ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

曽我 八幡神社

2014年07月25日 20時41分38秒 | 社寺まいり

加東市曽我 八幡神社

鎌倉時代の創建。元禄年間(1688~1703)芝地を新開して御用地を作り、文化9年(1812)より社役の頭人は京都吉田殿の許状を拝受している。

彫刻

拝殿 本殿あり

彫刻師 三田藍本 堀喜太吉

脇障子の彫物は、別の彫師(堀でない)旧本殿彫刻を使用したか?

築造不詳なれど石鳥居に明治37年の銘あり。又は、百度石銘は、大正時代そのあたりと推定。

その他石灯篭や石常夜灯には、江戸中期~後期の銘あり。脇障子の彫刻はこの年代か?


拝殿














本殿

















脇障子

図案はなんでしょうか?中国故事でないように思いますが?

武家ものでしょうか?

曽我だけに曽我物語?










最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
多分、、 (源助俊光)
2014-07-27 07:31:16
一枚目には桜の木がありますので、児島高徳の碑文「天勾践・・・」を書いているところだと思います。もう一枚は、桜井の別れのようにも見えるのですが、明治16年以降の小松系のだんじりによく見られる彫物図案です。
返信する
おはようございます (あにき)
2014-07-27 08:06:56
解説ありがとうございます。

南北朝時代と桜がかかった対の図案ですかね。

武家物ですので明治期中~後半といったところの作品ですね。
返信する
図柄・・・ (江戸川)
2014-08-28 02:21:36
児島高徳は、正解ですが、もう一枚は養老の滝ですね。手前にいるのは、きこりで、後に居るのは、奈良の都の元正天皇です。だんじりも同様の図案が見受けられますね。
返信する
コナンさま (あにき)
2014-08-28 20:48:14
忘れたころの解説ありがとうございます。(笑)

たしかに養老の滝ですね!!

手前の人物の手が欠損してますが、瓢箪を持っていたのでしょう。

あればわかりやすかったかと。
返信する

コメントを投稿