地名はしっかり憶えているが上陸の体験はないと思う。
船上で恐怖の体験をした。
タンザニアはセレンゲティ国立公園で有名だから多分ダルエスサラームで
積み込んだにちがいない猛獣たちとの出会いがあった。
ある日船底に近い長く暗い通路を通り抜けて船首に出るといくつも動物の檻が
並んでいた。
最初の驚きと恐怖があまりにも強烈だったのでハイエナとライオンしか見て
いない。
ハイエナはブルドッグほどの大きさだが頑強な体に骨をも噛み砕く強力な顎を
持つ、獰猛な風貌をした猛獣である。
ハイエナはまた死屍を漁るせいか強烈な悪臭がするので殊更に威嚇的である。
サッカーを指導するようになって体力があった青年の頃石川の河川敷でドー
ベルマン犬と対峙したことがあった。
数百メートル離れた堤防の上を散歩していた大きな犬がリードをしていなかっ
たため、川辺をぶらついていた私めがけていきなり一目散に駆けてきた。
動揺はなかった。
犬の猛スピードにつけこんで一蹴りで仕留めんと半身に身構えた。
数メートル先で犬がディズニーの動画よろしく土煙を立てて急ブレーキをかけ
反転した。
これがハイエナなら戦意喪失で狼狽したわたしの完敗だっただろう。
船上の檻の話に戻ろう。
檻の前で立ちすくんでいたわたしを文字通り吹き飛ばして逃げ帰らせたのは
隣の檻のライオンの咆哮だった。
そのときは虎に見えたが虎はアフリカに棲んでいないので雌ライオンだったと
考える。
床が揺れるほどに重く太い唸り声でわたしを威嚇した。
体験はえてして意欲をかき立てたり萎えさせたりする。
ロレンソマルケスはマプトと市名を変えてモザンビークの首都になっている。
当時モザンビークがポルトガルの植民地だったことは知る由もなかった。
われわれガキどもは上陸して海岸の公園で遊んだ。
日が暮れて街灯の灯りを頼りに誰彼ともなく公園の椰子の木に登って実を
取ろうとしていた。
厚く硬い殻の実を割る鉈などあるはずもないので単なるいたずらだった。
そこに白人の男性が自転車で通りかかり、何をしているか、と問うた。
もちろん木から下りてありのまま答えた。
咎めている気配がなかったので、どこから来てどこへ行くか、とかひとしきり
おしゃべりをして別れた。
何語でしゃべるか、意識の端にものぼらなかった。
言葉が通じない世界があることをまだ知らなかった。
たまたまポルトガル語で喋ったらそれが相手の母語だった。
あまりの偶然にこの出会いは年と共に印象深くなった。
当時そこに後にモザンビークの黒豹とよばれることになる9歳のサッカー少年
が居たことを大人になって記録で知った。
エウゼビオ! ペレと同時代のFWで20世紀の世界10傑に選ばれた伝説的
選手。
ポルトガルのベンフィカでプロとして活躍し727試合で715得点の記録を残し
た。
1966年、ロンドンW杯の準々決勝で破竹の勢いの朝鮮を0-3のビハインド
から5-3で覆して自らも4点とって得点王(6試合で9得点)に輝いた。
1970年夏、わたしは神戸御崎球技場で彼の爆弾シュートを目の前で見た。
左コーナー近くのゴールライン上から右足を一振り重い?球で直接決めた。
弾丸というより爆弾だった。