岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

この2週間、急速に木々の緑は、足下の下草は、その色を濃くしていた

2009-05-26 04:57:55 | Weblog
 (今日の写真は「バラ科ウワミズザクラ属の落葉高木の「ウワミズザクラ(上溝桜)」だ。
 24日、25日と2日続けて岩木山に入った。24日にはNHK弘前文化センター講座の野外観察で、西岩木山林道を歩いた。鰺ヶ沢スキー場の駐車場から長平登山道の入り口までの間に、白い霞のような「ウワミズザクラ」の花が萌葱から濃さを増していく他の樹木の緑を背景に、一段と白く輝いて見えていた。
 受講者は声をそろえて、その姿に「歓声」をあげたのである。実は1週間前にも、この場所を通っていたが、この「白い輝き」はまだなかった。
 淡い緑だけという「色彩」がわずか1週間で「白い輝き」に変貌してしまうという、この自然の移ろいに驚き、季節の推移に合わせて生きている「木々」の生命が持つ「変わらない輪廻」の不思議さに見入ったのである。
 この辺りは標高が500mに近い。ちょうど、この標高に生えている「ウワミズザクラ」は今が満開なのだろう。そのことを確実に、昨日視認した。百沢「岩木荘」付近にも「ウワミズザクラ」は生えているが、それはすでに花を枯らしていた。標高にして、100mから300mの違いが「枯れる・落花」と「満開」を区分けしていたのである。
 昨日は、待望の「毒蛇沢」に入った。10日に辿ったルートで石切沢から入り、毒蛇沢の左岸に出て、沢に下って、右岸尾根に取り付くためである。「踏み跡探し」パート2というわけだ。
 だが、2週間ぶりという「ご無沙汰」の間に、木々も林床も、それに藪という藪は、すっかり、春から初夏へと「衣替え」をしてしまっていた。いや、「衣替え」などいう「一般的な言葉」が持つ「軽薄さ」ではなく、その変化は重厚で深遠なものであった。ただただ、畏れ、平伏して、その変化に飲み込まれるばかりであったのだ。
 昨日の「踏み跡探し」については「踏み跡探しパート2」として、後々掲載することにしたい。
 「ウワミズザクラ」であるが、やはり、標高が上がるに従い、この岩木山南面でも「今が盛り」であった。今日の写真は、「毒蛇沢」で出会ったものだ。かなりの高木である。10m以上はあるだろう。この花はバラ科であるから、花は小さいが「五弁」である。大きな蘂を伸ばして咲く様子はかわいらしいものだ。だが、満開時に、ある程度距離を置いて眺めるとまた別な情趣があってなかなかいいのである。「オオヤマザクラ」や「カスミザクラ」の花が終わって、森は緑一色になる。その中で、健気にもこの「ウワミズザクラ」が一人異彩を放っているのだ。それ故に美しい初夏の花だ。

 5月は1日、5日、10日、15日、17日、24日、25日と岩木山に入っている。28日にも行く予定である。急激に「雪」が解けて、「雪形」もその姿を、もはや残していない。弘前から毎年遅くまで見られる「鳥海山から大沢にかけての残雪」は、解けだす前は「ツバメ」の形を見せる。そして、それは次第に解けだしていくと、大きな「山羊」に変身していく。平年だと、旧暦の5月(新暦の6月)に入っても、それは確固とした「山羊」を「岩木山」に放牧してあるかのように、見せてくれるのだ。一方、山頂から後長根の源頭部にかけては、「菅笠を被り、腰を屈めて田植えをする一人の翁」をの姿を映し出してくれるのだが、この「腰曲がりの翁」も早々と姿を消してしまった。その下部に見える「山麓に向かって駆け下りてくるウサギ」はそれよりも早く、山麓の藪に隠れるようにして、「消えて」しまった。
 今月の上旬、つまり遅くても10日までは、「山羊」や「腰曲がりの翁」は健在だったのだ。ところが、「消え始めた」ところ、その速さは、「時を待って」くれない。まるで「ごうごうという音」を立てるがごとくに「消失」していく。「今日あるものが明日を待つことがない」ということは寂しくもあり、どこかで大きな「不安」を呼び起こすのである。

「上溝桜」と書いて「ウワミズザクラ」と読むのである。これは音的な「転訛」だろう。花名の由来は「昔この材の上に溝を彫り亀甲を焼いて吉凶の占いに使ったこと」である。
「ウワミズザクラ」はまず、林中には生えていない。林縁の日当たりのいい場所を好むのである。だから、「森の入口を固める白衣の番人」だ。当然、入口は出口にもなる。この花との別れは森との別れにもなるのだ。

 こんなことがあった。…『沢に沿った伐採地からの踏み跡はカラマツの林に入っていた。カラマツが落葉する針葉樹だからだろうか、冬に暗い灰色がかった褐色の幹と枝、何もない梢を吹雪や強風に曝している姿は林立していてもやはり寂しいものだ。
 だから、カラマツの芽吹きはよりいっそう美しく柔らかく優しい命を感ずるのだ。また、秋の黄葉もその色具合と他の葉との「重ね色目」から愛(め)でられることが多いのだろう。
 浅い林である。開けた前方にちらちらと白い花が見えてきた。ウワミズザクラである。カラマツとは異質であるがゆえに美しい。』

 この花は桜の仲間である。しかし、眺めるだけでは、そのようには見えない。至近距離で「花」を一輪ずつ見ると「桜」の仲間であることがよく分かる。日本人は桜の一斉に散ってしまうその潔(いさぎよ)さに特別な感情を持っている。この花は実をつけるのだから、いっときに散ることはないのかも知れない。実もちょっぴり「アーモンド」味がして楽しいものだ。
この花の咲く頃は毎年、「踏み跡」は藪に覆われるようになる。しかし、手を使って払わなければいけないほどの深い藪にはならない。登山靴で掻き分けて進むことが出来る程度なのだが、今季はそうではなかった。