虹の翼(つばさ)〜多次元へと羽ばたく

タロット&数秘、
直感ワーク

愛と気づきに満ちた世界は、笑いがいっぱいの世界♪

「インナーラビリンス〜自分という名の迷宮」

2016-06-27 | OSHO

「インナーラビリンス」の著者ナルタンの講演会に行ってきたよ

会場は書泉グランデ。

4階の精神世界コーナーめっちゃ充実、毎年OSHOフェア開催されてるところ

きめ細やかな翻訳家としてもちょー有名なナルタン、

初めて会った彼女は、優しい雰囲気の、とてもお茶目な人でした。


あまり人からサインをもらわおうとか思わない私ですが、ごらんの通りで、ハグまでできてご満悦〜

(ただのミーハーか

 

写真は苦手、ということなのでありません。

 

本当の自分を知りたいという強烈な想いとともに、

ほとんど何も知らないままにインドに渡り、

日本人として、生身のOSHOともっとも身近に過ごしたナルタン。

 

彼女の自己探求のプロセスを綴った自叙伝が「インナーラビリンス」

 

物語そのものも刺激が盛りだくさん、一気に読んじゃいたくなるほど面白いけど、

それだけじゃなくって、

ものすごく真摯で誠実な求道の魂に、あちこちでこころを揺さぶられるよ。

 

Amazonでもいい感じで売れているみたいですよ

 インナーラビリンス-自分という名の迷宮


源泉(ソース)へと還る

2016-01-02 | OSHO

2016年、明けましておめでとうございます~

 

マンガラジャパンで教え始めて3年。

 

セッションでも、講座でも、

 

出会いの不思議さと尊さ、素晴らしさに感動しきり

 

内面を見つめる「あなた」は、「私」でもある・・・

 

ほんとうにありがたいことです~

 

今年もどうぞ、よろしくお願いいたします

 

 

新年は、生まれたての赤ちゃんのようにみずみずしくって

 

私たちが初心に還る時・・・

 

 

初日の出は、生きとし生けるものを育む、パワフルないのちのちからを実感させてくれる。

 

めでたく、ありがたいね~

 

 
 

ここで、インド大陸の最南端・カーニャクマリのパワフルな日の出をどうぞ~

 

 

 

 

 

禅タロットではこの「ソース」のカード、

 

これが表しているものは、内なる太陽なの。

 

 

 

見てるだけでも元気になるっしょ~ 

 

寒い時期にはとくにって~

 

 

生命エネルギーの発電機=丹田、

 

そこで私たちは、24時間いつでも、充電可能なんだ

 

 

 

OSHOの言葉をどうぞ。

 

 

「禅は、頭から抜け出て、根元に行くことをあなたに求める・・・

 

エネルギーがまさに中心にあり、脈打っているとき、

 

エネルギーが頭にもハートにも、どこにも動かずに、

 

源そのもので脈打っているとき−−それこそが、まさに座禅の意味だ。

 

 

座禅とは、どこにも動かずに、源そのものに座ることだ。

 

 

途方もない力が湧いてくる。

 

光と愛へ、

 

さらに大いなる生へ、

 

慈悲へ、

 

創造性への、

 

エネルギーの変容。

 

 

エネルギーは多くのかたちを取ることができる。

 

だがあなたはまず、いかにその源にあるかを学ばなければはならない」

 

 

座禅とは、瞑想そのもの。

 

 

内なる源は、まさに純粋なエネルギーの湧き出る泉、

 

それはいつも私たちを待ってくれているんだ

 

 

 

日本は伝統的にハラ=丹田の文化の国、

 

武道でも舞でも、丹田が肝心、 

 

ハラが座る、なんて言い方もある。

 

 

そこで、私たちはくつろぎ、

 

自分自身に還り、

 

必要なインスピレーションを受け取ることができるんだよーー

 

 

 

 

あなたが内なる太陽から滋養を受け取り、

 

この新しい年が、実り豊かな喜びに満ちたものとなりますように・・・

 

 

 

ーー新春瞑想会のお知らせーー

 1月10日(日)at 名古屋

  

 ご一緒できれば嬉しいな~

 

それ以外の地方の方も、興味があればお問い合わせください。

 

あなたの住まいのお近くでも、瞑想会があると思います

 

 


豊かさの意識から生きる

2015-12-04 | OSHO

「どのような仕事でも


認められることを求めず


仕事を愛し、楽しむ―ー


この単純な術をすべての人が学べば 


世界はもっともっと美しく祝祭に満ちたものになる

 


さもなければ

 

世間の惨めなパターンに補らえられてしまうだけだ」

 

 

