明治神宮外苑創建80年記念特別展
「小堀鞆音と近代日本画の系譜 -勤皇の画家と『歴史画』の継承者たち-」
2006年10月21日から12月3日
明治神宮宝物展示室
日本画家・小堀鞆音(ともと)との展覧会に最終日に滑り込んだ。
小堀鞆音については、名前だけがわかる程度だった。この展覧会で、歴史画の正当な継承者であり、門下に安田靫彦がいるという有名な画家だということを初めて知った。東京美術学校助教授に1897年になるが、翌年美術学校騒動が起こり、岡倉天心とともに辞職、日本美術院創立に加わり、1907年に開設の文展には最初から審査員として出品、東京美術学校教授、帝室技芸員などを歴任。ということは、当時としては画壇の主流だった。
300年の泰平の江戸時代は、歴史画とくに武士を描いた作品は、それほど需要がなかったのだろう。中国崇拝で、山水画や中国故事を画題とする狩野派、王朝文化を懐かしんだ琳派、一般庶民向けの浮世絵、でも秀吉公のことを描いただけで弾圧がおきた時代だ。武士の絵はなかなか主流派にはなれなかった。それが、一気に富国強兵の世となる。一方、明治20年から30年にかけて古美術の調査も行われ、日本でもロマンティシズムのブームを起したのだろう。それが相俟って、小堀鞆音のような有識故実に造詣の深い歴史画が誕生したのだろう。
現実に作品を見ると、土佐派の伝統を引き継ぎ、細密な鎧の描写など、心血を注いだところであったというだけあり、目を見張るものがある。また堂々とした武士像、活き活きとした人物描写は秀逸。
残念ながら、前期、中期、後期と展示替えがあり、きちんと前期も見ておけばとは悔やまれた。
小堀鞆音で展示されていたのは、
「金崎管弦図」(個人蔵)「常世」(東京芸術大学蔵)「西行詣白峰図」(個人蔵)「聖宝僧正渡一條大路図」(佐野市郷土博物館)「義経遭伊勢三郎図」(福富コレクション)「田原藤太秀郷図」(栃木県立美術館寄託)「八幡太郎義家出陣図」(個人蔵)「義経弓流之図」(個人蔵)「文武両官図 大江匡房朝臣 源義家朝臣」(佐野市)「謙信賞月図」(佐野市郷土博物館)「足利忠綱宇治川先陣図」(個人蔵)「三浦義明忠勇図」(個人蔵)「本間孫四郎和田岬遠矢図」(個人蔵)「天孫降臨図」(個人蔵)「観音図」(個人蔵)「曹子採薪・子路負米」(個人蔵)など。このほかに聖徳記念絵画壁画の下図が展示されていた。
「聖宝僧正渡一條大路図」の群像のようす。「足利忠綱宇治川先陣図」の装飾的な波の技法の美しさなど、見ごたえがあった。
小堀鞆音以外で目を引いたのは、冷泉為恭「天保施米図」(重要美術品、岡崎市美術博物館)、鏑木清方「秋草」(福富コレクション)など
明治神宮宝物殿の券も、頂いたので拝観。宝物館は、奈良の正倉院の校倉造りを模した校倉風大床造りの我が国初期の鉄筋コンクリート建築の代表的な建物だそうだ。「伝統」と「近代」を統合することが求められた結果。
内部には、明治天皇、歴代天皇の肖像画のほか、明治天皇、昭憲皇太后祭のゆかりの品が並んでいる。有名な明治天皇、昭憲皇太后の御尊影「エドアルド・キヨッソーネ 謹写」というのはここに展示されていた。この御尊影は写実的なのだろうか、宣伝用のすこし格好よく描いたものではなかろうか、という論議が「ミカドの肖像」か何かで議論されていた覚えがある。その横に明治天皇の彫像があったが、こちらのほうが時代が下っており、写実的なのではないかと考えたが。
神宮外苑にある聖徳記念絵画館の(今月いっぱい有効の)無料券も頂きました。これも機会があれば訪れたいと思います。
