日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

文字を操る。

2018-04-17 22:45:25 | 発達応援
 今年は筍が裏年らしく、
売っている数が少なく、あっても大きすぎたり高すぎたりして、
良い筍となかなか出会えていません。

 そのかわり、蕨はよく見かけます。
蕨の酢の物が好きです。

 字を書くとき、自分が読むためのメモを取るためならば、
多少、汚くても大きすぎても小さすぎても、問題にはならないと思います。

 でも、学校で宿題のページをメモしたり、翌日に必要なものをメモしたりするのだと、
自分で書いたものが自分で読めない、というのでは役に立ちません。

 教室で出会うお子さんたちと字を書く機会があります。
その中には、字の前の段階のお子さんもいれば、
字というものを覚える段階のお子さんもいます。
字を書く目的を見失っているなぁ、と思うお子さんもいらっしゃいます。

 字を書く前の段階のお子さんは、肩や腕をたくさん使って遊ぶことも必要ですし、
その子に合った道具でたくさん線を引くことを楽しむことも必要かもしれません。

 字を覚える段階のお子さんも指で書いたり、字を見たり、
色々なやり方で覚えていくことでしょう。

 字は思い出しながら書けるけれど、時間が経つとなんて書いたかわからない字を書くお子さんは、
もしかすると「きれいな字を書きなさい!」と日頃注意を受けているかもしれません。

 「きれいな字」というのは、パソコンなどで打ち出すような字のことを言うのか、
流れるような字のことをいうのか、習字の楷書のような字をいうのか、
わかりやすいようで、分かりにく、そんな気がします。

 以前、学校で仕事をしているとき、一緒に学習していたお子さんは、
教科書で使われるような書体をきれいな字と思っていたようでした。
ノートもメモも見やすいのですが、とにかく時間がかかってしかたがなく、
テストなども途中までしか書けない、ということがありました。

 「きれいな字って、他の人が見ても読める、丁寧な字というくらいで良いと思うよ。」というと、
「そうなんですか!」とびっくりしていました。

 「自分が書ける範囲で丁寧な字を書いてね。」
私は学校で支援員として勤めていたときは、そう言っていました。
そうすると、その子が書ける範囲での丁寧な読みやすい字を書いてくれていました。

 「きれいな字」よりどんな字を書けば良いのか、わかりやすいかもしれません。

 丁寧さの基準もそれぞれですが、そこは子ども自身に任せていました。
その子のできることが増えると丁寧さの基準もあがっていったように思います。

 将来、願書を書いたり履歴書を書くために必要な文字を書くということ。
ざっと書いたり、丁寧に書いたり、自分で自在に操れる方が便利ですね。


 


 
コメント
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