ヨーガ・スートラ略説
ヨガの根本経典として「ヨーガ・スートラ」と「サーンキヤ・カーリカー」を挙げ、「サーンキヤ・カーリカー」については先に説明しましたので、ここでは「ヨーガ・スートラ」についてお話ししましょう。
「ヨーガ・スートラ」は実践的な経典です。こういうふうにヨガの練習をしていけば「サマディ」と呼ばれる「悟りの境地」にたどりつけますよと教えています。「ヨガの8段階」と呼ばれていますが、簡単に整理してみましょう。
1、ヤマ(禁戒)
a.アヒムサ(非暴力)
単語の頭に「ア」をつけると、その単語の否定形になります。ヒムサ(暴力)の反対はアヒムサ(非暴力)というわけです。アヒムサはインドの象徴です。マハトマ・ガンジーは「非暴力」でインドを独立させましたし、ダライ・ラマも「非暴力」を主張していますね。
b.サットヤ(率直)
サーンキヤ哲学の3つのグナ(性質)はラジャス(激質)・タマス(暗質)・サットヤ(純質)でしたね。私がインドでお会いしたサットヤ・チャラン・ラヒリさんのサットヤもこれです。
c.アステヤ(盗まないこと)
ステヤ(盗むこと)の反対語です。
d.アパリグラハ(無所得)
これもパリグラハ(所得)の反対語ですね。
e.ブラフマチャリヤ(禁欲)
性的な禁欲のことです。
2、ニヤマ(勧戒)
a.シャウチャ(清浄)
b.サントッシュ(知足)
c.タパ(苦行)tapa
熱のことをタパス(tapas)といいますが、これと関係がありそうですね。
d.スヴァーディアーヤ(読誦)(どくじゅ)
e.イシュワラ・プラニダーン(神の意思に全てを委ねること)
「イシュワラ」は「自在神」といってヨガの神様「シヴァ神」のことです。自分でできることを全てやったあとは神様にお任せしましょうという考えです。日本でも「人事を尽くして天命を待つ」と言いますね。
3、アサナ(坐法)
一般にヨガのポーズというものです。呼吸法に入る前に、いろいろなポーズをとって体をリラックスさせます。ヨガはスポーツではありません。ヨガのポーズを練習するときには、決して反動をつけたりしません。また、息を止めたりもしません。普通呼吸です。
4、プラナヤーマ(調息)
仏教で「調身・調息・調心」と言いますが、その「調息」のことです。「数息観」とも言いますね。
5、プラティヤハラ(制感)
外部からの刺激に対して反応する感覚を抑える練習です。外部への感覚を遮断して、感覚を内面に向かわせるのです。慣れるのにはかなり時間がかかりますが大事な段階で、次の段階であるダラナと表裏一体です。
6、ダラナ(凝念)
集中することです。プラティヤハラが身につけば、ごく自然にダラナへ入っていきます。
7、ディヤーナ(禅定)
瞑想のことです。
8、サマディ(三昧)
悟りの境地を指します。インドでは悟りの境地をサット(有ること)・チット(有ることを知ること)・アーナンダ(有ることを知ることで湧き上がってくる喜び)といいます。略してサッチダナンダといいます。
以上が「ヨガの8段階」です。
以上、ざっと「ヨガの8段階」をおさらいしてみましたがいかがですか。私は特に、第2段階ニヤマのなかにあるイシュワラ・プラニダーンが好きです。ちょっと「新約聖書」を引用してみましょう。
やがてオリブ山の麓のゲツセマネと呼ばれる地所に着いた。イエスは弟子達に言われる、「私の祈りが済むまで、ここに座って待っておれ」。そしてペテロとヤコブとヨハネだけを連れて奥のほうへ行かれると、急におびえ出し、おののきながら彼らに言われる。「心が滅入って死にたいくらいだ。ここを離れずに、目を覚ましていてくれ」。そしてなお少し奥に進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯を私に差さないでください。しかし、私の願いでなく、御心がなればよいのです」。(マルコ第14章)
私の先妻が天に召されたのは、彼女が39才、私は42才のときでした。私も祈りました。「3人の子供達のために妻を助けてください。子供達にはまだ母親が必要なのです」。
イシュワラ・プラニダーンですね。最後は神に全てを委ねることになるのです。
