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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

青草俳句会 本部句会 令和2年10月9日(金)

2020年10月29日 | 俳句

兼題 後の月    席題   うどん

主宰選     

                               

 

      豊の秋雲梯に子のぶらさがり    山森小径

  雲梯は城攻めに用いた長い梯子の意味であるが、ここでは子ども達の遊具のための梯子である。雲梯を懸垂しつつ渡っていくのは元気盛んの子供であるが、時にはだらんと力を抜いたりして楽しいものであろう。

   この「雲梯に子のぶらさがり」と「豊の秋」との間には何の因果関係もないが、そのことがかえって一句の奥行となって豊かに実った秋の情景やその喜びが様々に察せられるものである。

 

     菩提寺へ一本道や後の月        小径

 「菩提寺」、また「一本道」が後の月の情感を遺憾なく発露するものである。

 

      鵙鳴くや甕の壊れを繕うて    河野きなこ

   ここ厚木市の秋は鵙の声とともにやってくる。

 水甕に罅の入ったものを縛り上げられたのであろうか、あるいは破片を巧みに繋ぎ合わせられたのであろうか、いずれにしても折から鵙の鳴く庭仕事が澄み切った空気感を思わせて爽やかである。

  鵙のキイキイキーッって叫ぶような声が、大事な甕に罅を入らせたようにも思われるところが味わいである。

 

      終電の明り落すや後の月     川井さとみ

  終電に最近は乗ったことがないので、くわしくはないが、終電という言の葉だけですでに灯火は暗いように感じる。終電に乗り遅れた場合は、「明り落す」どころではなく真っ暗闇であろう。

人の世の少しばかりの暗がりにあって、後の月はいっそう美しく仰がれるものではなかろうか。

後の月は名月の一か月後、十三夜であるから十五夜より少し欠けている、少しさびしい、やがて秋もすっかり更けていくのである。

 

     たつぷりと酢橘搾りてうどんかな   さとみ

「たっぷりと」がウマイ、この出だしでもって吸い込まれるように「酢橘搾りてうどんかな」と読み下ろして、ああ何て美味しいものであろうかと、それこそ余韻たっぷり。

    

      雲間より廊下を照らす後の月    芳賀秀弥

  ごく普通の言い方のようではあるが、やっぱり十五夜ではない十三夜ならではの一句。

〈名月や畳の上に松の影 其角〉を引き合いに出すまでもなく、「畳」に非ずして「廊下」なる措辞が後の月を明らかに見せている。

                                         

      後の月破れ障子の隙間より    松尾まつを

 その昔、子沢山の家では障子の破れは健康家族の証のようなものではなかったか。今もふとそんな障子の隙間から覗かれる月のあわれさ。

 木造家屋の日本人独特の月見のさまがゆかしい。

 「破れ障子」がやや露わに過ぎるので、推敲されてもいいでしょう。

 

      素うどんのつゆに浮べる秋の月    間草蛙

うどんと言えば「素うどん」が関西風ではあるが、この「素」の一字が月の清澄に静かにも呼応してなかなかの月あかりである。

「月」は秋の季語であるから「秋の月」というのは、先例がないわけではないが再考の要はあるだろう。

飯田蛇笏に、〈秋月や魂なき僧を高担ひ〉がある。僧が死んで、その亡骸を月下に高く担って火葬場へおもむいていくのであろうか。

   岸本尚毅著『ホトトギス雑詠選集100句鑑賞』にこうある。

   ――「月」と言えば秋季と決まっているが、敢えて「秋月や」という鋭い響きの語を選択したのである。「月光や」「月明や」「月の夜や」のような、生ぬるい上五では、この句はサマにならない。

 

                                       

 

  秋風に何かはじまる椅子の数   草深昌子

       道替へてみても坂なり十三夜

  素うどんの熱き近江を雁渡る

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2020年10月 第7回青草通信句会

2020年10月12日 | 俳句

草深昌子選                         

                     

