虹の翼(つばさ)〜多次元へと羽ばたく

タロット&数秘、
直感ワーク

愛と気づきに満ちた世界は、笑いがいっぱいの世界♪

禅タロットワークショップを終えて

2013-01-16 | OSHO禅タロット

 

雪にもめげずに参加してくれたみんな、お疲れさまでした。

金沢や、北海道から来てくれた人も。

ほんとうにありがとう!

「今ここ」とクリアにつながるツール、禅タロットカードをトータルに楽しんだ2日間。

マンガラ時代の癖が抜けなくて、集合写真を撮るの、完全に忘れた^^;

アシスタントをしてくれているマダが、ワーク中の写真を撮ってくれたんだけど、

めっちゃ楽しんでるのが、表情からアリアリだよね!

 

カードって、どんなカードでも、起こってることと面白いほどシンクロする。

そこがカードの面白さなんだよね。

 

OSHOは、人格(パーソナリティ)としては消えてしまった存在なので、ありとあらゆる投影をされる。

禅タロットも怖くて、買った後もなかなか使えずにいたと言っていた人がいた。

ハートは惹かれるけど、マインドが怖がってしり込みするって、よくあることだよね。

私も20代のころは、OSHOはヤバイって、なんども思って縁を切ろうとした(笑)からよく分かる。

それをくぐってきたから、マインドがどれほど荒唐無稽なストーリーをつむぎ出すかってこともよく分かってる。

 

でも、その人は、しっかりとカードと向き合ったら、ただただサポートしてくれてるんだって分かったって。

すばらしいよね!

ほんとうに、必要なのは、向き合うこと、ただそれだけなんだよね。。。


禅タロットとともに、自分自身に向き合う

2013-01-10 | OSHO禅タロット

いよいよ今週末、

2日間の、大好きな禅タロットのワークショップです。

 

トートタロットはマインド(心理)をどんどん掘り下げていくけれど、

この禅タロットは、座禅のときに頭がぐるぐるしていたり、うつらうつらしていたりするとき、

後ろから竹刀のような棒でポンとたたかれ、

はっと目が覚める、

そんな感じの、切れ味のいいカードです。

 

このタロットと初めて出会ったのは、インドのOSHOの瞑想センターに長く滞在していた1990年代のこと。

どのカードも瞑想の入り口になるし、

「今ここ」のリアリティに連れ戻してくれるので、

ずっと愛用しています。

 

このカードは、いわゆるポジティブなビジョンだけを描いているわけではなく、

なかには、マインドさんにとっては、あまり見たくないようなカードもある。

でもそれもまた、

地上のどんな体験もそうであるように、

彼方への、至福への、無限への入り口になってくれる。

 

あるがままの今、

自分自身の豊かさに気づいて、

ふうっと大きな息が入る。

 

どんな瞬間も、目覚めへの可能性として、

言ってみれば、用意周到に与えられたものだと分かる。

まあ、中にはそう簡単には分からないってこともあるけどね~(^^)

それもまた、必要だったりするんだろうね。

存在の愛と慈悲はほんとうに限りがない。

 

内面を見つめるのは、ほんとうに冒険の旅だよ。

 

気になっている方、どうぞジャンプして、

思い込みという狭い枠から一歩飛び出して、

広々としたスペースへと一緒に旅に出ませんか。

 

新しいヴィジョンとエネルギーが、きっとあなたを待っていますよ♪

http://mangalajapan.com/archives/381

 

愛と感謝(*^^*)

 


新しく生まれる

2013-01-01 | 死を超えて生きる

あけましておめでとうございます~

2012年、たくさんの人にお世話になった。

今までにも増して、織物のような、絶妙な「縁」によって支えられている自分が感じられる。

ほんとうにありがたいことだ。

 

元旦の今日は近くの熊野神社で甘酒をいただき、

緑がピカピカ輝く中、近くの森の中のお茶屋さんで、

のんびり大福茶(おおぶくちゃ)をいただき、日本の美を満喫しました。

 

お正月って、

古いものを手放し、新しく生まれ変わるには、絶好のとき。

集合意識の上でもそうしたことが起こる気がする。

 

ほんとうのところは、毎瞬毎瞬、死んで、生まれ変わってるんだろうけど、

古い思考の癖が、古いものを手放さず、たくわえ続けるからね、

なかなか認識することがない。

物事は変わっていく、

そんな当たり前のことが受け入れられないこともあるよね。

 

とくに、親しい関係だった人を手放すのは、ほんとうに大変だったりする。

あまりにも近しいと、自分という存在の一部になってしまっているので。

今までいた人がもういない、というのはすごいインパクトだ。

あるレベルでは、いなくなってみれば、もうほんとうに、まるでいたことが夢だったかのように見事に、きれいさっぱりいないからね、

もう未来への投影ができない。

そういう意味では、

いつかしら、この形としては、きれいさっぱりなくなる私という存在も、夢のまた夢だ。

 

けれども同時に、その裏側にある、けっして変わらない、永遠のいのちが浮き彫りになる。

なんというパラドックス~!

 

どんどん変わっていくことも恐れないで、この現象界を楽しんでいきたいと思うお正月です。