兼題 後の月 席題 うどん
主宰選

豊の秋雲梯に子のぶらさがり 山森小径
雲梯は城攻めに用いた長い梯子の意味であるが、ここでは子ども達の遊具のための梯子である。雲梯を懸垂しつつ渡っていくのは元気盛んの子供であるが、時にはだらんと力を抜いたりして楽しいものであろう。
この「雲梯に子のぶらさがり」と「豊の秋」との間には何の因果関係もないが、そのことがかえって一句の奥行となって豊かに実った秋の情景やその喜びが様々に察せられるものである。
菩提寺へ一本道や後の月 小径
「菩提寺」、また「一本道」が後の月の情感を遺憾なく発露するものである。
鵙鳴くや甕の壊れを繕うて 河野きなこ
ここ厚木市の秋は鵙の声とともにやってくる。
水甕に罅の入ったものを縛り上げられたのであろうか、あるいは破片を巧みに繋ぎ合わせられたのであろうか、いずれにしても折から鵙の鳴く庭仕事が澄み切った空気感を思わせて爽やかである。
鵙のキイキイキーッって叫ぶような声が、大事な甕に罅を入らせたようにも思われるところが味わいである。
終電の明り落すや後の月 川井さとみ
終電に最近は乗ったことがないので、くわしくはないが、終電という言の葉だけですでに灯火は暗いように感じる。終電に乗り遅れた場合は、「明り落す」どころではなく真っ暗闇であろう。
人の世の少しばかりの暗がりにあって、後の月はいっそう美しく仰がれるものではなかろうか。
後の月は名月の一か月後、十三夜であるから十五夜より少し欠けている、少しさびしい、やがて秋もすっかり更けていくのである。
たつぷりと酢橘搾りてうどんかな さとみ
「たっぷりと」がウマイ、この出だしでもって吸い込まれるように「酢橘搾りてうどんかな」と読み下ろして、ああ何て美味しいものであろうかと、それこそ余韻たっぷり。
雲間より廊下を照らす後の月 芳賀秀弥
ごく普通の言い方のようではあるが、やっぱり十五夜ではない十三夜ならではの一句。
〈名月や畳の上に松の影 其角〉を引き合いに出すまでもなく、「畳」に非ずして「廊下」なる措辞が後の月を明らかに見せている。

後の月破れ障子の隙間より 松尾まつを
その昔、子沢山の家では障子の破れは健康家族の証のようなものではなかったか。今もふとそんな障子の隙間から覗かれる月のあわれさ。
木造家屋の日本人独特の月見のさまがゆかしい。
「破れ障子」がやや露わに過ぎるので、推敲されてもいいでしょう。
素うどんのつゆに浮べる秋の月 間草蛙
うどんと言えば「素うどん」が関西風ではあるが、この「素」の一字が月の清澄に静かにも呼応してなかなかの月あかりである。
「月」は秋の季語であるから「秋の月」というのは、先例がないわけではないが再考の要はあるだろう。
飯田蛇笏に、〈秋月や魂なき僧を高担ひ〉がある。僧が死んで、その亡骸を月下に高く担って火葬場へおもむいていくのであろうか。
岸本尚毅著『ホトトギス雑詠選集100句鑑賞』にこうある。
――「月」と言えば秋季と決まっているが、敢えて「秋月や」という鋭い響きの語を選択したのである。「月光や」「月明や」「月の夜や」のような、生ぬるい上五では、この句はサマにならない。

秋風に何かはじまる椅子の数 草深昌子
道替へてみても坂なり十三夜
素うどんの熱き近江を雁渡る