  木犀の少し落つれば少し掃く  日下しょう子

一読はっとさせられました。木犀を詠いあげてあまりあります。さりげなく表出していますが、読者にその光景をあきらかに見せてくれます。日常を大切にされている作者の心持のよろしさが木犀と共に匂ってくるようです。

 

  蔓籠に蔓活けらるる良夜かな    米林ひろ

植物の蔓で編んだ籠に葛など蔓性の花を挿して、その自然の風趣を楽しまれています。素樸にも真ん丸の月がことのほか澄んでくる思いです。

 

  一房に籠の重さや葡萄狩      渡邉清枝

先ず初めの一と房、ずしっとしたその重量感に思わず収穫のよろこびが溢れます。ここには、〈亀甲の粒ぎっしりと黒葡萄 茅舎〉を髣髴させもして、見事な葡萄園がひろがっています。

 

  のぼる霧くだる霧あり宝剣岳     森田ちとせ

宝剣岳というものを見たことはありませんが、この字面から険しくも毅然と空に突き出した岳ではないでしょうか。その想像に紛うことなき「のぼる霧くだる霧あり」には霧のリアリティーが迫ってくるようです。

 

  三幕の跳ねて月夜を帰りけり   奥山きよ子  

歌舞伎など夜の部の三幕を堪能されたのでしょう、その感動のこころもちを抱きしめて月明りを帰ります。しみじみと豪奢な気分が漂います。

 

  名月や無重力感エレベーター     黒田珠水

地球にいながら無重力を感じるというのは名月の夜ならではの幻想的なエレベーターでしょう。ガラス張りのエレベーターでしょうか、作者独自の感受性。

 

  橋渡り秋の景色の変はりけり      伊藤波

例えば先日の宮ケ瀬ダムの大吊橋などを行きますと、まさにこんな感じでしょう。一つの発見です。「秋」というざっくりとした捉え方がここでは生きています。

 

  名月や白磁の壺のこつくりと   松井あき子

「こっくりと」というところに作者その人の名月に寄せる情感がそれこそこっくりとよく滲み出ています。白磁の壺が名月によくかなって、落着きのある佇まいを感じさせます。

 

  北斎の極彩色や栗おこは      佐藤昌緒

作者は日ごろから北斎の絵にほれ込んでおられるのでしょう、わけてもその色彩には圧倒されます。今いただく栗おこわもまた見事な輝きを発しています。

 

  月の夜に「橋弁慶」の謡かな    菊竹典祥

簡潔明瞭、朗々たる橋弁慶の響きが聞こえてきます。なにがなし懐かしい月明りです。私のような不調法には真似の出来ない一句です。

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2020年9月 第6回青草通信句会

2020年10月12日 | 俳句

草深昌子選

                                                            

 

  父の部屋九月の風を通しけり     奥山きよ子 

一読清々しい気分がたちこめました。直感的に「九月」が効いています。「母」でなく「父」の距離感がいいのです。               

 

  新涼の十二駅過ぐ山手線            きよ子 

表現の妙が何ともいい味わいです。新宿からですと上野あたりで下車でしょうか、行先は美術展でしょうか、作者の新涼にウソ偽りのない気分が表出されています。私の想像だけでなく、さまざまに想像させていただきましょう。

 

   秋風やウッドデッキに鉄の椅子         山森小径

木製のテラスに木製の椅子なら普通でしょうが、鉄の椅子があるという目の付け所に作者の感性のすばらしさがあります。ここにはまさしく「秋風」が感じられます。これぞ俳句です。          

                           

  吾見上げ押し黙る子や秋暑し           中原初雪

叱られて泣いたあとでしょうか、それとも別の場面でしょうか。母子共々に、心象的秋暑が静かにも充満しています。

                                         

  鶏頭や日の傾きて勝手口             佐藤昌緒

表現が簡潔明瞭で、夕日と照応する鶏頭の赤さが目に見えるようです。「勝手口」も人の気配をさそって、巧いです。

                                         