ヨガの根本経典として「ヨーガ・スートラ」と「サーンキヤ・カーリカー」を挙げ、「サーンキヤ・カーリカー」については先に説明しましたので、ここでは「ヨーガ・スートラ」についてお話ししましょう。
「ヨーガ・スートラ」は実践的な経典です。こういうふうにヨガの練習をしていけば「サマディ」と呼ばれる「悟りの境地」にたどりつけますよと教えています。「ヨガの8段階」と呼ばれていますが、簡単に整理してみましょう。
1、ヤマ(禁戒)
a.アヒムサ(非暴力)
単語の頭に「ア」をつけると、その単語の否定形になります。ヒムサ(暴力)の反対はアヒムサ(非暴力)というわけです。アヒムサはインドの象徴です。マハトマ・ガンジーは「非暴力」でインドを独立させましたし、ダライ・ラマも「非暴力」を主張していますね。
b.サットヤ(率直)
サーンキヤ哲学の3つのグナ(性質)はラジャス(激質)・タマス(暗質)・サットヤ(純質)でしたね。私がインドでお会いしたサットヤ・チャラン・ラヒリさんのサットヤもこれです。
c.アステヤ(盗まないこと)
ステヤ(盗むこと)の反対語です。
d.アパリグラハ(無所得)
これもパリグラハ(所得)の反対語ですね。
e.ブラフマチャリヤ(禁欲)
性的な禁欲のことです。
2、ニヤマ(勧戒)
a.シャウチャ(清浄)
b.サントッシュ(知足)
c.タパ(苦行)tapa
熱のことをタパス(tapas)といいますが、これと関係がありそうですね。
d.スヴァーディアーヤ(読誦)(どくじゅ)
e.イシュワラ・プラニダーン(神の意思に全てを委ねること)
「イシュワラ」は「自在神」といってヨガの神様「シヴァ神」のことです。自分でできることを全てやったあとは神様にお任せしましょうという考えです。日本でも「人事を尽くして天命を待つ」と言いますね。
3、アサナ(坐法)
一般にヨガのポーズというものです。呼吸法に入る前に、いろいろなポーズをとって体をリラックスさせます。ヨガはスポーツではありません。ヨガのポーズを練習するときには、決して反動をつけたりしません。また、息を止めたりもしません。普通呼吸です。
4、プラナヤーマ(調息)
仏教で「調身・調息・調心」と言いますが、その「調息」のことです。「数息観」とも言いますね。
5、プラティヤハラ(制感)
外部からの刺激に対して反応する感覚を抑える練習です。外部への感覚を遮断して、感覚を内面に向かわせるのです。慣れるのにはかなり時間がかかりますが大事な段階で、次の段階であるダラナと表裏一体です。
6、ダラナ(凝念)
集中することです。プラティヤハラが身につけば、ごく自然にダラナへ入っていきます。
7、ディヤーナ(禅定)
瞑想のことです。
8、サマディ(三昧)
悟りの境地を指します。インドでは悟りの境地をサット(有ること)・チット(有ることを知ること)・アーナンダ(有ることを知ることで湧き上がってくる喜び)といいます。略してサッチダナンダといいます。
以上が「ヨガの8段階」です。
以上、ざっと「ヨガの8段階」をおさらいしてみましたがいかがですか。私は特に、第2段階ニヤマのなかにあるイシュワラ・プラニダーンが好きです。ちょっと「新約聖書」を引用してみましょう。
やがてオリブ山の麓のゲツセマネと呼ばれる地所に着いた。イエスは弟子達に言われる、「私の祈りが済むまで、ここに座って待っておれ」。そしてペテロとヤコブとヨハネだけを連れて奥のほうへ行かれると、急におびえ出し、おののきながら彼らに言われる。「心が滅入って死にたいくらいだ。ここを離れずに、目を覚ましていてくれ」。そしてなお少し奥に進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯を私に差さないでください。しかし、私の願いでなく、御心がなればよいのです」。(マルコ第14章)
私の先妻が天に召されたのは、彼女が39才、私は42才のときでした。私も祈りました。「3人の子供達のために妻を助けてください。子供達にはまだ母親が必要なのです」。
イシュワラ・プラニダーンですね。最後は神に全てを委ねることになるのです。
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