昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

仙酔島と走島諸島・備後諸島 多島美あふれる広島5島めぐり 72回目

2011-07-31 04:30:00 | 31瀬戸内海・広島県・備後群島
箱崎漁港を通り、島を一周できるのではと進みました。


(箱崎漁港を通り)

漁港ですね。魚市場のような建物がありました。


(魚市場のような建物)

そのまま進んでいくと対岸にお寺が見えました。阿伏兎(あぷと)観音です。

(阿伏兎観音)

そのままどんどん進みましたが、だんだんと道が細くなり、バスの窓に木が当たるようになってきました、どうも一周できないようです。バスは、しばらくバックで進みました。さすがにプロですね。難なく方向転換できるところまで、戻ってきました。そして、箱崎漁港の辺りに名所があるということで、戻ってきました。


(箱崎漁港)

何かを聞こうとしても人がおらず、添乗員さんは、走り回っていました。海岸線の小さな丘に記念碑のようなものが見えました。何であるか分かりませんでした。


(何か記念碑のようなものが)

やっと細い道を登って行くと景色の良いところがあることがわかり、登って行きました。海と島が見えるところがありました。


(海と島が見えるところ)
(写真撮影:2011.04)

仙酔島と走島諸島・備後諸島 多島美あふれる広島5島めぐり 71回目

2011-07-30 04:30:00 | 31瀬戸内海・広島県・備後群島
田島散策を開始しましたが、バスでの散策となりました。ワシントンヤシの並木を下って、海岸線へ向かいました。


(田島散策を開始)

先ほど歩いて渡った内海大橋の下を通って行きました。


(内海大橋の下)

内海大橋は、遠ざかって行きました。カーブがきれいに見えました。


(カーブがきれいに)

何を養殖しているのでしょうか。筏をたくさん見ることができました。


(何を養殖)

内海小学校の前を通過しました。入学式のようで、小さな子供が父兄と学校へ入って行きました。


(内海小学校)

島を突っ切り、裏側の海が見えてきました。


(裏側の海が)
(写真撮影:2011.04)

仙酔島と走島諸島・備後諸島 多島美あふれる広島5島めぐり 70回目

2011-07-29 04:30:00 | 31瀬戸内海・広島県・備後群島
最近、島旅では、橋は、歩いて渡るのが流行になっています。この内海大橋も渡ることになりました。皆さん、ユックリな歩みでしたが、私は、自分のペースで渡り切りました。きれいな橋でした。説明文には、「沼隈側入口は、藤棚で飾られ、田島側の入口は、ワシントンヤシの並木で飾られていて、航路上の橋桁は、アーチ型の一種・ニールセンローゼ桁を採用。ゆるやかなカーブを描く優美な姿が周辺の風景に見事に溶け込んでいる。」と書かれていました。












(内海大橋)
(写真撮影:2011.04)

仙酔島と走島諸島・備後諸島 多島美あふれる広島5島めぐり 69回目

2011-07-28 04:30:00 | 31瀬戸内海・広島県・備後群島
ホテルに戻ってくると玄関横に「ポニョ」の立看板があり、写真が撮れるようになっていました。


(玄関横に「ポニョ」の立看板)

バスが出発するとすぐ横に建物がありました。昨日、午前中に走島へ案内してくれた船長の経営している店です。昨夕、立ち寄った時に、デコポンが安く売っていたので、買い、ホテルで食べましたが、甘くおいしかったです。


(走島へ案内してくれた船長の経営している店)

今日の予定が、前のテレビに貼ってありました。ほとんどバスでの移動になっていました。また、お昼過ぎには、見終わるような計画で、その後、どうするのかが議論になりました。


(今日の予定表)

まず、田島へと向かいました。本来は、鞆の浦の街中を通ると早いのですが、昨日も、歩いた道が狭いのが、分かっていましたが、小型バスでも通れないので、遠回りして、田島へ向かいました。


(田島へ)

田島へ掛かっている内海大橋の袂に着きました。大きな石碑がありました。


(大きな石碑)

その横に、大きな案内図がありました。珍しい橋の掛け方がされていました。本来は、真っ直ぐに掛けられるところを曲線的に掛けられていました。案内図を見ると浅瀬に橋脚を建てるためのようでした。


(内海大橋の案内板)
(写真撮影:2011.04)

仙酔島と走島諸島・備後諸島 多島美あふれる広島5島めぐり 68回目

2011-07-27 04:30:00 | 29瀬戸内海・広島県
バスの出発まで時間があったので、少しホテルの周りを散策してみました。


(宿泊したホテル)

ホテルの横に「対仙酔楼」がありました。説明文には、江戸時代の豪商・大坂屋の遺構の一部で、頼山陽が「対仙酔楼」と命名したと書かれていました。


(対仙酔楼)

その先には、「龍馬宿泊所跡」と書かれたところがありました。江戸時代の回船問屋・枡屋清右衛門宅で、いろは丸事件の時、坂本龍馬たち土佐海援隊を支援して、宿舎として提供したところとのことでした。


(龍馬宿泊所跡)

