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ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

キリスト最大の掟

2009年04月01日 | 日記
キリスト最大の掟

 「どの掟がすべてのうちで第1ですか」。イエスは答えられた、「第1はこれである。聞け、イスラエルよ、われわれの神なる主はただ1人の主である。心のかぎり、精神のかぎり、思いのかぎり、力のかぎり、あなたの神なる主を愛せよ。第2はこれ。隣の人を自分のように愛せよ。これら2つよりも大事な掟はほかにない」。(マルコ第12章)

 これがイエス・キリストの最大の掟なのですが、理屈の上でなにか矛盾があります。心のかぎり、精神のかぎり、思いのかぎり、力のかぎり、ただ1人の主を愛しなさいとイエスは言うのですが、仮に他の人をも主とおなじく愛するとすれば主への愛は「心のかぎり、精神のかぎり、思いのかぎり、力のかぎり」ではなくなってしまいます。愛が「集中」ではなく「分散」されてしまうからです。それでもイエスは、隣の人を自分のように愛しなさいと言います。ここで愛の対象は3人いることになります。主と、隣人と、自分の3人ですね。さあ、この矛盾をどう解決しましょうか。

 インド哲学を持ってきましょう。主にも、隣人にも、自分にもアートマン(真我)があるので、3人を1度に愛しても矛盾は生じません。「アートマン」は仏教でいう「仏性」のことです。仏教では誰にでも、また、何にでも「仏性」は宿っているといいます。

 キリスト教は、そのままではとても難しい宗教です。聖書に書いてあることをそのまま頭から信じなさいというのですから。誰でも疑問を持ち、納得したいと思いますよね。インド哲学をベースに持っていれば、聖書もそんなに難しくはありません。

 お葬式を出してほどなく、近所のおばさんがうちの下の娘を教会に連れて行ってくれました。娘は家に帰ってくると言いました。「教会の先生が、神様を信じる人は天国へ行けるけど、信じない人は天国に行けませんって言ったけどほんと?とてもいい人だけど神様のことを知らない人は天国には行けないの?」。9才の娘の勝ち、牧師さんの負けですね。「神様は皆のことを見ているから、神様のことを知らない人でもちゃんと天国へ呼んでくれるよ」と私は娘に言いました。

 キリスト教も仏教もヨガも、目指すところは同じです。それぞれにルートが違うだけですね。
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