(今日の写真はミズナラ林も終わりになり、ブナがぽつりぽつりと見えだした混交林である。雪が消えて数日後の林の様子がよく見て取れる。白い樹の肌を見せるのが、ミズナラだ。地元の人や山菜を採る人は単に「ナラ」と呼ぶことが多い。
少々樹肌が黒っぽく見えるものは「ブナ」である。「ブナ」の樹肌も、どちらかといえば「白っぽい」のだが、並んでいるものを比べると、ミズナラの方が遙かに白く見える。
「ミズナラ」の樹皮の特徴は「縦に縞」があるということだ。だが、面白いことに、「幼木や若木」にはこの「縦縞」がない。ところが、成長して「大人」の木になると、この「縦縞模様」がくっきりと現れてくる。左に見えるものは「イタヤカエデ」だろう。)
この写真を上部、真ん中、下部と三層に区切って見てほしい。上部は樹木の梢がある辺りになる。まだ梢には葉も花も出ていない。だから、ただ「空間」つまり、空だけが広がっている。
ところが、中央の層には「淡い緑」が同じ高さで横に広がっている。すでに、葉を出しているのだ。高木が葉を出して「太陽の光」を遮蔽する前にいち早く、「葉」をつけてしまえということで、大急ぎで葉をまとっている。
次は地表に注目だ。注目すべき点は三つある。注目すると、「山地」の森の「林床」の様子がよく分かるからだ。それは、「落ち葉」、「岩」、「生えている植物」である。
まだ、「緑が殆どない」落ち葉が敷き詰められている「林床」である。この「落ち葉」が毎年毎年積もって「腐葉土」を造ってきた。この「落ち葉の下」には、その「薄い土壌」がある。
あちこちに「岩」が頭を出しているだろう。この「落ち葉が敷き詰められた」薄い表土の下層は「岩」なのだ。「見えている岩」は生成期の岩木山が噴き出した溶岩が凸凹に固まった、その「凸」の部分なのである。
「この場所」を登るということは「森の中」を登ることなのだが、その「実」は見えない「岩稜」登りをしていることでもあるのだ。
地表には、まだ、殆ど草は出ていない。地べたに這うようにして生えているものは「イチヤクソウ」だ。背丈がある程度ある「濃い」緑葉は「エゾユズリハ」である。この「エゾユズリハ」は何と落葉林の中で、数少ない「常緑照葉樹」なのである。
これは「ユズリハ科ユズリハ属」の常緑小低木だ。山地の林内や林縁などに生え、茎の高さは1.5mほどになる。
葉の脇から伸びる総状の花序に、直径1mmほどの「赤みを帯びた緑黄色」の花を多数つける。間もなく咲き出すだろう。しかし、実に目立たない花で、花弁も萼もない。雌雄異株で、葉は互生しているが、枝先のものは輪生し、長楕円形で先は尖っている。その上、肉厚で光沢がある。林内では通年よく目立つのである。楕円形で、藍色の実をつける。
「ユズリハ」は「譲り葉」である。奥ゆかしい花名である。森の植物はすべて「奥ゆかしい」生き方をしているが、特にこれは名前まで「奥ゆかしい」のである。
新しい葉が生長したあと、古い葉が「新しい葉」に自分の位置を譲って落ちることからこの名がついたのだ。
このように世代交代が絶えることなく「常に緑の葉」が続くことから、縁起がいいとされ、葉は正月の飾りに用いられるのである。ただ、「葉や樹皮」にはアルカロイド、ダフニマクリンという毒性があるので、口にしてはいけない。心臓マヒや呼吸困難をきたすからである。
☆☆ 「踏み跡」を辿る… ☆☆
(承前)
…昨日のブログに『私はこの「ルート」を辿って「毒蛇沢」を渡って、「岳」方向に「横歩き」をしたことが何回かあった。最後に辿ったのは今から10数年も前のことであった』と書いた。この日もまた、このルートを辿っていた。両側に「スギ」の植林地や雑木の林が臨まれる場所は、根曲がり竹の生え方も疎らだし、まだまだ「林道」という形状は確固としている。しかし、沢の縁や沢を巻いている「日当たりのいい場所」は竹が密生していたり、タムシバやオオバクロモジ、タニウツギなどの低木が、猛烈に生えていて10数年前とはすっかり「様変わり」していた。
林道は急になってきた。ほぼ直線の登りが続いたが、今度は長い斜めの登りに変わる。それでも、「林道」であることはよく分かった。
その途中で、「姥石に続く登山道と併行する道」へと続いている分岐点も見つけた。これもほぼ「廃道化」していた。下草がないので、「かつては道」だったことが辛うじて分かるのである。
北西に向かって、斜めだが長い登りが続く。「杉林」が途切れたところで一息入れた。実は、この「一息入れた」場所、つまり、「杉林」が途切れたところが、「毒蛇沢」を渡る場所に達する大きな意味を持っていたのであった。
私は10数年前の「横歩き」に拘っていた。とにかく、林道を詰めて、途切れたところからまた組跡を西に辿ると、下から上に続いている細い踏み跡が出てきて、それを左に折れて降りていくと「毒蛇沢」への取り付きに出たのである。
根曲がり竹や雑木の藪が密生して、なかなか前に進むことが出来ない。帰りもここを通るつもりなので鉈で竹や枝を切りながら、「目印」をつけて進む。
林道が完全に切れた。そこまでが「正規」の林道だった。かつて通った「踏み跡」を必死になって「目」で探す。だが見つかるはずもない。
とりあえず「獣道」を進む。向こう見ずに、ただ「竹藪」の中を進むよりはましである。だが、そのうちにこの「獣道」は霧消する。それも承知の上だ。
