エジプトの暴れん坊将軍、強烈な砂嵐からセラぺウムへ必死に逃れた私達は、しばし放心状態。
髪、衣服、顔の砂を丹念に払って小休止をとった。
あれほど砂を払ったはずなのに、その日のシャワーは、タイルに砂がたまった。
そして一息ついた砂臭いメンバーは、砂が吹き込む入口から、まるで伝説のゲーム「ダンジョンマスター」の洞窟のようなセラぺウムの中へと移動し始める。
まだ入り口近くのダンジョンでは、ハムシーンの轟々という唸り声が聞こえる。
思わず耳を塞ぐビビりの息子(笑)
ライトアップされた数多くのアピスの棺が徐々に姿を現わしてきた。
セラペウムは1851年に、これまたオーギュスト・マリエットによって発見された。
地下回廊には約30頭の聖牛の棺が並んでいて、石碑にその聖なる牛が生きた時代の記述が刻まれている。
古代エジプトでは、豊穣のシンボル牡牛が「アピス」と呼ばれ神として崇拝されていた。
エジプト全土からアピスの特徴を備えた牡牛を探し出すための特別な祭司までが存在したそうだ。
その特徴とは身体は黒く、眉間に三角の白い斑点があり、背中に鷲の形をした模様があり、尾には2重の毛が生え、舌にはスカラベの様な模様がついている。
そんな牡牛が本当にいたのだろうか。
それでも聖牛が発見されると、全エジプトが歓喜し祭りを行ったそうだ。(ムハンマドさん談)
ハワード・カーターの豪快な逸話にも、このセラぺウムが登場する。
カーターがサッカラの監査官だった頃、ある時酒に酔ったフランス人観光客の一部がセラぺウムのチケットを支払わず入場。
その後、一行はセラぺウム内部に灯りが無かったことを理由に全員のチケットの払い戻しを要求。
それに対してカーターは払い戻しを拒否、これが殴り合いに発展。カーターはもちろんエジプト人と共に参戦。
その結果フランス人観光客が大使館を通して抗議をしてきた。
イギリスとフランスの外交的な考慮から、カーターは謝罪を要求されたが、これを拒み考古局を辞職してしまった。
この後しばらく不遇な時代を過ごす事にはなるが、一本筋の通ったカーターに拍手!(山岸涼子「ツタンカーメン」より)
もうひとつセラぺウム、アピスが登場する物語がある。
瀬名秀明「八月の博物館」だ。
真夏に奇妙な博物館を発見し、その不思議な博物館に迷い込む少年と、時空を超えたマッチョなマリエットが大活躍する物語。
クライマックスは、セラぺウムに甦ったアピスが登場して、今日の暴れん坊砂嵐のように暴れまくる。
息子の本箱から偶然見つけて読んだら、なかなか面白かった本だ。
一番驚いたことは、瀬名氏のあとがきにあった記述。
この物語を編むために協力してくれたWael M Atef さんに感謝するとある。
私の初エジプトの日本語ガイドさん、ワッちゃんのことだ!!すごい!!
長かったダンジョンの冒険も、上がり階段が現れて地上へと戻る時が来たようだ。
砂嵐のうなり声が聞こえてこない。次の地点へ移っていったのかもしれない。
避難させてくれたアピスに感謝。
映画館から出たように目がチカチカするが、とにかく御一行様 無事ご生還。
おめでとうございます!アリフ マブルーク!
去っていった砂嵐の名残りがまだ残るなか、次の目的地ダハシュール・メンフィスへ向かおう。
追記:入口でカメラを取り上げられなかったので、写真撮影は禁止ではないと思った。
セラぺウム内の写真は、ひょっとしたら禁止、もしくは近い将来禁止になる可能性があるかもしれない。
2003年当時、エジプト考古学博物館も写真撮影を禁止してはいなかった。翌年訪れた時には、すでに撮影禁止となっていた。