こんなOSHOの言葉を見つけました。

 

 

 

 

私たちは、仕事=お金=名誉=自己価値という考えにあまりにも慣らされていて

  

 

やっぱり、

 

稼ぐなら効率よく稼ぎたい

 

結果を出さなちゃ意味がない

 

そのためにはどうするか・・・

 

 

ってことだけに意識が向かいがちだったりするよね。

 

 

だから、何億とか稼いでる人がいると、

 

それだけですげーーなーー

 

 

それにひきかえ自分はって思っちゃうわけだけど

 

 

 

 

これって、仕事に限らず、

 

私たちの人生にすべて共通の、

 

基本的な思考パターン

 

 

とっても根深いパターンだよね

 

 

 

 

効率良く稼ごうとすることそのものが悪いって言ってるわけじゃない。

 

 

でももしそれが、

 

 

仕事に対する愛や楽しみからじゃなく、

 

 

今の自分のままではダメだ、十分じゃないっていう、欠乏の感覚を埋めるためのものであれば、

 

 

結果を出すことで満たされようと、どんどん走り続けるしかなくなるよね

 

 

人類の集合無意識は、まさにこう

 

 

結果として、

 

 

どれだけたくさん手に入れたかだけが肝心で、

 

 

手に入らなければ、落ち込むことになる

 

 

ただのゲームが、生きるか死ぬかを左右する、メチャ深刻なものになるし、

 

 

その結果が、今の地球というわけさ

 

 

 

 

私のスタンスは基本的には、

 

怠け者でもあるので

 

必要な人に届いて、

 

必要な人が受け取ってくれればいいって思うのです

 

 

結果を得るために、

 

欲望を掻き立て、恐怖を煽る、

 

どんな手段でも使って、いらないものでも買わせようとする、

 

そういうビジネスのゲームって、

 

美しくないし、やっぱり長続きしないよね。。。

 

 

  

 

OSHOの言葉は、こう続きます。

 

 


「あなたがしていることは 


あなたがそれを愛し、完璧にやっているからよいのではなく


世間が認め、それに報酬を与える一ー 


金メダルやノーべル賞を与えるからよいというわけだ



彼らは創造性に内在するあらゆる価値を取り去り 


実に多くの人々を破壊してきた


なぜなら 何百万もの人々にノーベル賞を与えることはできないからだ



そして認められたいという欲望を 


あらゆる人々の内側に生み出したから 


何をしても、平和で平穏に楽しみながら 


仕事をすることができない 



生は些細なことから成り立っている


ところが、その些細なことには報酬もなければ 


政府から与えられる肩書きもなく 


大学から与えられる名誉ある学位もない



自らの個人性 (indivduality") を


いくらかでも感得している者は 


他人がどう思っているかを少しも気にせずに 


自らの愛、自らの仕事に基づいて生きてゆく


ゴールド•ナゲッツ

 

 


瞑想は、



私たちが生まれながらに豊かな存在で、
 
 
何を乞う必要もないこと、
 
 
満ち満ちてあること、
 

愛そのものであるという奇跡に気づかせてくれる・・・




その意識から生きるとき、



存在そのものが、つねにつねに必要なものを与えてくれていると分かってくる。




 
成功も失敗もただのゲームとなって、
 
 
 
深刻なものではなくなる
 
 
 
 
 



エゴさんにつきものの欠乏感から、
 
 
 
戦わなくては、奪わなくては生きていけないという思い込み、
 
 
 
集合無意識の引き降ろす力は執拗にあるよね。
 
 
 
貪欲で、ケチな自分もいるいるー
 
  
 
でも同時に
 

 
惜しみなく光を降り注ぐ太陽のような、
 
 
 
豊かさの源泉が内にあるってことを忘れないでいたいー、とせつに思うのです
 
 
 
 

 
 


 
 

今日も来てくれてありがとう





あなたの人生に、エールを送ります



OSHOフェア開催中です~♪

2015-02-06 | OSHO

「新宿紀伊国屋・本店」で、今月2日からOSHOフェアが開催されています。

 

新刊「死について41の答え」をはじめ、めるくまーる、OEJブックス、市民出版社などで出版されたOSHOの本が勢ぞろい。

会期は1か月ぐらいとのこと。

「新宿紀伊国屋・本店」と言えば、本屋の王様みたいなところですから、これはすごいことなのですよ


写真の人は、編集長兼営業部長のアナンドギートです。

本の出来映えにも、ブックフェア開催にも大満足満面の笑みですね

 

