加東市曽我 八幡神社
鎌倉時代の創建。元禄年間(1688~1703)芝地を新開して御用地を作り、文化9年(1812)より社役の頭人は京都吉田殿の許状を拝受している。
彫刻
拝殿 本殿あり
彫刻師 三田藍本 堀喜太吉
脇障子の彫物は、別の彫師(堀でない)旧本殿彫刻を使用したか?
築造不詳なれど石鳥居に明治37年の銘あり。又は、百度石銘は、大正時代そのあたりと推定。
その他石灯篭や石常 . . . 本文を読む
和歌山県伊都郡高野町高野山
準別格本山 恵光院
弘法大師の弟子であった道昌僧都が、京都より五重の宝塔をこの地に移し、諸人のご廻向をおこなった事から、廻向院と呼ばれていました。
延慶元年(1308)には、京都の東寺より量調阿闍梨が当院へ転任され中興されましたが、残念ながら、その後に衰退してしまいました。しかしながら、永禄(1558~)の初め頃になって、島津兵庫頭義弘により再興されました。
現在 . . . 本文を読む
加東市上滝野 春日神社
御祭神は、経津主命、武甕槌命、天児屋根命、比大神。
創建の由緒は、山十三代推古天皇即位2年(594)法道仙人がこの地で修行のとき、五峰山光明寺を開き、又、麓に光明寺の守護神として神社を造営するよう神託を受け、創立されたと伝わる。
延宝3年(1675)に本殿、享保12年(1727)に幣殿、拝殿が再建。
昭和9年幣殿改築。
拝殿
現拝殿は享保12年以降再建か?(彫刻より . . . 本文を読む
和歌山県伊都郡高野町高野山 真言宗 熊谷寺
圓光大師(法然上人)・見真大師(親鸞上人)・熊谷蓮生法師(熊谷直実公)の旧跡、法然上人二十五霊場の番外札所。
熊谷寺の名前の由来である熊谷直実。一の谷における源平の合戦において熊谷直実・平敦盛呼び返す。
その直実が、平敦盛並びに源平総死者供養を行った寺である。
真言宗寺院であるにもかかわらず、歴史的背景から 阿弥陀や法然上人をまつる。
現本堂 . . . 本文を読む
加東市牧野 住吉神社
神社詳細不詳
拝殿築造 昭和10年?
本殿築造 不詳 江戸時代?
彫刻師 拝殿 長谷川義秀 本殿不詳
拝殿と本殿では、彫師は異なる。
長谷川義秀
播州 姫路 飾磨彫刻
明治28年(1895)生・昭和43年(1966)歿 享年74
本名 松之助 2代目松本義廣二番弟子
名匠・開正藤に可愛がられたと云う。息子生民と同年、親密な交際あり。
開の良さを取り入 . . . 本文を読む
和歌山県伊都郡高野町高野山
奥の院 御供所周辺
高野山の信仰の中心であり、弘法大師が御入定されている聖地。正式には一の橋から参拝。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいる。
御供所
御廟で入定しているとされる弘法大師の食事を作っている場所。
毎朝、行法師が御供所で食事を作り、 . . . 本文を読む
加東市社 佐保神社紹介
最終回は、佐保神社のシンボルでもある楼門 境内摂社
楼門
文化2年(1805)の再建
木造・高さ約10メートル、幅約11メートル、奥行き約5・5メートル。
屋根は、元檜皮葺きであったが、昭和37年の屋根葺き替えにて現在の銅板葺きに変更された。
彫刻 推定 中井丈五郎正忠
年代的に間違いないかと。
この天蓋龍すごいですが、残念ながら金網保護、しかも距離あり、 . . . 本文を読む
和歌山県伊都郡高野町高野山 高野山真言宗 壇上(場)伽藍 愛染堂
建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、玉体安穏を祈るために建立された。
本尊は愛染明王で、後醍醐天皇の御等身といわれている。
昔はこのお堂で不断愛染護摩供や長日談義が行われ、「新学堂」とも呼ばれる。
何度か罹災し、現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建されたもの。
昭和52年指定 国史跡
案内板による . . . 本文を読む
加東市社 佐保神社 その2
鎌倉峰(加西市)に降臨した大明神が由羅野(ゆらの)にうつり、宮が建てられたことに始まるとされ、旧加東郡随一の大社で、承元4年(1210)にはすでに播磨有数の神社として知られていたといいます。 この神社にちなむ「佐保社郷」という荘園名から「やしろ」の名が起こり、鳥居地区の石鳥居にかつての社域をとどめています。
随身像が見守る楼門造りの山門をぬけると広い境内が開け、正面 . . . 本文を読む
丹波市山南町和田
浄土真宗 本願寺派 城通山 明光寺
寺院詳細不詳
彫刻師
姫路市広畑区蒲田 中山龍雲
詳しくは知りませんが、中山師は、播州屋台彫刻も数多く手がけられている彫刻師。
昭和から平成にかけての彫刻師・現在は2代目が活躍されているようです。
この明光寺の彫刻は、どうでしょう、初代作・昭和の後半でしょうか?
山門
築造 不詳
彫刻師 . . . 本文を読む