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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

『大峯あきら全句集』(青磁社)

2025年01月27日 | 俳句
『大峯あきら全句集』(青磁社)
   初版発行日   2024年12月19日
   著者       大峯あきら  『大峯あきら全句集』刊行委員会編
   発行者      永田 淳
   発行所      青磁社

   

   第一句集  紺碧の鐘
   第二句集  鳥道
   第三句趣  月讀
   第四句集  吉野
   第五句集  夏の峠
   第六句趣  宇宙塵
   第七句集  牡丹
   第八句集  群生海
   第九句集  短夜
    『短夜』以降 「晨集」より48句

   解説   詩人として生きる   中村雅樹

   大峯あきら年譜
        季語索引
        初句索引
   あとがき


 大峯あきら全句集  栞

   
  
    季とことばをめぐって   片山由美子
    大風の中の花       岸本尚毅
    造化の懐へ        角谷昌子
    大峯あきら先生と「南風」   村上鞆彦
    「座敷童子」の哲学的俳句   田島和生
    人は死なない          草深昌子




   人は死なない   草深昌子

 大峯あきらの「机」に憧れている。
先生は「俳句実作者には、悪戦苦闘の修羅場があるだけだ」という。
修羅場の只中に、言葉に掴まれる不思議な瞬間がやって来る、その喜びの机である。

 朝顔や仕事はかどる古机

 清新なる朝顔を前に、急ピッチで筆が進まない訳はない。
流れゆく刻々をとどめて、朝顔も人も磨き込まれた机も、今という時の命を一つにしている。
朝顔と交響しつつやがてその思索は広大無辺へ出てゆく。
 〈蒔くための花種を置く机かな〉〈芳草を踏みてはもどる古机〉〈文机にいま廻り来し秋日かな〉など、一瞬たりとも同じ世界は存在しないという、ダイナミックにも強靭なる詩精神の座った机である。
 大峯あきら俳句の神韻は、宇宙という大いなる命を肯定する比類なきやさしさがもたらすものであろう。

 先生に初めて吉野でお会いした時、にこにこと歩み寄って「俳句は自我を出したらアカンよ」と言われた。一緒に歩かせてもらう喜びに浸って、その真意を考えもしなかった。
見兼ねて、リルケの『若き詩人への手紙』を読みなさいと戒められたこともあった。
 先生は、高浜虚子から「本当に感じたことを素直に言うのが俳句です」と教えられ、それが解るのに、五十年かかったという。芭蕉の言葉、虚子の言葉を継いで、自身の言葉で「俳句は自我を出さない」という信念を貫き通した生涯であった。
 最晩年の言葉にこうある。
――人間の言葉よりも先に人間に呼びかける宇宙の言葉がある。
その言葉を聞いたら、人間の自我は破れ、その破れ目から本来の言葉が出て来る。それを詩という名で呼ぶのである――
 「詩という名で呼ぶのである」という表現に、先生の大峯顯僧侶としての「南無阿弥陀仏という名で呼ぶのが阿弥陀さまである」という口吻が立ち現われてくるようである。
毎年十二月一日、報恩講に参詣させていただいた。
 先生は「説教は人間が話をしていると思って聞いていたら浄土へ行けませんよ、
 仏さまにこう言えと言われて喋っているだけ」と、まさに阿弥陀が火達磨となるような形相であった。
 阿弥陀は命そのもの、宇宙と同義であることが身に沁みて分かった。

 亡くなる一か月前のこと。ご法話の最中に、ふと大勢の聴聞衆を前に私を指して「よき俳人です、いい俳句を作ります、私の長い間の友人です」と身を乗り出すように話されるではないか、一体どういうことであろうか。今まで報恩講に俳句の話は一切出なかった。
親鸞が弟子一人も持たずとは説かれたが・・・誰よりも叱られたことをもって一番弟子と呼ばれていた凡愚に、仏さまの慈悲を授けて下さったのであった。
 先生の教えの中で、唯一明らかに分かったことは、「人は死なない」である。
 月を仰ぐと思わず手を合せて拝んでしまうのは大峯あきらがそこに生きているからである。
 死者と共に生きるとは何と濃密なる味わいであろうか。
 この世に生まれて大峯あきらと邂逅できた幸せを噛みしめている。




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草深昌子を中心とする会・令和6年12月

2025年01月27日 | 俳句
草深昌子選

  


  若者の重ね着まるで色見本   川井さとみ
 寒さを防ぐためにシャツやセーターを何枚も重ねて着ることが「重ね着」で、当然のように「着ぶくれ」てしまう。
〈着ぶくれて老いの命を惜しむなり 風生〉の如く、そのほとんどが年寄りの代名詞のような詠われ方であった。
 そこへ若者の重ね着が現れて、目が覚めた。
 色見本というからには様々の色の組み合わせを楽しんでいるのだろう。
 防寒にあらざるおしゃれの厚着である。季語に付きまとう概念を吹き払ったところが清々しい、若干のジェラシーがなきにしもあらずか。
 
