徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

スーパーエッシャー展

2006-12-22 | 美術
スーパーエッシャー展
ある特異な版画家の軌跡
2006年11月11日から2007年1月13日
Bunkamuraザ・ミュージアム

エッシャー(1898~1972)の回顧展に行ってきました。22日金曜日の夜八時前。それほどの混雑でもなく、それなりに落ち着いて鑑賞することができました。

展覧会は、
第一部 身近なものと自画像:若い頃の作品から始まります。自画像が数点。「椅子に座っている自画像」(1920)は下から見上げる構図。自信ありげな自画像。また、フンコロガシ、トンボ、蝶などの昆虫などを版画とは思えないリアルさで描いた作品が並びます。「24の寓意画」(1931)も24点が並ぶ。
第二部 旅の風景:イタリアを訪れた1922年以降の風景作品。コルシカ島やアマルフィーの海岸の風景など。平坦な国オランダ人がイタリアの大理石で多い尽くされた空間に驚いたようすが見て取れます。「ヴァン・エイクやデューラー、ホルバインといった北方の巨匠たちを思い起こす。北方ルネサンスの伝統の系譜に位置づけられるべき作家」と解説がある。
第三部 平面と立体の正則分割:「昼と夜」(1938)など正則分割の作品が並ぶ。
第四部 特異な視点、だまし絵:「球面鏡のある静物」など特異な視点の絵のほかに、「バルコニー」(1945)のようなだまし絵がならぶ。

また、音楽と数学とアートの関係を感じさせたのは、「図式化されたJ.S.バッハの平均律」(1936)。バッハの対位法の音楽にのせて、画面がエッシャーの作った規則に従ってコンピュータCGで表示されます。面白いです。

さて、もしかするとエッシャーの版画を直に鑑賞するのは始めてかもしれません。エッシャーが紹介された「少年マガジン」(1968)を直接読んだことはありませんが、だまし絵としてエッシャーの作品は、雑誌などで紹介されていて誰でも知っています。でも深く考えることなく今日まで過ごしてしまった。それが今解き明かされた。その数学的な背景を知っていれば、自分ははまっていただろう。そんな気分です。

そして出口で、図録ではなく、「美術手帖」11月号を購入してしまいました。梶川泰司氏監修の「アート&サイエンスの革新者M.C.エッシャー」という特集が掲載されていたためです。正則分割、遠近法、無限法、不可能性というキーワードでエッシャーの絵の構図をユークリッド幾何学的空間、非ユークリッド幾何学的空間、バチェフスキー幾何学、リーマン幾何学というような言葉を駆使して解説しています。

でもその構図の上に、図柄と絵を重ねたところは、天才的であり、CGアートの古典といっていいわけである。ダリ展とエッシャー展は、年配の方よりも若い観覧者が圧倒的に多い気がしますが、現代の日常生活にある映画やテレビの元祖を感じられるという意味では当然なのかもしれません。

さらに詳しく知るには、下記の本が、数学者ブルーノ・エルンストによるエッシャー作品解説の決定本のようです。
エッシャーの宇宙

朝日新聞社出版局

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一枚の紙の中に緻密に思い通りの世界を構築していく男。そこに無限を出現させ、不思議な秩序を操り、不可能を可能にしてみせてくれる男。オランダの版画家 M.C.エッシャー(1898年~1972年)が創り出したのは、かつてシュルレアリストが夢見た超現実世界とは別の、画面中で自立した「現実」であり、 閉じた小宇宙なのです。だから私たちはつい身を乗り出し、その調和や規則性に魅了され、遊び心に興奮させられます。
美術界の異端児と呼ばれながらも多くの支持者をもつエッシャー。17世紀以来のだまし絵とも一線を画したその特異な主題は、前人未到の分野であっただけに、むしろ数学や心理学といった他の分野からの関心を集めてきました。しかし美の技法的革命が進行する今、彼をその先駆者として捉え直すこともできます。その技術的制約ゆえにあえて版画にこだわったこの職人気質は、腕にものを言わせ、丹念に、ときには強引に、全ての法則を自らが律する思いのままの王国を築き上げたのです。
本展はオランダのハーグ市立美術館の約160点に様々な資料を加え、CGアートが美術界を席巻する21世紀における古典としての意味を考える、意欲的な、しかし相変わらず心躍らされる、画期的なエッシャー展なのです。
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