「おとうさん、明日は審判の勉強に出掛けるから、帰ってきたら沼影プールに行こう」と言うと、
「どうして審判しないのに必要なの?」というまさに的を射た質問を返され、
「まったくもってそのとおり」と妻と車の中で大笑い。
確かにここのところまったくしていないし、これからする当てもない。でも僕は、もし万々が一子供がサッカーをしたいといったとき、誰かの親が帯同としてアサインされることになる。そのとき、右も左もわからない奴と一緒に4級から始めるなんてとてもプライドが許さない。
箱根ヶ崎で試合があると言われれば八高線に乗り、検見川に行けと言われれば旅行から帰った翌日でも行き、ドイツの生意気なガキどもに泣かされたこともあれば、大学生にガンをつけらたり、インストラクターに辛らつなこと言われたり...週末のほとんどを犠牲にして、(今思えば笑えるけれど)1度だけでもいいからJ-Leagueで旗を振りたいと思って僕は努力した。そう、結局3級で終わってしまったが、なかなか機会のない2級昇級試験も受けた。妻をして珍しく「確かにあのころはよくやってたわね~」と言わしめるほど頑張っていた。
だからこそ、だからこそどうしてもこの資格を手放したくない...のか?
僕は実はここから本当に多くのこと学んだ。それは今回の8日間のトレーニングの中でも、これこそ自分のアイデンティティーであると言っても過言でないほどだと気付かされることが多くあった。
知らない人(副審)とチームを組んで、うまくコントロールできるようにすること
選手たちに受け入れられる形で、試合をコントロールすること
常に正しい判断をすること
常に人が見ていないところに目をやり、気を配ること...
若かった僕はこの点に本当に苦労して考えた。残念ながら体力はついていかなかったが、頭では相当いろいろと考えていたんだと思う。いろんな人の話を聴き、いろんなことに応用しながら、自分の体力のなさに泣きながら毎週の試合に一喜一憂しながら、
そもそも「何のためにこれをするのか」という根源的なことから、ひいてはこれが「スキル(ノウハウ)と知識の積み上げであるということ」、勉強して、練習して、身に付けていくということを、審判の世界を通して身に付けることができた。
休憩時間に、あっこの人もしかしたら組んだことあるひとだな、あのころやってたなぁと思ったり...でももう10年以上も前の話だから、話すこともない。向こうも気付かないだろう。でも、そんな思い出の中から、今の自分が、当時の自分から限りなく飛躍して、違う舞台ではあるけれど、確実に次のステップに進んでいるということが実感できた。
だからこそ、だからこそどうしてもこの資格を手放したくない...のか?
いや違う。実際に継続研修の会場にやってきてそう思った。これは今の僕を形づくるひとつのアイデンティティーそのものだから、僕はこの資格だけは手放したくないのだ。
週末を犠牲にして投資した時間、ある部分これを通して失った関係、26才で2級になり損ねた挫折...すべてが神さまからもらった貴重なプレゼントだった。ふとそんなことを考えた。
時々近所で草試合を見ると、今こうして視野が広くなり、より高いコミュニケーションの技術を身に付けた自分が今、またフィールドに立ったら、きっといい笛を吹けるだろうなぁ...なんて思ったりする。あるいは、試合勘がなくコテンパンにやられてしまうのかもしれない...。いつかまた一度やってみたいなぁ。
実は会場はアミュー立川でした。南口の繁華街を抜け...連絡したかったけどすっ飛んで帰ってプールに行かなきゃいけなかったから。
ちょっと落ち着いてきたので、またぼちぼち飲みに行こう!