「小堀鞆音と近代日本画の系譜 -勤皇の画家と『歴史画』の継承者たち-」
2006年10月21日から12月3日
明治神宮宝物展示室
日本画家・小堀鞆音(ともと)との展覧会に最終日に滑り込んだ。
小堀鞆音については、名前だけがわかる程度だった。この展覧会で、歴史画の正当な継承者であり、門下に安田靫彦がいるという有名な画家だということを初めて知った。東京美術学校助教授に1897年になるが、翌年美術学校騒動が起こり、岡倉天心とともに辞職、日本美術院創立に加わり、1907年に開設の文展には最初から審査員として出品、東京美術学校教授、帝室技芸員などを歴任。ということは、当時としては画壇の主流だった。
300年の泰平の江戸時代は、歴史画とくに武士を描いた作品は、それほど需要がなかったのだろう。中国崇拝で、山水画や中国故事を画題とする狩野派、王朝文化を懐かしんだ琳派、一般庶民向けの浮世絵、でも秀吉公のことを描いただけで弾圧がおきた時代だ。武士の絵はなかなか主流派にはなれなかった。それが、一気に富国強兵の世となる。一方、明治20年から30年にかけて古美術の調査も行われ、日本でもロマンティシズムのブームを起したのだろう。それが相俟って、小堀鞆音のような有識故実に造詣の深い歴史画が誕生したのだろう。
現実に作品を見ると、土佐派の伝統を引き継ぎ、細密な鎧の描写など、心血を注いだところであったというだけあり、目を見張るものがある。また堂々とした武士像、活き活きとした人物描写は秀逸。
残念ながら、前期、中期、後期と展示替えがあり、きちんと前期も見ておけばとは悔やまれた。
小堀鞆音で展示されていたのは、
「金崎管弦図」(個人蔵)「常世」(東京芸術大学蔵)「西行詣白峰図」(個人蔵)「聖宝僧正渡一條大路図」(佐野市郷土博物館)「義経遭伊勢三郎図」(福富コレクション)「田原藤太秀郷図」(栃木県立美術館寄託)「八幡太郎義家出陣図」(個人蔵)「義経弓流之図」(個人蔵)「文武両官図 大江匡房朝臣 源義家朝臣」(佐野市)「謙信賞月図」(佐野市郷土博物館)「足利忠綱宇治川先陣図」(個人蔵)「三浦義明忠勇図」(個人蔵)「本間孫四郎和田岬遠矢図」(個人蔵)「天孫降臨図」(個人蔵)「観音図」(個人蔵)「曹子採薪・子路負米」(個人蔵)など。このほかに聖徳記念絵画壁画の下図が展示されていた。
「聖宝僧正渡一條大路図」の群像のようす。「足利忠綱宇治川先陣図」の装飾的な波の技法の美しさなど、見ごたえがあった。
小堀鞆音以外で目を引いたのは、冷泉為恭「天保施米図」(重要美術品、岡崎市美術博物館)、鏑木清方「秋草」(福富コレクション)など
明治神宮宝物殿の券も、頂いたので拝観。宝物館は、奈良の正倉院の校倉造りを模した校倉風大床造りの我が国初期の鉄筋コンクリート建築の代表的な建物だそうだ。「伝統」と「近代」を統合することが求められた結果。
内部には、明治天皇、歴代天皇の肖像画のほか、明治天皇、昭憲皇太后祭のゆかりの品が並んでいる。有名な明治天皇、昭憲皇太后の御尊影「エドアルド・キヨッソーネ 謹写」というのはここに展示されていた。この御尊影は写実的なのだろうか、宣伝用のすこし格好よく描いたものではなかろうか、という論議が「ミカドの肖像」か何かで議論されていた覚えがある。その横に明治天皇の彫像があったが、こちらのほうが時代が下っており、写実的なのではないかと考えたが。
神宮外苑にある聖徳記念絵画館の(今月いっぱい有効の)無料券も頂きました。これも機会があれば訪れたいと思います。