ちなみに、彼は、スマトラ沖の大地震の際にスリランカで大津波に会い、九死に一生を得たということで、

今回の本の編集にも営業にも、ものすごく力を注いでくれました。

ブックフェアの開催も、彼をはじめとして、たくさんの方々の並々ならぬ努力があって実現したこと、

本当に嬉しく、ありがたいことだと思っています

 

みなさま、ご尽力、ほんとうにありがとうございました~~~

 

ちなみに、精神世界の巨人「神田書泉グランデ」でもフェア開催中。

こちらは市民出版社主催の共同のフェア、こちらは今月8日まで(今週の日曜日)。

 

どちらのフェアでも、本の他にポストカードやグッズなども揃っていて楽しいですよ~

 

お近くにお越しの際は、ぜひ足を運んでみてくださいね


OSHOの命日でした~

2015-01-21 | OSHO

1月19日は、OSHOが肉体を去った日。

 

光明を得た師という存在はつねに、私たちに究極の真理を指し示し、

私たちの本質が身体でも心でもないという真実を指し示してくれている。

 

マスターは月を差す指なんだよ、

でも月そのものではない、指に噛み付かないようになんて言うわけだけど・・・

 

師という存在について、そして師と弟子とのつながりについて、言葉で説明するのはとてもむずかしいよね。

 

それでも、これほどリアルな出会いはないし、

この出会いには、どんなに感謝してもしつくせないんだ・・・

 

この命日に、OSHOのこんな言葉が目に入りました。

 

「私に関していえば、あなたがあらゆる人からーー私からもーー自由になるよう、そして、あなたが探求の道においてただ独りになれるよう、あらゆる努力をしている。

存在は、勇気をもって独りで真実を探求する人を尊重する。

追随者は、存在にはまったく尊敬されない。

だから覚えておくように。私が逝くとき、あなたは何かを失うわけではないということを。おそらくあなたは、まったく気づいていないものを手にするだろう。

私は今、肉体に宿った姿、ある特定の形に幽閉された形でのみあなた方に出会うことができているが、

私が逝くとき、私がどこに行けるというのかね?

 

私はここにいるだろう、風のなかに、海の中に。

そして、あなたが私を愛したなら、私を信頼したなら、あなたは私を千と一つの形で感じるだろう。

あなたの静けさのなかに、突如として私の臨在を感じるだろう。

今のところ、あなたは私の元へと来なくてはならないが、私が身体から解き放たれれば、私の意識は普遍的なものとなる。

そうなれば、あなたは私を探し求める必要はない。

あなたがどこにいようとも・・・あなたの渇き、あなたの愛が・・・そしてあなたは私を、あなたのハートのなかに、あなたの鼓動そのものに見いだすことだろう」

 

じつは私がOSHOの瞑想センターを訪れたのは、彼が身体を去って3年目のこと。

だから実際に人の形としての彼には会ったことはないのです。

 

それでも、この言葉はほんとうに沁みるし、

そのとおりだよねと涙、涙・・・

そして今、自分がこうしてあるのは、OSHOのおかげ以外の何ものでもない、

 

今回、図らずも死についてのOSHOの本を訳すことになったのも、

まさに存在の導き以外の何ものでもないと感じられるから・・・

感謝以外の何ものでもないよーーーー

 

永遠のいのち、永遠の神秘、時を超えたもの、

 
言葉を超えた何かが、きっと伝わると思う
 
よかったら、見てみてね
 
 

「死について41の答え」届きました🎵

2015-01-18 | OSHO

関東は、今日もよく晴れて、雲ひとつない青空

 

そして、じゃじゃ~ん、待望の新刊本がとうとうおうちに届きました

 

編集チームが、

「真っ赤なポルシェを連想させるね~

なんて言っていた、燃えるようなピッカピカの赤のカバー

 

帯には、

「死を人生の最高の贈り物にするために」

とある。

まさにまさに、素晴らしいです・・・

 

 

いや~~~完成までの長い道のり、感無量ですよ・・・

 

これは死がテーマの本なのだけれど、

死に関してあなたが物知りになるための本ではないのです。

 

死を見据えたときには、私たちは生き方を問い直さざるを得ない、

まさに、「今ここ」の生を見つめ直し、

死がやってきても、失われることのない真実を見出すためのガイドブック、

そして、それを生きていくためのガイドブックなのです。

 

OSHOの本の素晴らしさは、決して頭に情報を詰め込むだけには終わらないということ。

(もちろん、それはあなた次第ではあるのですが)

 

読書とともに、自分を見つめるプロセスの中で、ほんとうの理解が起こるとき、

人生が、確実に変わっていく。

自分だと思い込んでいた古い存在から、解き放たれていく。

まさに、いにしえからの賢者が口をそろえて、

「真実があなたを自由にする」

と言ってきているように。

 

