『大峯あきら全句集』(青磁社)
初版発行日 2024年12月19日
著者 大峯あきら 『大峯あきら全句集』刊行委員会編
発行者 永田 淳
発行所 青磁社
初版発行日 2024年12月19日
著者 大峯あきら 『大峯あきら全句集』刊行委員会編
発行者 永田 淳
発行所 青磁社

第一句集 紺碧の鐘
第二句集 鳥道
第三句趣 月讀
第四句集 吉野
第五句集 夏の峠
第六句趣 宇宙塵
第七句集 牡丹
第八句集 群生海
第九句集 短夜
『短夜』以降 「晨集」より48句
解説 詩人として生きる 中村雅樹
大峯あきら年譜
季語索引
初句索引
あとがき
大峯あきら全句集 栞

季とことばをめぐって 片山由美子
大風の中の花 岸本尚毅
造化の懐へ 角谷昌子
大峯あきら先生と「南風」 村上鞆彦
「座敷童子」の哲学的俳句 田島和生
人は死なない 草深昌子
大風の中の花 岸本尚毅
造化の懐へ 角谷昌子
大峯あきら先生と「南風」 村上鞆彦
「座敷童子」の哲学的俳句 田島和生
人は死なない 草深昌子


人は死なない 草深昌子
大峯あきらの「机」に憧れている。
先生は「俳句実作者には、悪戦苦闘の修羅場があるだけだ」という。
修羅場の只中に、言葉に掴まれる不思議な瞬間がやって来る、その喜びの机である。
朝顔や仕事はかどる古机
清新なる朝顔を前に、急ピッチで筆が進まない訳はない。
流れゆく刻々をとどめて、朝顔も人も磨き込まれた机も、今という時の命を一つにしている。
朝顔と交響しつつやがてその思索は広大無辺へ出てゆく。
〈蒔くための花種を置く机かな〉〈芳草を踏みてはもどる古机〉〈文机にいま廻り来し秋日かな〉など、一瞬たりとも同じ世界は存在しないという、ダイナミックにも強靭なる詩精神の座った机である。
大峯あきら俳句の神韻は、宇宙という大いなる命を肯定する比類なきやさしさがもたらすものであろう。
先生に初めて吉野でお会いした時、にこにこと歩み寄って「俳句は自我を出したらアカンよ」と言われた。一緒に歩かせてもらう喜びに浸って、その真意を考えもしなかった。
見兼ねて、リルケの『若き詩人への手紙』を読みなさいと戒められたこともあった。
先生は、高浜虚子から「本当に感じたことを素直に言うのが俳句です」と教えられ、それが解るのに、五十年かかったという。芭蕉の言葉、虚子の言葉を継いで、自身の言葉で「俳句は自我を出さない」という信念を貫き通した生涯であった。
最晩年の言葉にこうある。
――人間の言葉よりも先に人間に呼びかける宇宙の言葉がある。
その言葉を聞いたら、人間の自我は破れ、その破れ目から本来の言葉が出て来る。それを詩という名で呼ぶのである――
「詩という名で呼ぶのである」という表現に、先生の大峯顯僧侶としての「南無阿弥陀仏という名で呼ぶのが阿弥陀さまである」という口吻が立ち現われてくるようである。
毎年十二月一日、報恩講に参詣させていただいた。
先生は「説教は人間が話をしていると思って聞いていたら浄土へ行けませんよ、
仏さまにこう言えと言われて喋っているだけ」と、まさに阿弥陀が火達磨となるような形相であった。
阿弥陀は命そのもの、宇宙と同義であることが身に沁みて分かった。
亡くなる一か月前のこと。ご法話の最中に、ふと大勢の聴聞衆を前に私を指して「よき俳人です、いい俳句を作ります、私の長い間の友人です」と身を乗り出すように話されるではないか、一体どういうことであろうか。今まで報恩講に俳句の話は一切出なかった。
親鸞が弟子一人も持たずとは説かれたが・・・誰よりも叱られたことをもって一番弟子と呼ばれていた凡愚に、仏さまの慈悲を授けて下さったのであった。
先生の教えの中で、唯一明らかに分かったことは、「人は死なない」である。
月を仰ぐと思わず手を合せて拝んでしまうのは大峯あきらがそこに生きているからである。
死者と共に生きるとは何と濃密なる味わいであろうか。
この世に生まれて大峯あきらと邂逅できた幸せを噛みしめている。










