(今日の写真は「新緑のブナ林」である。何という「初々しい若葉、新緑」ではないか。これは一番目に優しい。私はこの時季のブナほど「活き活きしている」ものはないと思っている。老樹だろうが、壮年の木だろうが、すべて「若木」のように瑞々しく輝いている。
林床の窪地には、まだ「雪」が残っている。その残雪には「雪の白さ」はない。若葉や若芽を出す時に「脱ぎ捨てた」無数の褐色の「莢」がその表面を覆っているからである。
そして、その上には萌葱の若葉である。この時季の「若葉」は、真下から見ると「透けて」見える。まるで、青い空と「薄緑」が緩やかに優しく混じり合ったように見えるのだ。
また、太陽の直射は「レントゲン」写真のように、1枚1枚の「葉」の「脈」までを透過させて見せてくれる。そこには血流のように「ブナ」の生命が「脈打って」いるのが、見て取れる。
だから、ブナの林床に立つと、全身がブナの命を感じ、それに包まれる。新緑のブナ林は解放された命の森だ。そして、私たちも、その場で「自然」と同化して、ブナの木のように、泰然とした気分になれるのである。
下草はまだ出ていない。というよりも、春、夏、秋と通じて下草の殆ど生えないのが「ブナ林床」の特徴である。生えているのは「ツルシキミ」程度でしかない。
この「ブナ林」は、ここからずっと上部まで続いているのではない。ここから数100mも登ると「スギ」の植林地が出てくる。つまり、上部は伐採されているのだ。
二子沼までの踏み跡のような「道」と平行して、古い「林道」が「西岩木山林道」の終点から続いている。だが、殆ど、それに気づく人はいない。件の「スギ」を植林し、それを保守するための道路である。だが、「林道」の体をなしていない事実は「植えぱなし」で一切保守していないことの「事実」を教えてくれる。これが「林野行政」の隠された顔である。)
この「ブナ林」には古い登山道がある。追子森登山道につながるものだ。辿るとすればこの「時季」だ。夏場になると、伐採され、植林された場所が「猛烈」な雑木と下草に覆われて、「辿ること」が出来なくなってしまうからだ。私は数回挑戦して、「通過出来た」のは、初冬の時季だけであった。
本会が主催する自然観察会の事前調査に行ってきた。今回の観察会は岩木山北面中腹部にある「二子沼」周辺で実施する。
東奥日報や陸奥新報に開催案内が出た頃に、ある人から「二子沼に行く時に使う西岩木山林道にはまだ雪があって通行出来ない」という情報を得ていた。もちろん、この人が実際に確認したわけではなく、「又聞き」の情報であるようだった。
このような情報を、提供してもらえることは非常に有り難いことである。この情報を寄せてくれた人が、もしも、「会員」であったならば、もっと有り難く嬉しいのだが、これまでに、「会員」からの、この手の情報提供は先ずないのである。
私は「自動車」を持たない。運転免許もない。機動力に欠ける人間だ。この「情報」を得て、直ぐにでも「現場」を確認に行きたかった。
もしも、情報通り「通行不能」ならば、「自然観察会」の内容と「場所」を大幅に変更しなければいけない。パンフレットの下書きも書き換えないといけない。参加申し込みをしてきた人たちに「変更」の連絡をしなければいけない。だから、「異変」はいち早く、その実態把握」が、必要なのである。しかし、何せ、私には「足」がない。若い時ならば「自転車」で出かけたかも知れないが、この「年齢」だとそれも無理だろう。とにかく、「そこまでの距離」は「徒歩や自転車で」という範疇を越えていた。
いきおい、「足は人任せ」となり、「その人の都合」によって「事前調査」の日程が決定されることになる。気が気でないが「自分では出来ない」ことなのでしようがない。遅れに遅れて、とうとう実施日2日前の「昨日」になってしまった。
やはり、私のように「自動車」を持たない、機動力のない人間をこのような立場なり、役割に据えておくことには「無理」があるだろう。すでに8年もこのようなことをしている。そろそろ「替え時」だとは思う。
やはり、「雪」はあり、自動車の進入を阻んでいた。その上、カラマツの倒木とそれに絡んだ「ヤマブドウ」の蔓が道を塞いでいた。
今日の雪解けに期待しながら、車が通れるほどに「除雪まがい」のことをして、「カラマツ」と「ブドウヅル」は鉈で切って、その場から除去してきた。お天気さえよければ明日の「観察会」は開催が可能だ。ほっとしている。
同じこの時季に数回この道を通っているがこれほどの残雪に見舞われたのは初めてである。
その残雪の手前で車を降りて二子沼まで歩いたが、何と、白沢までの道の両側には、延々と「お花畑」が出来ていた。白沢沿いには、黄色い「エゾノリュウキンカ(やちぶき)」も今を盛りと咲いていた。「歩く」ということはいいことである。
