ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

不安の元

2023年12月09日 | 日記
不安の元

 心は体の付属品ですから、体が活発に活動している時に心はぴったりと体に寄り添って想念を巡らせます。あっちへ行こう、ここを曲がれ、一旦ストップ。例えば営業活動をしている時も、この時間だけは得意先Aと商談出来るし次の得意先Bは何時でも商談OKだから先に得意先Aに向かい、次に得意先Bだね、と言った具合。

 しかし体が活動を終えて静かになった時、心は体に合わせて休む事はせず、勝手に想念を巡らせ始めます。私達は体が休憩している時にそれに合わせていちいち眠ったりはしませんでしょう。しかし困った事に、浮かんで来るのは不安の想念ばかり。どうして楽しい事や嬉しい事が思い浮かばないのでしょうか。

 体の願いは只ひとつ生きる事、つまり死なない事。食べるのも寝るのもSEXをするのも生きる為、つまり死なない為ですよね。ですからこうして体は死ぬまで死を恐れ続けます。体が活発に活動している時は気にもならないのですが体が休むと次々と不安の想念が頭を持ち上げる。これが体と心の死なない為の仕組みです。そしてこの仕組みが分かりますと、不安の想念が次々と浮かび上がって来てもそれに苛(さいな)まれる度合いは減少します。今、体は死を恐れているのね、と分かればずっと気は楽になりますよ。世の中、そんなに危ない事は起こりません。

 お話は変わりまして、定年退職をした頃から母が他界するまでの10年余り、親族との間で訳の分からない諍いが続きました。社会的な通念や責任を無視しての勝手気ままな主張には辟易しましたが、その度になんとか話し合いを続けて熊本地震も母のお世話も見送りも葬儀も無事に乗り越えて来ました。そしてこれは過ぎた事です。

 最近、リタイア生活でのんびりと想念を巡らせていまして、面白い事に気付きました。こうした嫌な思い出の数々はちっとも思い出さず、思い出すのは楽しかった事、嬉しかった事ばかり。これから先の事については(マイナスの)不安の想念が起こりがちなのに過ぎた過去については(プラスの)楽しかった思い出ばかり。これはどう言う事でしょうか。

 体は知っているのです、過ぎた過去に自分が死ぬ事は無い。体は心を随分と振り回してくれますね。

 そして最後にひと言、日本人は不安が無いと不安になります。

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