自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

6.4総評ゼネスト/全学連による支援活動

2015-02-28 | 体験>知識


国鉄蒲田電車区で電車を止めるピケ隊  出典『60年安保闘争の時代』 毎日新聞社 

戦後有数の政治ストの幕が揚がろうとしていた。
総評*の時限ゼネスト指令を受けて前日の3日から首都は騒然となった。
国労、動労に加えて私鉄、バス、電車等の公共交通機関が始発から早朝ストに入るわけだから、通勤通学のアシが麻痺し不測の事態も起こりかねない。
全学連は3日午後から首相官邸突入を数度敢行したが果たさず、夜になって翌日のスト支援のために主要駅に向かった。
労働者学生の地方代表も続々拠点駅に集結した。
たしか、というのは、6.4を上回る6.22ゼネスト時の行動と混同して記憶している可能性を排除できないからであるが、わたしたち京大同学会に結集する学生もまた同志社大食堂に泊り込んでスト支援を準備した。
仮眠をとるいと間もなく、京都駅梅小路機関区に押しかけた。
線路に座り込んで列車運行を妨害する方針だったらしいが警官隊と対峙しただけで引き揚げた。
東京では線路占拠が実行された所もあったようだ。
下っ端の想像だがブントにはこの日騒乱を起こす明確な方針も覚悟もなかったらしい。
扇動者がいた記憶はない。
何のための動員だったのか、いまだに釈然としない。
概して全学連、府学連の活動はそれまでと違って目立つほどに突出しなかった。
それほどに学生以外の職業人が職場から、地方から参加し、動員数と活動で学連を圧倒したのだった。
6月4日の総評、中立労連の時限スト、職場集会には全国で500万人超が参加した。
大学でも当然のことのように教職員、学生が授業を放棄した。
日教組、自治労、公労協・・・全逓、全電通、全専売、全印刷、アルコ-ル専売、全造幣、全林野が時間内職場大会。
6.22ゼネストはさらに盛り上がり空前絶後のストとなった。
だから次に述べる全国税のピケは6.4ではなく6.22のことかも知れない。
全国税京都支部が時間内職場大会を成功させた。
わたしは10人前後の学生ピケ隊を率いて下京税務署に支援に行った。
だれも、市民も職員も、出入りしないのだからスクラムを組む必要もなかったが、肩
を組んで気勢を揚げた。
税務署員までもが政治ストに加担した意義は大きい。
その時の指導者が井ノ山氏でわたしが師友と仰ぎ、家族同士の付き合いをすることになる井ノ山さんである。
この出会いがわたしの人生行路の羅針盤となった。
かれ、真正の労働者、と出会わなかったらわたしは別の人生を歩んだかもしれない。
ゆくゆく、かれの人となりと生き方に触れるつもりだ。
*総評:日本労働組合総評議会


 

 
Photo  新装版『60年安保闘争の時代』 毎日新聞社


5.19 強行採決/岸の勇み足/安保闘争の全国的拡大と浸透

2015-02-19 | 体験>知識

5月19日の衆議院での安保条約承認阻止に向けて、国民会議、全学連による数万のデモが連日つづいた。
そんな中、岸首相は、5月19日から20日未明にかけて委員会の審議を打ち切り、議事堂に警官隊を導入して座り込んでいた社会党員をごぼう抜きにして排除、本会議を開き、審議のないまま新条約を強行採決し、会期の50日間延長までも決めた。
警官と衛視に抱えられてマイクを両手で握りしめて必死に開会を宣言する清瀬議長のTV映像は事ある毎に永らく放映されるにちがいないが私にはこっけいな猿の茶番劇として眼に焼きついている。
野党議員と自民党反主流議員が欠席。
採決に加わった自民党議員233名、衆議院過半数を5名オーヴァしただけだった。
岸自民党は闇社会に働きかけて松葉会等暴力団を多数院内に導入した。
以後権力と右翼暴力団の、貸し借り、持たれ合いが常習化したと取る向きもある。
この日を境に安保の本質の追及が薄れ、「議会主義を護れ」「批准阻止、岸退陣、国会解散」が叫ばれ、声明、請願、デモ、ストの大衆運動が全国に拡がっていった。
岸首相は記者会見で、野球場、百貨店、パチンコ店が満員であることを念頭において新聞に載らない「声なき声」にも耳を傾けなければならない、と語った。
20日から条約が自然承認されるまでの1ヶ月間デモ隊が連日国会を取り巻いた。
それまでデモに参加したことがなかった人たちが次から次と声を上げた。
じっとしておれない人々が街頭にでた。
高校生や婦人、宗教人、タクシーのデモ。学者、文人、芸術家、商工組合、農業組合等あらゆる職業の声明、行進。
特筆すべきは交通を麻痺させる道いっぱいに広がるデモに対して右翼暴力団を除けば妨害がなかったことである。
クラクションの代わりに拍手。
銀座で拍手で迎えられたという記述もある。

5月19日の審議なき単独強行採決は、請願デモを抗議デモに、社会党総評中心の共闘会議のデモを一大国民闘争に、変えた。
日米軍事同盟の新時代を印象付ける筈のアイゼンハワー米大統領の公式訪日日程6月19日に条約の自然承認日をあわせた、問答無用の単独強行採決に国民が怒りを爆発させた結果だった。