字数の関係で『「踏み跡」を辿る…』は明日掲載する。
林床の窪地には、まだ「雪」が残っている。その残雪には「雪の白さ」はない。若葉や若芽を出す時に「脱ぎ捨てた」無数の褐色の「莢」がその表面を覆っているからである。
そして、その上には萌葱の若葉である。この時季の「若葉」は、真下から見ると「透けて」見える。まるで、青い空と「薄緑」が緩やかに優しく混じり合ったように見えるのだ。
また、太陽の直射は「レントゲン」写真のように、1枚1枚の「葉」の「脈」までを透過させて見せてくれる。そこには血流のように「ブナ」の生命が「脈打って」いるのが、見て取れる。
だから、ブナの林床に立つと、全身がブナの命を感じ、それに包まれる。新緑のブナ林は解放された命の森だ。そして、私たちも、その場で「自然」と同化して、ブナの木のように、泰然とした気分になれるのである。
下草はまだ出ていない。というよりも、春、夏、秋と通じて下草の殆ど生えないのが「ブナ林床」の特徴である。生えているのは「ツルシキミ」程度でしかない。
この「ブナ林」は、ここからずっと上部まで続いているのではない。ここから数100mも登ると「スギ」の植林地が出てくる。つまり、上部は伐採されているのだ。
二子沼までの踏み跡のような「道」と平行して、古い「林道」が「西岩木山林道」の終点から続いている。だが、殆ど、それに気づく人はいない。件の「スギ」を植林し、それを保守するための道路である。だが、「林道」の体をなしていない事実は「植えぱなし」で一切保守していないことの「事実」を教えてくれる。これが「林野行政」の隠された顔である。)
この「ブナ林」には古い登山道がある。追子森登山道につながるものだ。辿るとすればこの「時季」だ。夏場になると、伐採され、植林された場所が「猛烈」な雑木と下草に覆われて、「辿ること」が出来なくなってしまうからだ。私は数回挑戦して、「通過出来た」のは、初冬の時季だけであった。
本会が主催する自然観察会の事前調査に行ってきた。今回の観察会は岩木山北面中腹部にある「二子沼」周辺で実施する。
東奥日報や陸奥新報に開催案内が出た頃に、ある人から「二子沼に行く時に使う西岩木山林道にはまだ雪があって通行出来ない」という情報を得ていた。もちろん、この人が実際に確認したわけではなく、「又聞き」の情報であるようだった。
このような情報を、提供してもらえることは非常に有り難いことである。この情報を寄せてくれた人が、もしも、「会員」であったならば、もっと有り難く嬉しいのだが、これまでに、「会員」からの、この手の情報提供は先ずないのである。
私は「自動車」を持たない。運転免許もない。機動力に欠ける人間だ。この「情報」を得て、直ぐにでも「現場」を確認に行きたかった。
もしも、情報通り「通行不能」ならば、「自然観察会」の内容と「場所」を大幅に変更しなければいけない。パンフレットの下書きも書き換えないといけない。参加申し込みをしてきた人たちに「変更」の連絡をしなければいけない。だから、「異変」はいち早く、その実態把握」が、必要なのである。しかし、何せ、私には「足」がない。若い時ならば「自転車」で出かけたかも知れないが、この「年齢」だとそれも無理だろう。とにかく、「そこまでの距離」は「徒歩や自転車で」という範疇を越えていた。
いきおい、「足は人任せ」となり、「その人の都合」によって「事前調査」の日程が決定されることになる。気が気でないが「自分では出来ない」ことなのでしようがない。遅れに遅れて、とうとう実施日2日前の「昨日」になってしまった。
やはり、私のように「自動車」を持たない、機動力のない人間をこのような立場なり、役割に据えておくことには「無理」があるだろう。すでに8年もこのようなことをしている。そろそろ「替え時」だとは思う。
やはり、「雪」はあり、自動車の進入を阻んでいた。その上、カラマツの倒木とそれに絡んだ「ヤマブドウ」の蔓が道を塞いでいた。
今日の雪解けに期待しながら、車が通れるほどに「除雪まがい」のことをして、「カラマツ」と「ブドウヅル」は鉈で切って、その場から除去してきた。お天気さえよければ明日の「観察会」は開催が可能だ。ほっとしている。
同じこの時季に数回この道を通っているがこれほどの残雪に見舞われたのは初めてである。
その残雪の手前で車を降りて二子沼まで歩いたが、何と、白沢までの道の両側には、延々と「お花畑」が出来ていた。白沢沿いには、黄色い「エゾノリュウキンカ(やちぶき)」も今を盛りと咲いていた。「歩く」ということはいいことである。
字数の関係で『「踏み跡」を辿る…』は明日掲載する。