  車椅子押すやその背に葱の束   さとみ
 「葱」に非ずして「葱の束」がいい。どっさりの葱、さあどうするのだろう。逞しさのあたたかさが想像されて楽しい。

  まあ無事に此処まで来たか日向ぼこ   町田亮々
 一読、最高の日向ぼこではないか。
 思わず安堵の気持ちをもらさざるを得ない、そういう日向ぼこである。
 句が良いとか悪いとかのレベルを超えている。
 述懐しただけのように見えて、誰にでも詠えるものではないだろう。
〈うとうとと生死の外や日向ぼこ 鬼城〉の気分がただよっている。
 作者は加藤楸邨門下で長く俳句を学ばれ、齢90歳を超えてから、ふとしたご縁で「青草」に参加された。
 大峯あきらフアンになられてのことである。
「俳句は理屈にあらずして平明に素直に」をモットーに奮戦されている。

  柿干して大根干して師走くる   木下野風
 押し迫ったあわただしさの思いを引きつれて師走はやってくるのであるが、
この句には一つ一つに心を込めてきっちりこなしてこられたであろう、日々の静けさが感じられる。
 俳句をいかに作ろうかという俳句作法などはなく、日常のありのままを言葉に置き換えてみたのである。
 ただそれだけのことにして本当のことが、「師走くる」という季題の充足感をもたらしている。
 心して過ぎ去った日々の日差しが干し柿に干大根にたっぷり含まれている。

  湯豆腐を吹けばあなたも吹いてをり   佐藤昌緒
 「湯豆腐」と言えば即ち「湯気の向かうに」誰かが居る、何かが見えるというのが定番になっていて、ちょっと閉口というところであったが、この句の新鮮さはまた別格。
 それは「あなた」という措辞の品のよろしさであろうか。「吹いて」もいい。
 あっさりとしてダシのきいた湯豆腐、その熱々の湯気の味わいがたっぷり伝わってくる。

  日向ぼこ犬が通れば声かけて   山森小径
 心身のほぐれてゆくような日向ぼこである。
 穏やかでやさしそうな人のところへは犬だって尻尾を振って寄ってくることだろう。
 季題そのもののよき雰囲気を詠いあげている。

  裏窓に男女の影やもがり笛   小径
 寒風の吹きすさぶとき、電線や竿に当たって鳴るような音を「虎落笛」という。
「もがり」という言葉は竹を荒く組んだ垣根とも、ものをねだる、反抗する、駄々をこねる、等という意味合いを持つ方言だともいう。
 そんなもがり笛の中にあって、男女の影が裏窓にさしている、というのである。
 男でも女でもなく男女というときのニュアンス、窓は窓でも裏窓という物陰になって見えないというようなイメージが、怪しげにも陰気な風の寒さを印象付けるものである。
 
  子規庵の畳に冬の日差しかな   田中朝子
 根岸に平屋一軒家の「子規庵」が保存されている。
 作者は待望の子規庵にたどり着いたのであろう。
 子規の書斎は畳の間であり、そのまま病間であった。
 子規を思う心、その尊敬の一念は「畳」に込められている。
 冬の日は日脚も短く、すぐに寒々した感じになるが、この日はきっと存分にあたたかな日差がさしていたのだろう。
 作者はそこに居る子規を感じたに違いない。

  みたらしのたれのたつぷり漱石忌   松井あき子
 みたらし団子は何といってもたれがたっぷり効いているのがおいしい。
 旅先であろうか、ちょっとした出先であろうか、たまたまそんなみたらしにうっとりという場面になって、 はたと漱石忌であることに思い当たったというのである。
無類の甘党で知られる夏目漱石ではあるが、作者ならではの漱石に寄せる感性が醤油味のなかのふんわりとした甘味に思い当たったのかもしれない。


   


   定年を間近の上司日向ぼこ   石井久美
   一本の葱のにほひの車内かな    久美
   山茶花やプードル抱いて寺の人   奥山きよ子
   塩鮭の塩の塊ぬけて洞     湯川桂香
   日曜の真昼ほどよき寒さかな   小宮からす
   御殿場は高所なりけり冬の靄   からす
   霜晴の畑に張りたる白布かな   間 草蛙
   散紅葉渦巻く水の湧くところ   大村清和
   片手づつ手袋はめて笑ふ子ら   福本金魚
   戸締りの頬に染み入る寒さかな   葉山 蛍
   西空に月まんまるやけさの霜   冨沢詠司
   義士の日や明石海峡晴れ渡り   石野すみれ
   枯芝や雉子の一羽の尾の長き   神﨑ひで子
   緋目高のじつとしてゐる寒さかな   村岡穂高
   馴れ初めを語りだす父日向ぼこ  渡邉清枝
   建長寺からす天狗に紅葉降る   東小薗まさ一
   湯豆腐や遠く雨戸の閉まる音   柴田博祥
   叡山の麓のふくら雀かな    二村結季





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青草通信句会 2025年1月

2025年01月15日 | 俳句
草深昌子選 順不同
兼題「元日」

 
   


