日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

どうしてどうして。

2018-04-18 23:07:09 | 発達応援
 ちょっと前まで、私は柑橘類は寒い時期に食べていました。
でも、今は色々な種類の国産の柑橘類をこの時期も食べています。

 種類が増えたのか、流通するほどに数が取れるようになったのか。
おいしくいただきます。

 私が支援員をしているとき、よく思っていたことは、
「どうしてそうするのだろう」ということでした。

 単純に、ただ、どうして?ということでした。

 ひらがなが書けない、カタカナが書けない、どうしてかなぁ。
計算ができない、数を数え間違える、時計が読めない、どうしてかなぁ。
宿題を出せない、テストの訂正ができない、どうしてだろうなぁ。
姿勢が崩れるのは、走る姿勢が崩れるのは、並べないのはどうしてかなぁ。

 ただただ、なんでだろう、できるためにはどうしたらいいのかなぁ、と考えていました。

 もしかしたら、私が素人だからダメで、
日本のどこかには、あっという間に書けるようにする、できるようにしている
すごい人がいるのかもしれない!と思って、ネット検索したり、本を読んだりしました。

 ハウツー的なものを探していたつもりはないのですが、
その頃の私は、これをのばすなら、これ、こっちはこれ、と、
子どもが持っている力よりもできないところを見て、
そこを単品でどうにかしようとしていたような気がします。

 今は、姿勢が崩れてるから書けてるのかも〜、書けないけど書こうとしてるんだなぁ、とか
間違ってても数は数えられてるのかもなぁ、とか、
できてることとできてないことの表裏一体差を感じるようになりました。

 そして、できるとこができないことの手がかりになりそうだな、とか、
できてないけど次へのステップのヒントがあるな、と、思うことがあります。
単品ではなく、色々なことが絡み合って先に進んでいっている、そんな気がしています。

 今、本を読んだり、読み直したり、
新しい本を読んでみたりと、頭の中が今ひとつ整理されていません。

 そんな中でも、お勉強と身体は表裏一体だな、ということや
福祉ギョーカイって、なーにやってんだ!?ということだけは、
やっぱり、確かかも、と思うことです。

 
コメント
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