というわけで(昨日の記事から続いてるらしい)。
呪いの車止めを爆破して(してません…)、めでたくたどりついた錦小路頼徳(にしきこうじよりのり)と、広沢真臣(ひろさわさねおみ)のお墓。
…いや、お墓にたどり着くのが「めでたい」かどうかは別としてw
2人のお墓がある「赤妻神社境内」ですが、だいたいそんな神社自体聞いたことないし~。【追記:実はこれ、招魂場の一つでした】
ネットでお墓の在所を調べたら出てくる所番地は、グーグルマップでは全然違うとこを指すというのも驚愕の事実。
なんなの?なんか呪い?(誰のですか…
)
しかも、住所は赤妻町だが、超ギリの場所で、錦町と言ってほしかったというような場所。
そんな幾多の困難を乗り越えて努力と苦労を重ね(いや、文化財保護課に聞いただけなんだが)、たどりついたヒロさんの墓。
(ここは分霊墓。お骨があるお墓は世田谷にある)

ニシキ卿と同じ場所、奥側にあります。
墓碑銘は
参議贈正三位藤原朝臣真臣卿墓
…藤原氏だったんだ…。しかしそういうの刻んじゃうんだ~。
広沢姓も、旧姓の柏村姓もナシ。
隣(向かって左)は「室」という字が入っていたので奥さんですね。
広沢真臣は萩生まれ。
幕末の名前では、波多野金吾、広沢兵助。
保守派(俗論党)政権の時は野山獄に入れられ、四境戦争の時は勝海舟と停戦協定を結び、維新後は木戸孝允(桂サン)と並んで東京政界で活躍。
しかし明治4年、暗殺。39歳。
明治に入ってからの「二大大物暗殺事件」は、大村益次郎(村田蔵六)と、この人だと言われています。
とにかく、明治天皇が「絶対犯人を捜しなさい」と言ったとかなんですが、結局迷宮入りです。
死後、家族は華族(シャレか)、本人は正三位。しょうさんみ、ってのはそーとー上の位です。
この人、マメ男で、残っている日記が幕末維新の貴重な資料となっております(読んだことないけど←だめじゃん…
)。
お墓は神式で、清々しいシンプルさでした。
灯篭が二基あり、「柏村千代女」と刻んでありました。
誰なんでしょう…旧姓だし、女きょうだい??
ニシキ卿のと違って、石の柵もまだかっちりしてるみたいでしたが、柵の中は長い間清掃された跡がなく、落ち葉だらけで…うーん
こっちは立ち入り禁止になってなかったから、掃除に行こうかな…。
2人のお墓がある赤妻神社全景。

画面真ん中奥のがヒロ墓です。
ヒロ墓の前に立ってそのまま下がると、うしろが思いきり崖で、死にます。
あーびびった
神社の本殿はなんとも詳細不明なのですが、誰が祭神なのか??
(※追記:ももちぃさんの話では、ここって「赤妻神社」のほかに「錦小路神社」とも呼ばれているそうで、じゃあ祭神は間違いなくニシキ卿でしょう)
とりあえずちゃんと掃除されてて、1月20日なのにまだ輪飾りが付いてて
、空き箱が置いてあって、39円お賽銭が入っとった。
手前の灯篭は平成になって建てられてました。あれって春日灯篭だよねえ?
春日大社系統だと藤原氏がらみ?
庭園に飾りとして置くことも多いデザインなので、ただのファッションで、偶然か?
のみならず、こんな碑も建ってた!

このへんの地区の人たちによって平成になってから建てられたもの(おそらく灯篭と同時)。
石の柵の中は別ですが、境内一帯、木の手入れや清掃もしてあって、ちゃんと大切に守られている様子で嬉しかったです。
写真撮り終わったとたん
でした。
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呪いの車止めを爆破して(してません…)、めでたくたどりついた錦小路頼徳(にしきこうじよりのり)と、広沢真臣(ひろさわさねおみ)のお墓。
…いや、お墓にたどり着くのが「めでたい」かどうかは別としてw
2人のお墓がある「赤妻神社境内」ですが、だいたいそんな神社自体聞いたことないし~。【追記:実はこれ、招魂場の一つでした】
ネットでお墓の在所を調べたら出てくる所番地は、グーグルマップでは全然違うとこを指すというのも驚愕の事実。
なんなの?なんか呪い?(誰のですか…