  真向かひに山ありありとお元日      奥山きよ子
 日常に見る大山でも、旅先の富士山でもいいでしょう。ともかく眼前に山あることのめでたさを確認しています。

  元日のオリオン仰ぎ眠りけり    石堂光子
 〈帰郷して冬三つ星の粒揃ふ 耕二〉を好きになって、星に弱い私もオリオンだけは覚えました。「オリオン」は冬の季語ですが、元日のオリオンはまた格別です。よき眠りを思います。

  書き初めや初めに書いた字の宜し   木下野風
 昔は新年の儀礼としてよく書きましたが、今は怠慢です。この句を拝見しますとなつかしくも身が引き締まります。この通り、下手とか上手とかでなく、第一回目に気合がこもります。穏やかな詠いぶりに、その字のよろしさがにじみ出ています。
 書初はまた俳句に通じます。素直に、飾らずに詠いあげますと、その人ならではの一句になるということですね。

  枝に添ひ氷柱くの字に日を弾く   加藤かづ乃       
 氷柱を長く見ませんので、「くの字」に曲がるような氷柱もあるものかと、楽しく想像させていただきました。「日を弾く」までは言わなくていいです。〈くの字に曲がりけり〉、〈くの字になりにけり〉などご一考を。

  元日やラジオ体操歌新た   川井さとみ 
 元日にもラジオ体操とは律儀でいいですね。さすがに、その伴奏の歌が新しいのです、うきうきと今年が始まります。

  見えずして声大いなる初鴉    日下しょう子
 なんだかめでたい鴉です。樹々より高いところから大きな声が下りてきます、そう、見えなくたっていいのです。


   



  元日や一つヨットの帆の真つ赤   昌子
  腰越の初松籟に下り立ちぬ
  海に日のかくもあたたかお元日
 


令和7年1月・青草通信句会講評   草深昌子

 令和7年1月の兼題は「元日」。
新しい気分で迎える、年の始めの日である。昔は子供なりに元日はめでたさの中に厳粛な雰囲気がただよっていることをそれとなく察知していたが、この「淑気」のおもむき、今はどうだろう。
  元日の手を洗ひをる夕ごころ  芥川龍之介
 今もって、元日と言えばこの一句である。淑気が漂ってあればこその「夕ごころ」ではないだろうか。
「元日」から始まって「二日」「三日」「四日」「五日」「六日」「七日」とそれぞれが新年の季題である。一日一日に感慨がこめられる。
  激流の上に年来る磨崖佛   大峯あきら
「年来る」は「新年」と同義である。自然の実景を書き留めたものだが、激流は人の世のそれのように感じられ、磨崖佛に救われる。 
「新年の句は総じてめでたくあるべし」と初学の師に教わった。
その通りだと思うが、元日から災害があるのがこの世でもあり、常識的なめでたさを詠うのではないだろう。

 さて、新年にあたって、句会の意義を再認識しておきたい。
 句会では投句のみならず、選句という、責任をもって佳き句を選別してゆく緊張感がある。俳句の上達法は「多く作り、多く捨て、多く読む」という「俳句三多」が有効である。この「多く読む」、つまり選句の学びの場として、句会が一番大切になってくる。

 大峯あきら先生は晨同人の錚々たる俳人の俳句を選ぶに当たって「選句は自分が試されている」と真剣であった。その結果、先生の特選は誰も採らない句であることが多かった。
レベルの高い俳句は、レベルの高い作句力のある人にしか選ばれない、当然のことである。つまり、選句力と作句力はほぼ一致するもので、初心のうちからよい選句ができるわけはないのである。
 多くの句会に出て、場数を踏んで、こつこつと修練を積めば積むほど、先生や先輩の選句が分かるようになり、自身の選句力もあがってゆく、これが俳句上達の近道である。

 以上は、元日に当たって、「先生」自身に言い聞かせたいことである。




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本部句会 令和7年1月7日(火)

2025年01月15日 | 俳句
関東地方は穏やかな年明けとなり日中はぽかぽか陽気だったが、
日本海がわの各地は大雪となり、その対応に苦慮しているニュースを見ると、
青天続きが申し訳なくなるほどであった。

草深昌子選  (順不同)
兼題「三が日」 席題「計」

 


 家計簿は婦人の友社福寿草   松井あき子 
 元日やくれなゐ深き輪島塗   あき子      
 目の大き盲導犬や初仕事    木下野風
 いちだんと大き大山お正月   野風
 重炭酸溶けて初湯の無色かな   小宮からす          
 松過ぎや小鍋にものをあたためて   山森小径    
 山中に籠もるがごとく三が日   小径
 風花や壊れしままの木戸の錠   中澤翔風

  
         

 勉強の好きな子供や隙間風    昌子   
 書初の撥も払ひも計らざる
 席題の「計」悩ましや初句会
 初糶の計算立たぬ勢ひかな
 文机はものの積み場の三ヶ日
 一つ計立てて真白や初暦




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