無銘の芙蓉書です。
前回記事から一年以上の間を置き、
サビ漆の乾燥を確認してから、
少し使用し、それから仕上げました。
作者が誰かは知りませんが、
無数のピンホールが発生した時の落胆した気持ちは、
駒師ならば想像に難くありません。
しかし、現代技術を持ってすれば、
ピンホールは十分挽回が可能です。
私は良い時代に生まれました。
今の駒作りは、先人たちの血と汗と涙で出来ている、
そんな気が致します。
オークションに出しました。
⇒YAHOOオークション
前回記事から一年以上の間を置き、
サビ漆の乾燥を確認してから、
少し使用し、それから仕上げました。
作者が誰かは知りませんが、
無数のピンホールが発生した時の落胆した気持ちは、
駒師ならば想像に難くありません。
しかし、現代技術を持ってすれば、
ピンホールは十分挽回が可能です。
私は良い時代に生まれました。
今の駒作りは、先人たちの血と汗と涙で出来ている、
そんな気が致します。
オークションに出しました。
⇒YAHOOオークション
あまり見た事ない画像ですね。
駒袋を洗って干しているところです。
大事な駒を守ってくれているのは、
駒箱だけではありません。
事実、駒袋を洗うと予想以上に、
汚れていることが分かりますよ。
駒袋が汚れていると、駒も汚れる理屈です。
あなたの駒袋、大丈夫ですか?
駒袋を洗って干しているところです。
大事な駒を守ってくれているのは、
駒箱だけではありません。
事実、駒袋を洗うと予想以上に、
汚れていることが分かりますよ。
駒袋が汚れていると、駒も汚れる理屈です。
あなたの駒袋、大丈夫ですか?
薩摩黄楊で作る錦旗書です。
表面の彫が終りましたので、
裏面の字母紙を貼りました、
と言いたいところですが、
歩兵が19枚しかないことに今気づきました。
もともと19枚だったか、
1枚紛失したのか?
スタートしたのは2年前なので、
正直、分からなくなってしまいました。
気楽に作るつもりだったので、
多分19枚だった気がするのですが、
気持ちは変化するもので、
20枚仕様が良い気がしています。
裏面を彫りながら考えます。
表面の彫が終りましたので、
裏面の字母紙を貼りました、
と言いたいところですが、
歩兵が19枚しかないことに今気づきました。
もともと19枚だったか、
1枚紛失したのか?
スタートしたのは2年前なので、
正直、分からなくなってしまいました。
気楽に作るつもりだったので、
多分19枚だった気がするのですが、
気持ちは変化するもので、
20枚仕様が良い気がしています。
裏面を彫りながら考えます。
作品数でいえば、圧倒的にメジャーなのがこの天童楷書、
本当の書体名は「羽前(うぜん)」、
羽前地方(現在の山形県)ですね。
でも、あえて書体名を刻まないのが、
天童楷書における定跡です。
雅号は「鷹山(ようざん)」、
米沢藩(現在の山形県米沢市)9代目藩主、
名君として知られた上杉鷹山、
そこから頂戴した雅号でしょう。
最後は「木口杢」。
私の知る限りですが、
古い作品はほとんど天童の駒師によるもので、
その事実からからすると、
オリジナルは天童だと思います。
本作は天童駒師の想いが凝縮、
そういえば彫駒なのに余り歩も2枚ですね。
何か意地のようなものを感じます。
オークションに出しました。
⇒YAHOOオークション
本当の書体名は「羽前(うぜん)」、
羽前地方(現在の山形県)ですね。
でも、あえて書体名を刻まないのが、
天童楷書における定跡です。
雅号は「鷹山(ようざん)」、
米沢藩(現在の山形県米沢市)9代目藩主、
名君として知られた上杉鷹山、
そこから頂戴した雅号でしょう。
最後は「木口杢」。
私の知る限りですが、
古い作品はほとんど天童の駒師によるもので、
その事実からからすると、
オリジナルは天童だと思います。
本作は天童駒師の想いが凝縮、
そういえば彫駒なのに余り歩も2枚ですね。
何か意地のようなものを感じます。
オークションに出しました。
⇒YAHOOオークション
コロナの影響は私の棋力にまで及んでいます。
ん?責任転嫁?
そうとも言えますね。
でも、やはりアナログ世代としては、
リアル対局が無いと感が鈍るんですよ。
ようやくそれが戻ったかな、
と思える対局があったので、
一応記録しました。
⇒駒師日向の対局場
コロナ禍に何をしてたかって?
ずっと中原対米長の将棋を並べていました。
今見ても新鮮な両者の棋譜、お勧めです。
ん?責任転嫁?
そうとも言えますね。
でも、やはりアナログ世代としては、
リアル対局が無いと感が鈍るんですよ。
ようやくそれが戻ったかな、
と思える対局があったので、
一応記録しました。
⇒駒師日向の対局場
コロナ禍に何をしてたかって?
ずっと中原対米長の将棋を並べていました。
今見ても新鮮な両者の棋譜、お勧めです。
今も未熟な自分を自覚しておりますが、
試作も含め、作者の責任として銘を刻まなかったことはありません。
しかし、最近ちょっと多いな、と思うのが無銘の駒です。
銘を刻まず作品を世に放つ、その心理とは?
買われる側、使われる側にそういうニーズがあるのでしょうか。
マーケティングにお詳しい方、
浅学な私に、こっそりご教示頂きたく。。
試作も含め、作者の責任として銘を刻まなかったことはありません。
しかし、最近ちょっと多いな、と思うのが無銘の駒です。
銘を刻まず作品を世に放つ、その心理とは?
買われる側、使われる側にそういうニーズがあるのでしょうか。
マーケティングにお詳しい方、
浅学な私に、こっそりご教示頂きたく。。