 

とはいっても、それこそが現状を維持したい、安全志向のエゴさんにとっては怖いことでもあるんだけど・・・

(まさに、死の恐怖ですね・・・)

 

エゴさんにとって、死はシンプルに自分の終わりを意味するから、

何としても避けたい、

決して見つめたくないものだけれど、

実はそれは、大いなる扉なのです。。。

ほんとうの自分を思い出すための・・・

 

 

そしてこの本は、タイトル通り、

自分自身や、大事な人が死に瀕しているという、

リアルな状況に置かれた人たちに向けて、OSHOが語りかけている質疑応答集でもあります。

とても具体的で、実用的な本です。

 
 

目覚めた存在の言葉と光が、

追い詰められて、苦しい想いをしている人たちに届きますようにと、

こころから願っています。。。

 

 

興味がわいたら、ぜひ書店でお手に取ってみてくださいね

一生使える本になると思います。

 

 

そして、このテーマでおいおい瞑想会も開催していきたいと思っています。

都合が合えば、どうぞいらしてくださいね

 

旅をご一緒できるのを、楽しみにしています

 

こちらも合わせてどうぞ

「死について41の答え」出版に寄せて

 


OSHOのバースデーでした

2014-12-11 | OSHO



沖縄は今日もまた、雨が降ったり止んだりだったけど、
今回のフリータイムは今日まで、ってことで、
今回初、でもいつも欠かせない、
やはり来ました南の聖地。

南城の聖地ヤハラヅカサは、大好きな場所。
なぜか毎回来たくなる。
その間は、少しだけど雨も止んでくれてた。

緑がピカピカだったなー
とってもピースフル、祝福がいっぱい。





祝福いっぱいの感覚って、
きっと、この大いなる存在にオープンになってる感覚なんだなー、って今日はしみじみ感じました。

その場所だけ祝福が特にいっぱいあるというわけではない、

自分がオープンになれば、どこにいても、そこが聖地になんだって。

でも、自分が開きやすい場所や人やタイミングがあるっていうのは、確か。

そしてそれは、人ぞれぞれ、
なんだよね。。。



そのあとは、浜辺の茶屋へ



遠くで波頭が立っている引き潮の海、
雨の音がしっとり心地よい~

とっても有名なカフェなんだけど、雨のせいかお客さんも静かめーーーって、

今日は、なんと、ちょうど20周年の記念日なんだって

ということで、お客さんみんながおめでとうメッセージ書いてた。
なんだか、めでたいところに居合わせてハッピー

そして、きょうは、OSHOの誕生日なのですよ~お祝いだよねー

生まれたものは、必ず死ぬ。

でも、生まれもせず、死にもしないものを教えてくれたOSHO

いくら感謝してもしきれないよ…



夕方は、エッセンス963のラハシャとたくさんの人たちと一緒に、

空っぽのスペースへと溶けていきました



盛りだくさんの一日ーー

ありがとう、ありがとう


死は大いなる啓示だ

2014-05-22 | OSHO

OSHOの言葉が深く沁みています。。。

「あなたが深く愛した人の死の瞬間は、あなた自身の死を思い起こさせる。死の瞬間は、大いなる啓示だ。それはあなたを無能に、無力に感じさせる。それは、あなたはいないと感じさせる。存在という幻想が消え失せる。

誰もが揺さぶられるだろう――突如として、足元の地面が消え失せたことを知るからだ。あなたにはどうすることもできない。愛する人が死のうとしている。自分の命をあげたいとさえ思うが、それは叶わない。どうすることもできない。人はただ、深い無力感の中で待つだけだ。

その瞬間は、あなたを落ち込ませることもできる。その瞬間はあなたを悲しませることもできれば、真理のための大いなる旅――探求への大いなる旅へとあなたを送り出すこともできるのだ。この生とは何なのか? もし、死が来て奪われてしまうものなら、この生とは何なのだろう? もし人が死に対してこれほど無力ならば、この生に、どんな意味があるのか? そして覚えておくことだ、あらゆる人が死の床についているということを。誕生したからには、あらゆる人は死の床にいる。それ以外のありようはない。あらゆるベッドは死の床だ。誕生の後で確実なものは、ただ一つ、死だけだからだ。

今日死ぬ人もいれば、明日の人も、明後日の人もいる。基本的に、何が違うのだろう? 時間には、大した違いは作れない。時間は、生という幻想を作ることはできる。しかし、死で終わる生は、真の生ではないし、そうではありえない。それは夢に違いない。

