自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

「勝ち組負け組」/ブラジル移民の歴史認識/補足

2014-08-31 | 体験>知識

戦争中ブラジル移民は日本国内以上に「天皇教」信者であり報国心が強烈であった。
興道社が結成され布教宣伝の中心になった。
帰国報国と大東亜共栄圏への移住を目標とする一方敵性産業撲滅運動を展開した。
当時のブラジル政府にとっては非合法団体であり非合法活動であった。
パラシュートの材料になるとして養蚕農家が、爆発力を利用されるとしてハッカ農家が
暴発者に襲撃されたこともあった。
やむなくその産業に従事したとはいえ戦時ゆえ米国向けに高値で売れた。
興道社は敗戦直前に臣道連盟と改称され、暗殺事件発生後はテロ集団の代名詞に
されてゆく。
一般に事件報道では権力もマスコミも一括りにしがちである。世論もそれになびく。
臣道連盟の中から過激な狂信的若者が生まれたのは疑いないが会員というだけで
多くの者が検挙された。
当時臣道連盟の名は広く知られていた。
7,8歳だったわたしも知っていた。
だから父も会員だったかもしれないと想う。
「勝ち組」も「負け組」も100%元は皇道の勝利を信じる「清い心」の持ち主であったが、
8月15日を機に敗戦を信じる者は「汚れた心」を抱いた国賊とみなす若者によって天
誅の対象になってゆく。
最初に狙われたのは興道会創始者たちで移民社会に敗戦を認識させる指導責任を
感じて説得書に署名し配布した有力者だった。
いらん啓蒙活動で刺激しなかったらその後のテロ事件は起きなかっただろうという意
見もあるが、かれらが配った、いや正しくは伝達した、のは日本政府が赤十字を通じ
て依頼した通達書(天皇の終戦詔書と東郷外務大臣のメッセージ)であり、本来領事
館があったら領事がやるべき仕事だった。
襲ったのは、ラジオ、教育がなく無知で貧乏な「奥地」(といってもサンパウロ州内)の
若者とする見解が多い。
たしかに成功者、有力者ゆえに「上からの目線」に反発を買い、より強く「裏切り」を怨
まれた面があったようだ。
狂信的な若者には認識運動が祖国の敗戦を喜んでいるように映った。
かれらは自虐史観とかいう今日的な括り方は知らなかったが気持ちは通底している。
そしていちばん我慢ならなかったのは変心、「汚れた心」による皇室と日の丸侮辱だ
った。
日系人にかぎってそれは大なる誤解である。
日本移民100周年の2008年、訪伯した皇太子は日の丸の旗で大歓迎された。
その会場に上記の署名筆頭者日伯産業組合中央会理事長脇山元大佐を撃った日
高徳一がいた。
同じく記念訪伯した自衛隊練習艦隊も皇太子の前で観閲行進をおこなった。
日高は殺人行為は悪いというが今なお信念の正しさを信じ艦隊と皇太子の訪伯をそ
の証しとしてようやく安堵を得た。

「ああやはり見捨てられていなかった。想いは通じた。」



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