  野分だつ雲固まりて流れをり           市川わこ

野分めいた風が吹くことを「野分だつ」といいます。雲の状態をただならぬものとしてよく観察されています。

 

  葛の花蔓に蔓巻き地面這ふ        黒田珠水

しっかり見届けた写生です。出来るようで出来ない観察と表現です。「地面這ふ」まで詠って葛の花の哀れが滲みます。

                                         

  街中が皆鮮らけし野分後           冨沢詠司 

「鮮らけし」(あざらけし)なることばがまさにあたらしく立ち上がってきます。「街中が」は私としては「まちぢゆうが」と読ませていただきました。畳みかけるように「皆」が吸い込まれます。 いかにも野分後の雰囲気を醸し出します。何かと、特定しないところがいい。

                                         

  はらわたも喰へと母言ふ初秋刀魚       中澤翔風 

ハ音が三回続いて、初秋刀魚へ愛着がよきリズムにのって明確に伝わります。季題に「初」を付けるのは難しいですが、「初秋刀魚」は新鮮そのものです。

                           

  パソコンを替へてさくさく涼新た       佐藤健成

「さくさく」というオノマトペが作者の気分のよろしさを丸出しにしています。格好よく詠おうとして言える言葉ではありません。擬音とはこういうものです。                                      

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2020年8月 第5回青草通信句会

2020年10月12日 | 俳句

草深昌子選                                             

                                                 

 

  七夕の飾り見てゐる雀かな        平野翠 

「雀」にはびっくり。やっぱり俳句には驚きや発見が欲しいですね、この意外性こそ俳句です。伝説に基づく七夕という旧い祭のもとを見るようです、生きとし生けるもの皆、星を祭るのですね。

        

  金網にやんまの貌の黒きこと      佐藤昌緒 

「金網」がいい、「やんまの貌」がいい、「黒きこと」がいい、つまり一字一句スキなく緊密なる仕上がり。見た通りと言えば見た通りのものですが、このような「写生」の句はなかなか出来ませんね。

                                                       

  月満ちて松の梢を草の蔓          昌緒 

先日の梅雨明けの満月は大きく低くまことに美事でしたね。梅雨満月や夏満月と言い放つには惜しいような月でしたので私も「月満ちて」で一句にしたいと思いました。この句は「月」秋の句になりますが、「松の梢を草の蔓」からは晩夏の風趣が漂います。複雑な景をまことシンプルに詠いあげました。

 

  蝉時雨動物園の木立かな         石堂光子

無駄な措辞がなくて、つまり副詞や形容詞や飾り言葉がなくて、まさにまっすぐ、木立の如く芯の通った一句です。読者に蝉しぐれを存分に聞かせます。

 

  顔見つめやがてべそかく汗疹の子  松井あき子

まさに「汗疹の児」の実写ですね、子どもの心情が手に取るようにわかります、なつかしいです。

                                                       

  空き缶の風に転がる夜の秋     坂田金太郎

「夜の秋」なる季題の本情を自身のものにしている作者でしょう。季語が効いています。       

                                        

  靴底に浸みる細さよ今日の梅雨     泉いづ

下五の「今日の梅雨」が一句を包括してます。

                           

  蝉生る夕べ由々しきうすみどり    二村結季

実際に蝉の羽化を見届けなければ詠えない世界です。「由々しき」という措辞も美しく沁み入ります。        

             

  雲海や礁の如く嶺見つつ          森田ちとせ

飛行機から見た雲海を詠う人がいますが、それは無季のようなもの、これこそが「夏」の雲海です。体験者にして初めて詠えるものでしょう。

                         

  日傘より少し先行く盲導犬      佐藤健成

何と静かなる日傘でしょう、眩しいばかりの光景です。常套ではなく、作者ならでは物の見方が光っています、出色の日傘です。                 

 

  白南風の橋をよろけて渡りけり     間草蛙

白南風という夏到来の力強くも眩しい風が、「よろけて」というマイナーな一語でもっていっそう引き立ちます。頭では作れない、体で感じた本当の実感です。正直に詠うことが俳句の力を引き出すのですね。

