24 黄釈天 Blog 「My Days」by Oldman+1(吉住)

コロナ予防接種0回、インフルも0回、30年間健康診断0回の後期高齢+1、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。

老人方程式

2014年05月07日 | 日記
送信from Y.Yoshizmi 老人=寂寥とした孤独+肉体の痛み

どうやら、この連休の間に、わずかだが、下腹の出っ張りが邪魔にならなくなった「気配」がある。滝の湯に出かけていないので、体重を測定していない(自宅の体重計には乗る気がしない)から、比較体重が分からないけれど、1キロ程度は少なくなったかもしれない。

もう少し、野菜中心で節制しよう。散歩道を歩く足取りは軽い。

連休の前に、確か「心臓の手術」をするから、1週間か10日ほど借家を留守にすると挨拶に来た、同年の男性(数年前に奥さんを亡くしている。)が、元気に退院したと挨拶に、金沢の高級菓子持参でやってきた。

別にお見舞いを包んだわけではないのだが、詳しい事情を聞くと、心臓補助器を体内に埋め込む手術をしたらしい。それも、3度目の機械の交換だ。最近街角で見かける、電気ショックを与える装置の小型で、400万円ほどもする外国製品だという。

もう、65歳だが、最初の発作は37歳で起き、偶然助かった。弟は18歳、兄は28歳、オヤジは42歳で同じ病気で死んでいるという。我集落からずっと山奥に入っていく地域の住人だった。近い親戚も、オヤジの兄弟は同じDNAで死んでいるという。

彼が一番長生きとか。近代的な機器のお陰なのだ。一番危険なのは、夜明け前の熟睡中らしい。

生き延びるというのは、事ほど左様に難しいことなのだ。

朝の日課

2014年05月07日 | 日記
送信from Y.Yoshizmi  今朝は稀なほど絶好の「散歩日和」だ。それも、早朝ではない。8時すぎから9時前後か10時頃でも、午前中ならば、全く問題なし。最高だ。

2,30分のウオーミングアップをしないと、中古品はうまく動き出さない。

季節は初夏

2014年05月07日 | 日記
[ 6c,23c,0% 72p67k ] 快晴

連休が終わると、季節は初夏の様相となるが、今朝の西風は異様に寒い。起きがけの1時間ほどは石油ストーブをつける。

そして、古くなって役立たずになった石油ストーブを3台、まとめて車に積み込んだ。朝一番に事務所の裏の廃品業者に電話を入れると、「持ち込みOK」というので、捨てるのだ。

片付けるのは大好きだ。特に、不要物を捨てて身の回りがスッキリするのは、精神衛生上非常にいい。捨てるたびに、それを買い込んだ我が身の浅はかさを後悔する。

「捨てる」の反対の、「モノを愛用する」を考えてみる。
例として、コーヒーカップの愛用を考えよう。

100円ショップから夜店、旅先から陶芸教室での自作、引き出物から海外高級ブランド品に至るまで、身の回りの湯のみ茶碗で十分代用できる程度の「コーヒーを飲む」という行為に適した、持ち手のついた陶器の容器を、あらゆる所、あらゆる人生のポイントで手に入れる機会に恵まれ、実際「手に入れてくる」。

しかし、「愛用」というからには、普段の生活で自分専用に利用するのだから、それを数多く用意しておいて、「今朝の気分は、これね。」と選び、それで珈琲を飲み、満足するという場面を想定すれば、常にコーヒーカップは、ホコリのつかないガラス棚に仕舞われており、いつでもピカピカに磨かれて、使用を待っている状態にしておく。

誰がするの?だれが、食器を掃除し、ガラス棚を磨くの? コーヒーカップだけで、それだけのスペースを必要とする居住空間は、どのくらいの「お屋敷」? そのお屋敷は誰が手に入れ、誰が建てたの? そこの生活費や固定資産税は誰が払うの?

あなたは一体誰? 朝の気分に合わせてコーヒーカップを選ぶだけの生活が出来る、どんな才能や能力を持ち合わせた人物なの?

私は「一つ派」だ。せいぜいで、2つが限界である。それでも、しょっちゅうカップを洗うとか、汚れたままでも使うとか、家の中を持ち歩いたり、戻したり、面倒くさい「行動」が付きまとう。しかし、それが「愛用」なのだ。

娘やワイフは、形の違う5、6個を使い回しして、食卓テーブルの上に2、3個、あるいは自室に2、3個などと、しょっちゅう放置されている。時々、流しに何個も集まり、食器棚に詰め込まれた後に、またドンドン出て行く。

私は「愛用」の為の「面倒な行為」こそが、脳の働きを活発にし、ダイエットする必要のない身体や筋肉を作り、あらゆる経費を節約する人生の「美学」だと信じている。