長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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沖田と同日に会津で戦死した長州人

2010年06月06日 | ★長州の招魂場巡り
お墓が好き、というのも妙なんですが、一人の人が存在した証という感じがして、私はお墓が好きです。

名の知れた人でなくても、なんかちょっとでも略歴が書いてあると、つい読み入ってしまいます。

こちらのお墓。



本藩騎士沓屋兵衛安倍勝之墓

沓屋源三郎安倍勝重 嫡子 兵衛勝之
明治元年戊辰 会津征伐之節 五月晦日

隊の名前は書いてなかった…。
「騎士」って呼び方は何を指すんですかね?
諸隊の兵士ではなく、歴々の藩士だったのかな?馬に乗れる身分?
名前からすると諱もちゃんとあって、武士でしょうかねー。
ここは整武隊メインの墓地なんで、それで武士って指揮官クラス?


亡くなったのが、明治元年(九月までは慶応4年でしたが)5月30日です。
あ。沖田総司と一緒だー
  (↑多分。旧暦って30日が最大ですよね?)

「征伐」という言葉の是非は置いておいて、東北まで行って亡くなっちゃってるんだなあ、なんてことが克明にわかる墓石でした。
あたりまえのことですが、会津で亡くなったのは会津人だけではないわけですよ…。
ていうか長州は会津にはあんまり行ってません(なのに恨まれる謎…)。この人は珍しいくらい。

年齢が書いてなかったのですが、おそらくは若い人で、親兄弟によって弔われたのだろうと思います。

全く他人だし、歴史に名を残している人でもないのですが、こんなの読むと強く惹かれます。
手を合わせて怒る霊もないだろうから、こういうお墓とめぐり合った時は、思わず拝ませていただいてます。


防府市桑山招魂場…の藪っぽいところにて発見。

それにしても「騎士」って何?



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3 コメント

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こんにちは (三郎ヱ門)
2010-06-07 15:56:42
 こんにちは、「日記Blogランキング」で、ふと新しいblogに目が留まり、珍しく歴史系のものだったので訪問させて頂きました。
 なかなかおもしろいblogで、感心させられました。どうしても歴史blogは堅苦しくなりがちで、訪問者が少なく且つ偏りがちで悩んでおります。
 私のblogにおきましては、多少脱線させて面白みを出した記事にすると、up時は極端に訪問者が増えますが、その後は訪問者が減少傾向。 本来の記事内容にしてupすると、平均的に訪問者が有るというおかしな傾向です。
 やはり、コメントをもらったり訪問者が継続する為には、こちらのようなblogを参考にさせてもらわなければと思います。
 息の長いblogの継続に頑張って下さいね。
返信する
沓屋兵衛安倍勝之 (山笑)
2010-06-08 00:20:14
「防長人物百年史」という本の中に、幕末殉難者芳名録というのがありまして、それを見ましたら「船手組士源三郎嫡子 干城隊補助長官」と載っていました。享年25とのことです。
返信する
Unknown (内藤昶)
2010-06-08 22:00:58
三郎ヱ門さん。
ご訪問ありがとうございます。
そちらのブログも訪問させていただいたことがあるブログでした~。たぶん、家紋のこと調べてた時にヒットしたんじゃなかったかな。すごく詳しくて熱心に調べておられて感心しました。
私のはただの趣味の娯楽ブログ^^;です。
研究者ではないので、気の向くままに楽しんでるのみです。


山笑さん
載ってるんだーーー!ありがとうございます。
干城隊でちょい偉い人みたいですね。25歳なのに(若っ!)
父親も従軍してたのかなあ。
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