
和歌山県伊都郡高野町高野山
準別格本山 恵光院
弘法大師の弟子であった道昌僧都が、京都より五重の宝塔をこの地に移し、諸人のご廻向をおこなった事から、廻向院と呼ばれていました。
延慶元年(1308)には、京都の東寺より量調阿闍梨が当院へ転任され中興されましたが、残念ながら、その後に衰退してしまいました。しかしながら、永禄(1558~)の初め頃になって、島津兵庫頭義弘により再興されました。
現在の「恵光院」という寺名は、宝永年中(1704~)の時、徳川八代将軍吉宗公の命によって改称され、現在に至る。(恵光院HPより)
山門・宿坊玄関彫刻
築造・未調査(昭和初期か?)
彫刻師
岸和田市南上町 木下瞬次郎
山門裏側等別彫師と思われる彫物もあり。
山門










山門裏面(内側)



宿坊玄関










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