自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

春の小川は・・・/魚捕り

2012-10-20 | 体験>知識

その頃小川には小鮒も泥鰌もたくさんいた。
山の麓の渓流には大鰻がいた。                                                                    
筑後川には鮎が遡上してきた。                                                                     
わたしの記憶に残る体験は普通の釣りではなかった。                                         
遊び仲間と雑貨屋で魚を麻痺させる木の枝を買い、束ねたものを                            
小川の中のまな板代わりの石に載せてこぶし大の石で叩き潰す。
白い毒汁が流れにただようと毒で麻痺した小魚が白い腹を見せて
下流でぷか ぷか浮く。          
毒流しは昔からの悪習であるが、東南アジア産である毒枝は、戦後
いち早く 密輸入したものなのか、今もって分からない。
次もまた違法魚捕りである。                                            
手漕ぎの小船の上から電気で鮒や鰻をとった。                                                
電源はバッテリー、それから+と-の電流を電線でとり出し2本の
竹竿の中を通して先端を竿の先に出す。                 
両手で1本ずつ竿を持ち同時に水中に入れると竿の間にいる魚が
感電して浮き 上がる。
両方同時に水中に入れるのがミソで片方だけだと自分が感電する。
もっとも心が浮き浮きする魚捕りは盆休みに行われた。
叔父を先頭に数家族の従弟妹たちが田んぼの狭い水路で一列に
しゃがんで両手で土手のくぼみを探りながら進む。
水路が今のようにコンクリ張りならこのような漁法は考えられない。
小鮒が手づかみでたくさん捕れた。
祖母や叔母は盆の最中の殺生を嫌ったが捕って来たものを串に
刺して火で あぶり稲藁の束に挿して軒下につるし保存食にした。
えもいわれぬ良いダシが出た。

                                                                                   


下校後/遊びと差別

2012-10-04 | 体験>知識

駅からさほど遠くないT字路の商店が遊びのセンターだった。
ひさしが広く張り出していてバス待ちの人の休憩所になっていた。
同学年の遊び友達がいて、その子の祖父が様々な商売をしていた。
最初は若い女を売っていた。
下校途中の口さがない中学3年生がからかった。
「や~い、パンパン」
2階の窓辺に連なって座った女たちが巧みに応じた。
「きれいに洗って待っているからね」
もともと、パンパンとは、一般の女子を駐留軍人から護るために政府が占領軍が
到着する10日前に設置を通達した慰安所の女性たちにたいする蔑称である。
*8月18日内務省通達「外国駐屯軍慰安設備に関する整備要項」
施設には資金と布団や避妊具が支給された。
*占領軍によるレイプ事件の統計がある。
ドイツ、沖縄で各万単位
神奈川県下で最初の10日間で1,336件
この考えられない国の対応の速さと占領軍によるレイプ暴発数に、今国際問題に
なっている従軍慰安婦問題を考えるヒントがあると思う。
当時わたしも内心彼女たちを馬鹿にしていたが、最近NHKの土曜ドラマを観て
いてそのなかで「彼女たちは男たちが始めた馬鹿な戦争の尻拭いをしているのだ」
というせりふを聞いて見方を変えた。
まもなくおじいさんは商売をパチンコに替えた。
われわれは雨の日などは床に落ちている玉を拾ってせこい稼ぎを狙ったものだ。
来る日も来る日もビー玉遊び、パッチリ(めんこ)遊びに夢中になった。
ある雨の日パチンコ屋のひさしの下でパッチリをしていたとき高1ぐらいの体の
でかい見知らぬ若者が2人来て遊びに割って入った。
何が気に障ったのか分からないがいきなり一人が長靴をはいた足でしゃがんで
いる私の胸を思い切り蹴って去った。
手加減いや足加減のない蹴りだった。
腹を抱えてうずくまるわたしの耳に「あいつらはソメだ」という遊び友達の
つぶやきが聞こえた。
そんな地名には今でも心当たりがない。