誰も歩かない10数年前の「踏み跡」は、完全に消失していた…。(明日に続く)
少々樹肌が黒っぽく見えるものは「ブナ」である。「ブナ」の樹肌も、どちらかといえば「白っぽい」のだが、並んでいるものを比べると、ミズナラの方が遙かに白く見える。
「ミズナラ」の樹皮の特徴は「縦に縞」があるということだ。だが、面白いことに、「幼木や若木」にはこの「縦縞」がない。ところが、成長して「大人」の木になると、この「縦縞模様」がくっきりと現れてくる。左に見えるものは「イタヤカエデ」だろう。)
この写真を上部、真ん中、下部と三層に区切って見てほしい。上部は樹木の梢がある辺りになる。まだ梢には葉も花も出ていない。だから、ただ「空間」つまり、空だけが広がっている。
ところが、中央の層には「淡い緑」が同じ高さで横に広がっている。すでに、葉を出しているのだ。高木が葉を出して「太陽の光」を遮蔽する前にいち早く、「葉」をつけてしまえということで、大急ぎで葉をまとっている。
次は地表に注目だ。注目すべき点は三つある。注目すると、「山地」の森の「林床」の様子がよく分かるからだ。それは、「落ち葉」、「岩」、「生えている植物」である。
まだ、「緑が殆どない」落ち葉が敷き詰められている「林床」である。この「落ち葉」が毎年毎年積もって「腐葉土」を造ってきた。この「落ち葉の下」には、その「薄い土壌」がある。
あちこちに「岩」が頭を出しているだろう。この「落ち葉が敷き詰められた」薄い表土の下層は「岩」なのだ。「見えている岩」は生成期の岩木山が噴き出した溶岩が凸凹に固まった、その「凸」の部分なのである。
「この場所」を登るということは「森の中」を登ることなのだが、その「実」は見えない「岩稜」登りをしていることでもあるのだ。
地表には、まだ、殆ど草は出ていない。地べたに這うようにして生えているものは「イチヤクソウ」だ。背丈がある程度ある「濃い」緑葉は「エゾユズリハ」である。この「エゾユズリハ」は何と落葉林の中で、数少ない「常緑照葉樹」なのである。
これは「ユズリハ科ユズリハ属」の常緑小低木だ。山地の林内や林縁などに生え、茎の高さは1.5mほどになる。
葉の脇から伸びる総状の花序に、直径1mmほどの「赤みを帯びた緑黄色」の花を多数つける。間もなく咲き出すだろう。しかし、実に目立たない花で、花弁も萼もない。雌雄異株で、葉は互生しているが、枝先のものは輪生し、長楕円形で先は尖っている。その上、肉厚で光沢がある。林内では通年よく目立つのである。楕円形で、藍色の実をつける。
「ユズリハ」は「譲り葉」である。奥ゆかしい花名である。森の植物はすべて「奥ゆかしい」生き方をしているが、特にこれは名前まで「奥ゆかしい」のである。
新しい葉が生長したあと、古い葉が「新しい葉」に自分の位置を譲って落ちることからこの名がついたのだ。
このように世代交代が絶えることなく「常に緑の葉」が続くことから、縁起がいいとされ、葉は正月の飾りに用いられるのである。ただ、「葉や樹皮」にはアルカロイド、ダフニマクリンという毒性があるので、口にしてはいけない。心臓マヒや呼吸困難をきたすからである。
☆☆ 「踏み跡」を辿る… ☆☆
(承前)
…昨日のブログに『私はこの「ルート」を辿って「毒蛇沢」を渡って、「岳」方向に「横歩き」をしたことが何回かあった。最後に辿ったのは今から10数年も前のことであった』と書いた。この日もまた、このルートを辿っていた。両側に「スギ」の植林地や雑木の林が臨まれる場所は、根曲がり竹の生え方も疎らだし、まだまだ「林道」という形状は確固としている。しかし、沢の縁や沢を巻いている「日当たりのいい場所」は竹が密生していたり、タムシバやオオバクロモジ、タニウツギなどの低木が、猛烈に生えていて10数年前とはすっかり「様変わり」していた。
林道は急になってきた。ほぼ直線の登りが続いたが、今度は長い斜めの登りに変わる。それでも、「林道」であることはよく分かった。
その途中で、「姥石に続く登山道と併行する道」へと続いている分岐点も見つけた。これもほぼ「廃道化」していた。下草がないので、「かつては道」だったことが辛うじて分かるのである。
北西に向かって、斜めだが長い登りが続く。「杉林」が途切れたところで一息入れた。実は、この「一息入れた」場所、つまり、「杉林」が途切れたところが、「毒蛇沢」を渡る場所に達する大きな意味を持っていたのであった。
私は10数年前の「横歩き」に拘っていた。とにかく、林道を詰めて、途切れたところからまた組跡を西に辿ると、下から上に続いている細い踏み跡が出てきて、それを左に折れて降りていくと「毒蛇沢」への取り付きに出たのである。
根曲がり竹や雑木の藪が密生して、なかなか前に進むことが出来ない。帰りもここを通るつもりなので鉈で竹や枝を切りながら、「目印」をつけて進む。
林道が完全に切れた。そこまでが「正規」の林道だった。かつて通った「踏み跡」を必死になって「目」で探す。だが見つかるはずもない。
とりあえず「獣道」を進む。向こう見ずに、ただ「竹藪」の中を進むよりはましである。だが、そのうちにこの「獣道」は霧消する。それも承知の上だ。
誰も歩かない10数年前の「踏み跡」は、完全に消失していた…。(明日に続く)