その頃小川には小鮒も泥鰌もたくさんいた。
山の麓の渓流には大鰻がいた。
筑後川には鮎が遡上してきた。
わたしの記憶に残る体験は普通の釣りではなかった。
遊び仲間と雑貨屋で魚を麻痺させる木の枝を買い、束ねたものを
小川の中のまな板代わりの石に載せてこぶし大の石で叩き潰す。
白い毒汁が流れにただようと毒で麻痺した小魚が白い腹を見せて
下流でぷか ぷか浮く。
毒流しは昔からの悪習であるが、東南アジア産である毒枝は、戦後
いち早く 密輸入したものなのか、今もって分からない。
次もまた違法魚捕りである。
手漕ぎの小船の上から電気で鮒や鰻をとった。
電源はバッテリー、それから+と-の電流を電線でとり出し2本の
竹竿の中を通して先端を竿の先に出す。
両手で1本ずつ竿を持ち同時に水中に入れると竿の間にいる魚が
感電して浮き 上がる。
両方同時に水中に入れるのがミソで片方だけだと自分が感電する。
もっとも心が浮き浮きする魚捕りは盆休みに行われた。
叔父を先頭に数家族の従弟妹たちが田んぼの狭い水路で一列に
しゃがんで両手で土手のくぼみを探りながら進む。
水路が今のようにコンクリ張りならこのような漁法は考えられない。
小鮒が手づかみでたくさん捕れた。
祖母や叔母は盆の最中の殺生を嫌ったが捕って来たものを串に
刺して火で あぶり稲藁の束に挿して軒下につるし保存食にした。
えもいわれぬ良いダシが出た。