長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
★最初に【まず必読】をご覧下さい

暴走携帯www

2012年02月05日 | ★松岡磐吉・旧幕府海軍・箱館等
体調が悪くてダラダラしてます。
改まってさああれをやろう、というのができなくて、メールの返事とか仕事とかがたまりつつある。
(貴重な写真をくださったS様、漫画家のK様、特にすみません
 書きたいことが多すぎて、かえって手が付けられず…必ずお返事します)

いかんなあ。とりあえずまず仕事しよ・・・。 
(仕事の少ない在宅ワーカー、とほほ



で。
ふと携帯電話を見たら、ストラップが見事に
松岡暴走を遂げていた…。



 木札はこちらの記事で紹介したもの。


 袖階級章は金モール刺繍のアルファウエーブさんの品。
こちらは「坂の上の雲」の礼服なども手がけられている、本格的な金モール刺繍の会社なんだけど、こういうものも売ってらして嬉しい~!
海軍飛行服のものということですが、幕府海軍の軍艦頭並(中佐相当)もおんなじなんでゲット!
松岡の写真、コレですもん↓



(ひょっとしてちょっと違ったとしても、そこは心の目で見て幕府海軍のものだってことにw)
黒革で、環形の部分は埋め込むように作られてて、アクセサリーだけど良い作りです。


 水晶に龍が巻き付いたものは「蟠龍」にひっかけてゲット。
龍モチーフって、昇龍ばっかで蟠龍(とぐろを巻いた状態)のがないんですよねー。
なのでこれで我慢。


 箱館駅 → 五稜郭駅 ストラップ
単に可愛い。ひゃひゃひゃ。


どうでもいいけど、色気は全然ないケータイになっております。


ちなみに待受は、縦画面が



横画面が



・・・・・・大丈夫かオマエ  _ノ(ン、)_ 

・・・仕事しよ。
(またアレな物を買うためにも。 ←)




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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして (じゅん)
2012-02-07 12:03:53
私、函館戦争、蝦夷共和国の海軍にはまり、内藤様の、松岡磐吉さんへのご見識の深さと、愛に、感動しました。じゅんには、函館戦争について調べるうちに、疑問が、二つほど、一、松岡さんの獄中死‥荒井先生は、磐吉君を見捨てた?のか。私自身、荒井先生のファンなので、そうは、あってほしくないです。
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続きです、長くなってすみません (じゅん)
2012-02-07 12:15:29
も一つの、疑問、「アボルダージュ」は誰のせい?です。私は、まさか、あの恨みを、荒井さんはじめ、榎本さんたちみんなが、磐さん一人に向けたとは思いたくなあい。てか、少し疑ってるか。でも、いやです、晩年教育に従事した人々が、何か、助けられなかったやむなき理由があったに違いないと、思いたいです。
返信する
続き (じゅん)
2012-02-07 14:10:18
「先生は、強い。俺、優しい先生しか知らなかったから。あんたが、あんなに強いって知らなかった。」
「源吾の死をさ、自分一人で背負って
生きようとしてる先生を、俺、尊敬してる。」「俺さ、俺一人の命で、先生たちが、助かるなら、いいんだ。」「榎さんや、大鳥さんや、それに、大好きな、荒井先生を助けられるなら。」咳き込む磐吉、「磐吉、待ってなさい、水を。」首をふる磐吉「ばん龍と、源吾が、待ってる。」「先生、ありがとうございました。」そう言って、磐吉は静かに目を閉じた。荒井の手の中で、微笑みさえうかべて。榎本や、大鳥、荒井が、新しくうまれかわった月を牢の外で見るのは、その数日後のことだった。
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これの、前の話が消えてしまったので、 (じゅん)
2012-02-07 14:30:41
磐吉は、尋問に呼び出され、傷だらけで帰ってきた。たまらず、荒井は駆け寄った。痩せて小さな体の、磐吉を腕の中に抱き、嗚咽する荒井。「先生、いいんだよ、大鳥さんや榎さんや、先生には、やらなきゃいけない仕事がある、待ってる子どもや家族がいる。」「磐吉君にだって‥」「いいんだよ、俺、勉強にはむいてないし‥」「源吾に、謝りに行きたいんだ。」「あれは、君のせいじゃない。」「うん、先生は、いつもそう言って、俺をかばってくれてた。あの日からずっと。」
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すみません拙文で、でも、 (じゅん)
2012-02-07 14:50:37
磐吉さん獄中死の謎を知ってからずっと、自分を納得させるために考えてました。生き残ってしまった荒井先生が、70余歳まで、生きたのは、源吾さんや磐吉さんが、そうやって、支えてくれてたからだ、と。太陽や風に関する仕事をしてたのは、源吾さんや、磐吉さんを見ているような気持ちからだったのだ。と。生き残ったものには生き残ったものの辛さがあると私は思います。荒井先生たちが、語らずに、その辛さを墓の中まで持っていった、その辺をいつか書いてみたいと思います。
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磐吉君の男気 (じゅん)
2012-02-07 16:02:55
私は、もちろん、荒井先生も(泣き、そして微笑)磐吉さんが勤勉実直な方だということは知っています。でもね、磐吉さんはそういうこと
ができる人だよなーーって思ったんです。上司がああで、親友がああだから。立派な「藍」に育ったのです。荒井先生の功績見てね、風と太陽に関するものだけがやけに目立つのでそう考えました。あと、ばんちゃんの子どもさんの名、私は荒井せんせかもと思いました。台の旧字体ですよね、あの字は(出せなくてすみません。)台風の、台からとったって考えられませんか?(考えすぎだって!!笑)でもーそう思いたいんだもん。
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妄想ついでにもうひとつ。 (じゅん、)
2012-02-07 22:49:47
臺‥は、うてな、もと、もっと、言うなら礎…いしづえと、いう意味があるのですよね。碧血碑の、写真を
土方家に届けた荒井先生ならしそうかなぁって思ったんだけど…
あくまで、妄想です。許してくださいませ。あと、初めてなのに、たくさんコメ書いてすみません。
また、おじゃましたいので、どうかよろしくお願いします。
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Unknown (内藤昶)
2012-02-13 22:36:23
時々、仮説のほんの一端として、ちらりと思ってしまうことはあっても、榎本・荒井・大鳥といった面々が、松岡を見捨てたとは、やっぱり思えません。
それぞれのエピソードなど読んでいると、みなまっとうな人情家ですしね。

ま、脳内パズルをやってる時、たまに「彼ら3人は実家からの差し入れで、けっこう楽な獄中生活を送ってるのになー」とか思うと、そういう組立になっちゃうことがあるだけで、彼らを悪く思ってるなんてことはありません。
佐賀藩の恨みは買ってたかもしれませんが・・・。

私は松岡はあんまり頑丈じゃないんかないかと思います。
渡米の時も寝込んでで、本人は時化でやられたと帰国後報告していますが、さほど荒れてない日でも当直を代わってもらったりしているし、艦内で流行ってたアレ(勝が持ち込んだ)の感染して熱を出していたのかもしれません。
全くの仮説ですが。
返信する
Unknown (じゅん)
2012-02-14 13:31:51
先日は、長々とコメを投稿し、すみませんでした。私も、いろいろな資料など調べてみますね。内藤様の、松岡磐吉さんの知識、見識の深さに、心から尊敬申しあげます。また宜しくお願いします。
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