でられているのであろう。いかにも楽しげである。その辺は吉野のそのあたりかもしれないが、読むほどに広大無辺のようにも思われる。
迷ひたる如くに花の中にをり あきら
実はこの日、大峯あきら先生、山本洋子先生、私の三人で吉野の西行庵を目ざして満開の花の下をただ黙々と歩いていたのだった。上千本あたりでふと気付くと先頭の洋子先生がいない、束の間ではあったが師と私は迷子になってしまったのであった。
夜の句座でこの句に出会って、「如く」の絶妙に唸らされた。もとより、俳句は事実にあらずして真実を詠うものであるが、ここには作者その人の生身は消え失せて、読者の方が花の中に投げ出されたようである。
自分を無にして、そこから自分の本当が出てきたとでもいうようなものであろうか。作者において思索と詩作はつねに一つのものになりきっている。
ただ、しーんと、この世に咲く花の爛漫を思うばかりである。
秀句集 草深昌子
ときに吹く風に顔上ぐ潮干かな 佐藤昌緒
つつましく酒を頼むや薬喰
彼岸の頃の大潮は一年中で潮の干満の差がもっとも大きく、砂浜は遠くまで干上がって潮干狩りの好期である。貝を採る楽しさに加えて、海水に濡れる心地よさ、そこへ「ときに吹く風」がたまらない。潮干の清々しさに満たされてゆくさまが手に取るようである。
二句目、寒中にいざ獣肉をいただく、その畏まった状況が「つつましく」に言い尽くされている。
文机の眼鏡に薄く春の塵 冨沢詠司
春塵といえば高野素十の〈春塵や観世音寺の観世音〉が思われるが、掲句はそんな大それたものではない。
文机に置いた眼鏡にも、うっすらと春の塵が浮いているというのである。このささやかな気付きが、昔の文士のそれのように、ゆったりとした趣を醸しだしている。「薄く」の描写が効いている。
暮れかかる坂は親しき臭木の実 奥山きよ子
臭木は葉や枝が臭いところから付けられた名のようだが、その白い花には芳香がある。晩秋になると瑠璃色の実がついて美しい。俳句に親しむまで全く知らなかった地味な臭木は今や大好きな木である。
そのせいか、掲句の詩情はそのまま私の身に染み入るようである。坂なるそこは、臭木の花にそして実に心を寄せてやまないところなのだろう。作者の切実に季題の方から胸をひらいてくれたような一句。
冬の日や静かにひと日またひと日 森田ちとせ
目に見える映像を結ぶものではないが、実感がある。自分に言い聞かす自分の言葉といえばいいだろうか。そんな静けさは読者にもひびいて、日の暮れの早い冬の日をしみじみと惜しむものである。
揺り椅子にまどろむ母や日日草 川井さとみ
日日草は文字通り夏から秋にかけて次々と日々咲き続ける。そんな日日草のひとこまが何とも愛らしく清らかに写し出されている。揺り椅子はロッキングチエアであるが、このゆるやかな揺れが日日草のそれのように母のまどろみを誘い出していかにもやさしい。
娘来てばしばし捨つる煤払 山森小径
一年間の煤を払って新年を迎えるには、先ずは不用のもの、古いものを捨てたい。だがもったいないものばかり、そこへやって来た娘さんはもう「ばしばし」である。驚くひまもないほどに清めきった煤払のよろしさ、オノマトペが利いている。只事のようであるが、これと同じ体験をしながら私には詠えなかった。
この一句をもって、作者自身が過去の自分を突き抜けるような新鮮さを得られたのではないだろうか。
あたたかやバスステップの下がりくる 小宮からす
我々市民が日々利用している神奈中バス。開いた扉から一段ステップがすっと下りてきたというのだ。こんなところにはっと気が付くとは何と凄いことだろう。
聞けば作者は骨折のため松葉杖をついていて、有難い気持ちが思わず一句になったのだという。これほど心のこもった暖かさがあるであろうか。
日の当たる上りホームや初鴉 松井あき子
鴉は年中その辺に見かけてあまり喜ばれる鳥ではないが元日ばかりは初鴉として迎えたい。「日の当たる」も「上りホーム」も賛辞であり、目出度さである。
新年を迎えた作者の心意気が初鴉を通して晴れやかも穏やかに伝わってくる。
老農夫足を定規に芋を植う 漆谷たから
吉野山吟行で、上千本の山家にお邪魔したとき〈種芋をころがしてある子供部屋 山本洋子〉なる俳句が出て、はじめて種芋を知った。さて、その種芋を植えるのに、その幅を計るのに、足を定規にするというのだ。なるほど手際がいい、いや足際がいいではないか。年季の入った仕事であろうことは、老の一字が物語っている。
