勝気で喧嘩っぱやい私と違って、母は穏やかで優しい人でした。
母は「とぜんなかねー」と時々言っていたことを思い出しました。
花が好きな母でしたが、なすこともなく退屈な時もあったのでしょうかね。
(私の故郷では“なすこともなく退屈な”状態を 「とぜんなか」と表現します。
はっきりしませんが”徒然なか”という漢字が充てられるのでしょうか?)
私は、結婚後“とぜんない”時を無くすために、岡山、大阪、福岡と転勤した先々で
仲間作りをしてきました。 その一つが読書会です。
今、私の作った、小さな「帚木蓬生の読書会」は15年目を迎えようとしています。
私が50代の時は50代の方を、60代になってからは60代の方を1年に1回の募集をしてきました。
1か月に1度、平日にランチを食べながら、読後感を語り合います。女性だけの集まりですから、
本の話だけではなく、世間話でも盛り上がって楽しい午後を過ごします。
でも、15年続いてきたのは「親しんで馴れず」というのをモットーにして、過度に互いのことに
触れずにきたからです。
それが理解できない人はアウト!去って!
ところが、私の突然の変形性股関節症で3か月もの休会を強いられました!
初めてのことです。でも、古株達は残ってくれました。
ご心配かけました。お見舞いありがとう!
で、術後初めての例会を天神の「ASO」の個室で、警固公園を眺めながら開きました.
1年に1度冊子も発行してきましたので、今回は夫に手伝ってもらいました。ありがとう!
久しぶりにお会いした皆さんの反応は「全然分らないね。思ったより元気ね」とのこと。
でも、歩きに、まだまだ自信がなく、本来なら御一緒にデパート巡りでもするところですが、
一人帰りました。
つくづくと、元気な時に、この会をつくっていて良かった!身も心も活力に溢れていないと、
見知らぬ方々との縁なんか結べない!と心弱くなった今、思います。
多分、この会がなければ、術後3カ月で、わざわざ街中に出向くことはなかったでしょう。
会を作っていて、良かった!この会は私に生きる力をくれる!
母さん!とぜんなかって言わないように、今は「朱の徒然(このブログのタイトル)」を書いているよ!
(夏の花をいただきました。ありがとう)
母は「とぜんなかねー」と時々言っていたことを思い出しました。
花が好きな母でしたが、なすこともなく退屈な時もあったのでしょうかね。
(私の故郷では“なすこともなく退屈な”状態を 「とぜんなか」と表現します。
はっきりしませんが”徒然なか”という漢字が充てられるのでしょうか?)
私は、結婚後“とぜんない”時を無くすために、岡山、大阪、福岡と転勤した先々で
仲間作りをしてきました。 その一つが読書会です。
今、私の作った、小さな「帚木蓬生の読書会」は15年目を迎えようとしています。
私が50代の時は50代の方を、60代になってからは60代の方を1年に1回の募集をしてきました。
1か月に1度、平日にランチを食べながら、読後感を語り合います。女性だけの集まりですから、
本の話だけではなく、世間話でも盛り上がって楽しい午後を過ごします。
でも、15年続いてきたのは「親しんで馴れず」というのをモットーにして、過度に互いのことに
触れずにきたからです。
それが理解できない人はアウト!去って!
ところが、私の突然の変形性股関節症で3か月もの休会を強いられました!
初めてのことです。でも、古株達は残ってくれました。
ご心配かけました。お見舞いありがとう!
で、術後初めての例会を天神の「ASO」の個室で、警固公園を眺めながら開きました.
1年に1度冊子も発行してきましたので、今回は夫に手伝ってもらいました。ありがとう!
久しぶりにお会いした皆さんの反応は「全然分らないね。思ったより元気ね」とのこと。
でも、歩きに、まだまだ自信がなく、本来なら御一緒にデパート巡りでもするところですが、
一人帰りました。
つくづくと、元気な時に、この会をつくっていて良かった!身も心も活力に溢れていないと、
見知らぬ方々との縁なんか結べない!と心弱くなった今、思います。
多分、この会がなければ、術後3カ月で、わざわざ街中に出向くことはなかったでしょう。
会を作っていて、良かった!この会は私に生きる力をくれる!
母さん!とぜんなかって言わないように、今は「朱の徒然(このブログのタイトル)」を書いているよ!
(夏の花をいただきました。ありがとう)
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