歩いているといい匂いがしてきました。近づくと道端でアナゴを焼いていました。試食をお願いしましたが、注文品でダメとのことで、断られました。


(焼きアナゴ)

傍に細長い魚が干されていました。聞くと「サヨリ」とのことでした。それは、一串500円で売っているとのことで、お土産に買いました。家で焼いて食べましたが、淡白でおいしかったです。


(サヨリの干物)

傍らにネズミ捕りが置かれていました。久しぶりに見ました。必要なようですね。


(ネズミ捕り)
(写真撮影:2011.04)

仙酔島と走島諸島・備後諸島 多島美あふれる広島5島めぐり 67回目

2011-07-26 04:30:00 | 29瀬戸内海・広島県
圓福寺の階段を下りてくると新四国が2つありました。


(新四国)

ホテルへ帰る途中で上を見るとお寺と客殿が見えました。福禅寺と対潮楼です。そちらへ向かい、坂道と階段を登りました。その境内には、白馬像が2頭置かれていました。


(福禅寺と対潮楼)


(白馬像が2頭)

本堂と対潮楼に入るのは、有料でしたので、やめて、ホテルに帰りました。


(福禅寺の本堂)

ホテルの夕食は、バイキングでしたが、お刺身は、目の前で料理されていました。


(鯛の刺身)

その後、余興として、仙酔太鼓が披露されました。やはり、夕食は、会食がいいですね。半日、鞆の浦を散策しました。島旅なのに、長々と続けましたことをお詫びします。明日から、本来の島旅に戻ります。


(仙酔太鼓)
(写真撮影:2011.04)

仙酔島と走島諸島・備後諸島 多島美あふれる広島5島めぐり 66回目

2011-07-25 04:30:00 | 29瀬戸内海・広島県
圓福寺のお堂の中です。立派ですね。


(圓福寺)

境内には、芭蕉の句碑もありました。


(芭蕉の句碑)

桑原一族の墓と伝えられる室町時代の五輪塔群もありました。


(桑原一族の墓)

境内から、弁天島、仙酔島がきれいに見えました。


(弁天島、仙酔島)

その奥に大きな屋敷がありました。夾明楼(きょうめいろう)です。夾明楼は、頼山陽の叔父頼杏坪が美しい景色に感嘆して命名したものといわれています。




(夾明楼)
(写真撮影:2011.04)

仙酔島と走島諸島・備後諸島 多島美あふれる広島5島めぐり 65回目

2011-07-24 04:30:00 | 29瀬戸内海・広島県
この建物は、太田家住宅の朝宋亭 鞆郷落遺跡と書かれていました。


(太田家住宅の朝宋亭 鞆郷落遺跡)

その先の乾物屋に島旅の人がいました。のぞいてみると「チリメン」が売られていたので、土産に買いました。瀬戸内に来るといつも買っています。シラスとは違った味で、家では、好評の土産です。


(乾物屋)

その通りに杉玉が飾られたところがありました。保命酒を売っている店でした。鞆の浦のこれも名物とのことでした。


(保命酒を売っている店)

店先では、その保命酒が造られていました。ここらには、数件の製造元があるようです。


(店先では、その保命酒が)

先ほど、近くで見たいろは丸展示館と常夜燈が遠くから見ることができました。


(いろは丸展示館と常夜燈)

少し階段を登っていくと圓福寺がありました。こちら圓福寺は、朝鮮通信使が鞆に来た時の宿舎の一つとなったお寺です。また、いろは丸事件のとき、紀州藩の宿舎となった場所でもあるようです。


(圓福寺)
(写真撮影:2011.04)

仙酔島と走島諸島・備後諸島 多島美あふれる広島5島めぐり 64回目

2011-07-23 04:30:00 | 29瀬戸内海・広島県
鞆城跡を下ってくると大きな寺がありました。「中国地蔵尊霊場第8番」の札所となっている地蔵院です。本堂は、真新しい建物でした。


(地蔵院)

その前にあった病院の前に立看板がありました。「鞆城の三の丸の石垣」と書かれていました。鞆城の三の丸は港に面して築かれ、船をそのまま係留できる海城であったようです。


(鞆城の三の丸の石垣)

街内の散策になりました。古い立派な白壁の家並みが続きました。




(古い立派な白壁の家並み)

鞆の浦のメインとなっている「いろは丸展示館」と「常夜燈」にやってきました。昨年も来ているので、また、時間も遅くなってきましたので、宿へ戻ることにしました。


(いろは丸展示館と常夜燈)

大きな住宅が見えてきました。太田家住宅です。


(太田家住宅)
(写真撮影:2011.04)

仙酔島と走島諸島・備後諸島 多島美あふれる広島5島めぐり 63回目

2011-07-22 04:30:00 | 29瀬戸内海・広島県
鞆城跡からの展望は、走島や圓福寺や大可島城跡などがよく見えました。


(走島)


(圓福寺や大可島城跡)

早毛利稲荷神社や大きな新四国がありました。


(早毛利稲荷神社)


(大きな新四国)

新四国の中には、大きな仏様が祀られていました。


(大きな仏様)

また、その周りには、六地蔵もありました。


(六地蔵)
(写真撮影:2011.04)