私は最近、自然のなかをひたすらワシワシと歩いておりました。
とくに、渓谷をね
山梨・塩山に近い西沢渓谷にはじまり、
先週は、あきる野の秋川渓谷、
今週は、奥多摩・鳩ノ巣渓谷。
暑い夏には、天然のクーラー、川の流れのありがたみは倍増
からだとこころの平和のバトン、さてさて3回目、最終回。
からだは大自然の延長
ってことで、
輝く緑に埋もれて、ひたすら歩く歩く
足場が悪かったりすると、
その場に集中するしかないからねー、頭も空っぽになります。
そして合間に、大きな岩に座って、風に吹かれながら、つめたーーーい川の流れに足をつけて、ぼっとするひととき、
ヒグラシさんの大合唱、
この上ないシアワセよ~
オフィスなんかでは、
ガンガン冷房かけないと居られないのはわかる。
しかしながら、
私たちは、思えば遠くに来たものだよねーーーー
からだは大自然と自然につながってて、
それそのものはハッピーであるようにできているんだと思う。
けど、
私たちには将来の不安やら、
過去の後悔やら、
いろんなアイデアやストーリーがあるからね。
こころのなかは、いつも大忙しだったりする・・・
・・・ってことに、私たちは瞑想を始めると、初めて気づいてガク然としたりするわけだけど
からだとこころは強~くつながってて、
そんな、大忙しのこころに巻き込まれてしまってると、
それそのものになってダウンしてしまうよね。
そして日本語の「こころ」って言葉は、内面世界ぜーんぶを含んでる。
主には、英語でいうマインド(頭や思考)だけど、ハート(感情やら、もっと深い層にある真心といったもの)でもあるからね。
それと同時に、
こうした、こころとからだという現象全体を静かに、クールに見守る存在もあって、
それをスピリット(精神世界・霊性)と呼んだり、観照者と呼んだりしてるんだ。。。
ストーリーがなくなるわけじゃない
でも、
自然に埋もれてるときや、
からだがくつろいでるときや、
「今ここ」に全力投球しているときには、
こころとの間にすき間が生まれて、
このスピリットの部分が、もっと鮮明に感じられる。
「ゾーン」に入るなんて言い方もあるよね
「私」という自意識から離れて、ただただ事が起こっていくのを見守っている状態ーー
だから
大忙しの「こころ」をしずめようと思ったら、
こころと格闘するよりも、
からだの声をきいてあげたり、
目の前のことに集中するといいかもね
からだから入るのも手なのです
からだは、自然の延長で、ものすごく知恵がある存在だからね
からだの声を聞いてみたらいい
じっくり、ゆっくり、
すぐには聞こえなくても、きっと聞こえてくるよ
そして、あなたがもしからだを壊してしまったんだとしたら、
からだが伝えてるメッセージに耳を傾けてみたら、
いろんなことが見えてくるんじゃないかな。。。
あなたの人生にエールを送ります