死は大いなる啓示だ。もし死がなければ、宗教もなかっただろう。宗教が存在しているのは、死のためだ。ブッダ(覚者)が生まれるのは、死のためだ。死の理解ゆえに、あらゆるブッダは生まれる。

あなたが死にゆく人のところへ行き、そばに座るときには、あなた自身を気の毒に思うがいい。
あなたも同じ舟に乗って、同じ苦境に立たされているのだから。

死は、いつの日にもあなたの扉をノックするだろう。準備しておきなさい。死が扉を叩く前に、家に戻ることだ。途中でつかまるわけにはいかない。さもなければ、この生のすべては夢のごとく消え失せ、あなたはとてつもない貧しさ、内なる貧しさの中に置き去りにされることになる。

生は、真の生は、決して死なない。それなら、誰が死ぬのか? あなたが死ぬ。その「私」が、エゴが死ぬのだ。エゴは死の一部だが、生はそうではない。だから、もし無我の状態になれれば、あなたにとって死は存在しなくなる。もし絶えずエゴを落とせるなら、あなたは死を克服する。もしあなたが本当に気づいていれば、それはたった一歩で落とせる。あまり気づいてなければ、徐々に落とさなくてはならないだろう。それはあなた次第だ。しかし、エゴは落ちる必要がある、それだけは確かだ。エゴが消えれば、死も消える。エゴが落ちると同時に、死もまた落ちる。

死に直面している人を気の毒に思わないように。自分自身を気の毒に思うがいい。死があなたを取り囲むにまかせ、その味わいを得てごらん。無力さを、非力さを感じることだ。無力だと、非力だと感じているのは誰だろう? エゴだ――というのも、あなたにはどうすることもできないと分かるからだ。あなたは彼女を助けたいが、できない。あなたは彼女に生き延びてほしいが、何もすることはできない。

その無力感を、できるだけ深く感じなさい。この無力感から、ある気づき、ある祈り、ある瞑想が立ち現われてくるだろう。その人の死を活用しなさい――それは、一つの機会なのだ。すべてを、機会として活用してごらん」


デス・セレブレーション(死をお祝いする)

2012-09-11 | OSHO

ちょうど1ヶ月前、親しい友人イシュタがこの世を去った。

そして数日前、たくさんの友人たちと歌い、踊り、涙と笑いで彼女の生涯をお祝した。

思い返せばこの数年、身近な友人たちが次々にこの世を去り、

そして、今週末にも、また別の友人のデス・セレブレーションが行われる。

 

インドに行って、アジータという名前をもらった夜が、

私にとって、デス・セレブレーションの初体験の日でした。

OSHOの瞑想センターの大きなホールに、

亡骸(なきがら)が運ばれ、

強烈なドラムのビートとともに、まるでお祭りのように、たくさんの友人たちが踊り、歌いながら、近くの川岸にあるバーニングガート(焼き場)まで、彼女を運んだ。

友人たちの涙とともに、

その見知らぬ人は、静けさの中で、まばゆい炎に包まれ、土へと帰っていきました。

 

故人を送るのに、歌ったり、踊ったりする、

それは世間一般常識からすると不思議なことかもしれない。

けれども、どんな経緯をたどったにせよ、その人は自分の人生を精一杯生きた。

「お疲れさま! たくさんのギフトをありがとう~!」

とねぎらうのは当然といえば当然、

もちろん残された人たちは、悲しかったり、悔しかったり、寂しかったり、

いろんな感情が内側で渦巻くのも当然だ。

でもそれをそのまま表現しないでいれば、エネルギーは内向し、自分を蝕ばみ、ウツ状態になってしまうかもしれない。

そうした激しい感情のエネルギーがお祝いのエネルギーに転換する、

デス・セレブレーションには、独特の強烈な変容の磁場が生まれる。

それはまた、信じられないほど透明で、崇高だ。

 

それは、私たちがいつまでもこの世にいるわけではないこと、

この生には限りがあるという現実をつきつける。

私たちが何のために生まれ、何を優先して生きるのかを問い直すチャンスなのだ。

 

たがために鐘は鳴る――

という言葉が、実際のところ、

あの弔い(とむらい)の鐘が誰のために鳴らされているのか、たずねないように、

それはあなたのためなのだから、

という意味だとは、瞑想に出会うまで知らなかった。

 

死を意識して生きる人生、それは、気づきに満ちて生きるということ。

そして、強烈に生きる瞬間、

私たちは本当は決して死なないと分かる、

身体の死は、古くなった服を脱ぎ捨てるようなものだと分かる、

なんという奇跡なんだろうね!

 

おりしも、今日は9・11、

この特別な日に、この小さな文章を捧げたいと思います。