馬跳びの靴とばしけりげんげん田 二村結季
馬跳びとは懐かしい遊びである。一人が馬のように前かがみになっているところへ、他の子が次々と股を開いて飛び越えていくものではなかったか。こういう連帯感のある遊びほど紫雲英にふさわしいものはないだろう。 元気溌溂のイメージが蓮華草をいっそう輝かせる。
陽炎の中や始まる川浚ひ 湯川桂香
陽炎は雨降りのあとなど水蒸気が地面から蒸発して上昇してゆくとき、空気がかき乱され、それを通して遠くの物体が浮動して見える現象。だがそれ自体はっきりしないところから、捉え難い季題ではある。
ところが、掲句は現実に即して、明らかに陽炎を詠いあげている。町内で一斉に行われる川浚いであろうか。先に述べた陽炎の現象が人々の動きに見え隠れしつつ、包み込もむように立ちのぼってくる。
老人の腰の伸びたる秋の虹 平野 翠
虹の美しさには息を呑むばかりだが、秋に立つ虹はことのほか心惹かれるものだろう。虹の下にあって、ほおーっとばかり老人の腰が思わず伸び上がったという。刹那ながらもすばらしい光景である。
高齢化の中にあって老の句も増え続けるだろうが、人の世の負を正に転換してくれる俳句は嬉しい。
椎茸をもどすにほひや賀状書く 古舘千世
年末には様々の用事が押し寄せる。これを乗り越えんとする主婦の賢明にも慎み深いすがたである。椎茸をもどすという、ゆったりとした時の流れにあって、賀状をしたためる心にも落ち着きが生まれていることだろう。
攩網の子らの駆け行く春の風 泉 いづ
攩網は魚をすくうための小さい網。水も温み始めると、子どもたちはザリガニや鮒を求めて攩網を振りまわすのだろう。土手であろうか、池の周辺であろうか駘蕩たる春風はまるで子らを追いかけるようにやさしく吹き渡ってゆく。
教官のシャツ一枚や小春空 大村清和
小春は立冬が過ぎても春のように暖かい晴れた日のことである。作者は「教官のシャツ一枚」に小春を感受した。教官といういささかいかめしいひびきのある者が、脱ぎに脱いでなんとシャツ一枚だという。教官にして恰好つかないさまが、小春の青空の透明感に相殺されて美しい句に仕上がっている。
串刺の魚炙るや隙間風 加藤かづ乃
現代では隙間風の実感は捉え難いのではないだろうか。だが掲句はそんな古風な季題にいのちを吹き込むように詠いあげられている。洩れてくるのは思わずニタッとするようなにおいである。こんな隙間風なら身に沁み込むような寒さもただなつかしいばかり。
理科室にバケツ三つや蝌蚪の水 渡邉清枝
蝌蚪の兼題で多くは池や川のそれを詠いあげたが、理科室の蝌蚪には意外性がある。俄然賑やかになった理科室に先生も生徒も笑顔が弾ける。バケツに生きる蝌蚪の命もまた光っていることだろう。
着流しや杏の花を見に来たる 河野きなこ
着流しというと〈バスを待ち大路の春をうたがはず〉と詠った石田波郷が思われてならない。そんな読者の勝手な思い込みを裏切らないどころか、なお新しきムードを醸し出してくれる「杏の花を見に来たる」である。梅にあらずして、桃にあらずして、杏の花がいい。
杏の花をよく知らなくても、語感からして既に幸せな気分がもたらされる。
以下の句に、注目しました。
春塵やアルミサッシの窓ガラス 松尾まつを
豆撒くや身振り大きく声小さく 柴田博祥
どれどれと祖母も加はり歌留多取 佐藤健成
鳶職は金具じやらじやら冬はじめ 間 草蛙
楪やタイムカプセル掘り出しぬ 神﨑ひで子
枇杷の花母校の名前変はるとや 石堂光子
黄落の庭にサーフィンボードかな 中澤翔風
鶏頭を抱へたる子の通りけり 松原白士
浜焼や頑固蛤口割らぬ 中原初雪
一月や松は静かに門被り 市川わこ
囀の繁みの中にゐるらしき 田中朝子
孵化をして水なき蝌蚪の悲運かな 町田亮々
十六夜大きく出でし屋根の上 黒田珠水
神集ひ別れの酒を汲むと言ふ 伊藤 波
巡業や鬢付け油匂ふ春 竹内あや
冬の月遮るものは何も無し 木下野風
着飽きたるセーターいつか妻の身に 伊藤欣次
寺のもの磨く小春や手分けして 日下しょう子
小鳥来て網戸に肢をかけにけり 東小薗まさ一
高々と一日天下奴凧 鴨脚博光
バスの窓釣瓶落しに灯りけり 佐伯柚子
冬紅葉鹿も出てくる社かな 芳賀秀弥
村中の柿の枝切り冬構 海内七海
「芳草集」の巻頭・次席、「青草集」の巻頭・次席を含め上位十名の他は句稿到着順に掲載しています。