             

  湧水を両手に満たす夏嶺かな     川北廣子

これぞ「夏嶺」ですね、清涼感満点です。                                             

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2020年7月 第4回青草通信句会

2020年10月12日 | 俳句

草深昌子選

              

 

  昼顔や風が運びし浜の砂      佐藤健成 

 何とも感じのいい句です、梅雨のうっとうしさが飛んでいきました。昼顔はどこにでも咲いているような花ですが、これは海辺のほとりでしょうか、淡い可憐な昼顔が見えてきます。

 

  七月や雨の明るく大粒に      山森小径           

「七月や」と大きく切って、「雨の明るく大粒に」と爽やかな言い切りが決まっています。ここには雨は暗いという概念はありません。「大粒」だからこその雨の明るさ、それが「七月」です。

  鶏小屋に鍵の二つや梅雨深む      小径           

「梅雨深む」とか「梅雨深し」とすると大抵失敗しますが、この句はフレーズと季語の関係がごく素直に肯われます。鶏小屋そのものが既になつかしく感じます。

 

  箱庭や置かれしままに箆二つ       佐藤昌緒           

最近はなかなか見かけませんが箱庭の風流は大好きです、どんな箆でしょうか、作庭時のものなのか、今ある箱庭の人物も含め想像が膨らみます。

 

  小歩きの端へ端へと片かげり    米林ひろ

いとしいかな「片かげり」って感じですね、小歩きの動きも片陰を見せます。

 

  風鈴の一鈴毎に夜の帳        平野翠

一鈴毎は「ひと鈴ごと」と読ませていただきました。なかなか言えそうで言えないことば、なつかしの風鈴です。

 

  太宰忌や頬杖の眼の定まらず    冨沢詠司

太宰治を思い、我が身を思う、雨も降ったり止んだり、やがて眼は一点に落ち着くでしょう。

 

  滴りの一滴土を削りけり      中澤翔風   

清冽な清水の雫、一滴と言えどその確かさが思われます。

 

  白南風や茶屋の主の声高し    奥山きよ子           

白南風は梅雨明けの頃の南風ですが、梅雨の晴間の風として詠ってもいいでしょう、その輝くような明るさに思わず大きな声があがります。

 

  紫陽花や厨の窓の擦り硝子      きよ子           

「擦り硝子」はつや消しガラスのこと、つまり「磨硝子」でしょうか。日々に趣きを変える紫陽花が美しく見えてきます

 

  棋聖戦袴涼しき着座かな       きよ子           

まさにピタリと俳句の姿もろとも美しく涼しく詠いあげられています。「着座」が素晴らしい。藤井聡太七段の天才ぶり、礼儀正しさ、今一番の楽しみです。

 

  葉鉄砲鳴るか鳴らぬか夏燕     二村結季           

情景がよく見え、とても明るく楽しいです。ちなみに「葉鉄砲」「草鉄砲」は季語として定着しつつあるところです。

 

  青大将鼠を呑んで進みけり       結季    

凄いですね、これ目撃されたのでしょうか。「蛇」にあらずして「青大将」とされたところが真実味となっています。

 

  鮎釣や川の真ん中陣取つて     石堂光子           

やる気満々の鮎釣りですね、韻律にも弾みがついています。

 

  七月の雨クレヨンの殴り書き          光子 

この「七月の雨」は「クレヨンの殴り書き」をもって、臨場感満点となりました。7音+10音という韻律も「雨」を降らせます。

 

  家々の形を歩く片かげり     日下しょう子

戸毎に片陰の形が違うのでしょう、影の色もまた濃く、淡くありそうです。

飛ばされるより雰囲気があります。

 

  富士山は左手にあり沙羅の花   川井さとみ           

なぜ「左手にあり」なのか、左側という、そのことが「沙羅の花」を印象付けることになっています。

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