しかも、住所は赤妻町だが、超ギリの場所で、錦町と言ってほしかったというような場所。
そんな幾多の困難を乗り越えて努力と苦労を重ね(いや、文化財保護課に聞いただけなんだが)、たどりついたヒロさんの墓。
(ここは分霊墓。お骨があるお墓は世田谷にある)

ニシキ卿と同じ場所、奥側にあります。
墓碑銘は
参議贈正三位藤原朝臣真臣卿墓
…藤原氏だったんだ…。しかしそういうの刻んじゃうんだ~。
広沢姓も、旧姓の柏村姓もナシ。
隣(向かって左)は「室」という字が入っていたので奥さんですね。
広沢真臣は萩生まれ。
幕末の名前では、波多野金吾、広沢兵助。
保守派(俗論党)政権の時は野山獄に入れられ、四境戦争の時は勝海舟と停戦協定を結び、維新後は木戸孝允(桂サン)と並んで東京政界で活躍。
しかし明治4年、暗殺。39歳。
明治に入ってからの「二大大物暗殺事件」は、大村益次郎(村田蔵六)と、この人だと言われています。
とにかく、明治天皇が「絶対犯人を捜しなさい」と言ったとかなんですが、結局迷宮入りです。
死後、家族は華族(シャレか)、本人は正三位。しょうさんみ、ってのはそーとー上の位です。
この人、マメ男で、残っている日記が幕末維新の貴重な資料となっております(読んだことないけど←だめじゃん…

お墓は神式で、清々しいシンプルさでした。
灯篭が二基あり、「柏村千代女」と刻んでありました。
誰なんでしょう…旧姓だし、女きょうだい??
ニシキ卿のと違って、石の柵もまだかっちりしてるみたいでしたが、柵の中は長い間清掃された跡がなく、落ち葉だらけで…うーん

こっちは立ち入り禁止になってなかったから、掃除に行こうかな…。
2人のお墓がある赤妻神社全景。

画面真ん中奥のがヒロ墓です。
ヒロ墓の前に立ってそのまま下がると、うしろが思いきり崖で、死にます。
あーびびった

神社の本殿はなんとも詳細不明なのですが、誰が祭神なのか??
(※追記:ももちぃさんの話では、ここって「赤妻神社」のほかに「錦小路神社」とも呼ばれているそうで、じゃあ祭神は間違いなくニシキ卿でしょう)
とりあえずちゃんと掃除されてて、1月20日なのにまだ輪飾りが付いてて

手前の灯篭は平成になって建てられてました。あれって春日灯篭だよねえ?
春日大社系統だと藤原氏がらみ?
庭園に飾りとして置くことも多いデザインなので、ただのファッションで、偶然か?
のみならず、こんな碑も建ってた!

このへんの地区の人たちによって平成になってから建てられたもの(おそらく灯篭と同時)。
石の柵の中は別ですが、境内一帯、木の手入れや清掃もしてあって、ちゃんと大切に守られている様子で嬉しかったです。
写真撮り終わったとたん

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ちょっとエラくなると家系図を作って藩に提出しなきゃならなくなるので、テキトーに選んで家系図屋に作ってもらってたらしい。
だから、3.4代前もわからないのに、何百年も前の名前は書いてあったりww
ヒロさんちはどうなのか知りませんが。
今でも木戸さんが黒幕になってる小説とかあるから(^_^;)
広沢さんの日記読みたいわ・・・
ガタと山田が一緒に飲みに来た?ような記述があるらしいから・・・
・・・・・・・・←自分で打って死んだ。
井伊直弼のお墓(豪徳寺)も何の因縁か近くにあるのでそこもついでに。
それにしても山口の文化財保護課!
働き甲斐がありそうですね~
「広沢真臣って芸能人みたいな名前」だなと。
失礼しましたー
井伊直弼、そうなんだ!知らなかった。ひええ。
お墓参りの際にでも~