日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

身体そだて。

2018-09-18 15:11:41 | 発達応援
 今日も暑い鹿児島です。
でも、空気が乾燥しているので、エアコンなしでも過ごせています。

 暑いながらも秋は来ているのですね。

 私の教室の身体そだてに来てくださるお子さんたち。

 アニメの主人公になりきって、戦いを挑み続けるお子さんや
大きなボールをひたすら投げ続け、それだけでは飽き足らず、
もう一個大きなボールをプラスして、ぶつからないように器用に投げっこするお子さん。

 ひたすらボールを投げ続けるお子さんもいれば、
じーーっと座って、小さなフェルトボールをゴムで弾き、
いかに遠くに飛ばすかということに一生懸命なお子さんもいます。
 
 そんな遊びが、月数回の教室で数ヶ月にも及ぶことがあります。

 そんな姿を見る親御さんは、
「ああ、毎回、楽しそうにしているなぁ」とあたたかく見守り、ご自身も一緒に参加されたり、
「また、その遊びか…」と不安になるのか、違う遊びをと促そうとしたり、
親御さんによってそれぞれです。

 私は、というと、お子さんが選んだ遊びにつきあいます。
つきあうというよりも、一緒にやっているといつの間にかガチで遊んでいます。

 ガチで遊んでいると、
お子さんの遊び方が、ふっ…と変わる瞬間があります。

 ひたすら、アニメのヒーローの主人公になって地球への侵入者(私)を倒そうとしていたのに、
共同で何かやることを提案して来たり、
どっちがフェルトボールを遠くに飛ばすか競争したいと言って来たり。

 お腹いっぱいに、自分のやりたい世界に浸りきったら、
目の前にいる人の存在に気がついた…とでもいうのでしょうか。
ひとりの世界から、ふたりでやる世界へスイッチが入るそんな瞬間があります。

 そんな姿を見ていると、
赤ちゃんが自分の手を不思議そうに見つめ、自分の手を認識するハンドリガードのように、
世の中には自分以外の人がいる、そんなことを身体から落し込んだ瞬間ではないのかなぁ、と
おおげさかもしれませんが思ったりするのです。

 療育で、発達障害の特性にそった(であろう)運動や作業をすることは、
「これだけやっても、できなかった」と、
子どもの発達云々ではない、将来にわたり支援する子を生み出す証拠作りに、
加担するようなものかもしれません。

 身体そだては、子ども自身の中から、
じんわりと何かが醸し出されるのを待ち、次へ進み、
ときには、また戻りながらも発達していくものです。

 身体そだてで、とても楽しそうにうれしそうに笑っている声を聞くと、
この楽しさが、この子の気持ちを動かして、
次の何かを引き出すきっかけになるといいなぁ、と思います。

 発達のヌケを取り戻す方法は、お子さんによって千差万別です。

 少なくとも、サッカー教室やスポーツ教室、その他諸々のお稽古ごとなどで、
外注発注することで、パパッと解決することではないと思います。

 お子さんと一緒に、日々の生活の中でその方法を探り、
お子さんと一緒にやることで、その変化の瞬間に立会って欲しいなぁと思うことです。


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