岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「踏み跡」を辿る…突然、大岩現る

2009-05-12 05:26:44 | Weblog
(今日の写真は、「踏み跡」を辿っていたところ、突然、出会った大岩である。)

 …あるかなきかの「踏み跡」を辿っていたところ、突然、「大きな岩」が行く手を遮るように現れたのだ。
 それを、下手から見上げると「岩」の上に樹木が数本生えている。いずれも痩せていて細いが、その中の1本は確実に「ブナ」であった。この岩の手前に見える2本の樹木も「ブナ」である。
 左横に回ってみた。しかし、そこは見えないものの大小の岩群が連なる崖の頭だった。この岩を頂点として垂直状の崖が谷底を目掛けて駆け下りていて、とてもへつって行けるような場所ではなかった。辿っていた「踏み跡」はこの沢の崖頭に沿って「つけられ」ていたのだった。
  今度は右横に回ってみる。そして、驚いた。この岩は、2つに裂けていたのだ。方向でいうと「東西」にである。しかし、「真っ二つ」に裂けているのではない。上部が割れて、その割れ方は谷側に向かって傾斜をなして深くなっていた。
 すなわち、東から見ると3分の2は、どっしりと地中に填め込まれている「大岩」なのである。
 「岩の上に見えた樹木」は、この裂けた「大岩」の大きな窪みに生えていたものであった。名付けると「石割山毛欅(ブナ)」とでもなろうか。
 長い長い年月をかけてこの裂けた「窪み」は落ち葉などを堆積させてきた。そして、そこは狭いながらも、森特有の「腐葉土」となり、そこにブナの実が落ちて芽生えたものであろう。細いけれども、「年輪」は数えられないほどに「密着」していることだろう。100年、いや、それ以上であろうと推測されるのだ。
 それにしても、この「狭い」場所に数本のブナが育っていることには驚いた。そして、それらが皆「細い」ことも納得がいった。
 いずれ、この中の何本かは枯死してしまうだろう。数本のブナを「育んで」いくには「狭すぎる」し、あまりにも「貧栄養な土壌」であるからだ。森の掟は、彼らを容赦なく駆逐し、そして、彼らはそれに「黙って」従う。

 私の心に、ふと「欲張り意識」が芽生えた。それは、言ってみれば「無い物ねだり」というやつである。
 「何故、ここにブナが生えているのだ。どうして、ミネザクラとかオオヤマザクラではないのだ」という、「どうにもならない」願望である。
 そして、「これがオオヤマザクラだったら、今が見頃だろう。この岩を中心に辺り一面が薄いピンクに彩られて、明るく輝いている。まるで、森の女神、春の女神や妖精ではないか」と思った。
 また、「ミネザクラでもいい。ミネザクラは忍従の樹木だ。風雪に圧せられながらも、幹や枝をよじらせ曲げながら成長する。ブナのように直上せずに、恐らく、この岩上に腹這うように枝を延ばして、薄紅色の小さな花々を6月頃には咲かせてくれるだろう」とも想像した。

 私の頭の中には、大きな花崗岩(かこうがん)の割れ目から生えた桜で、国の天然記念物となっている盛岡市の「石割桜(いしわりざくら)」のことがあった。今年は例年に比べ約1週間も早く、4月12日に開花したそうだ。
 これは、「石割桜こそ日本一の名桜」と盛岡の人が「お国自慢」をする時に、よく取り上げられる珍しい桜だ。大きな花崗岩の狭い割れ目に直径約1.35m、 樹齢が360年を越える「エドヒガンザクラ」が生えているのだ。
 明治の初期には「桜雲石」と呼ばれていたというし、1923年に国の天然記念物に指定されている。
 この「大きな花崗岩と調和した威厳ある美しく、かつ珍しい姿」を、私は目の前にある、この大岩に「スライド」させて見ていたのである。

 ところで、この「大岩」から先のことについて書く前に、先ずはこの「大岩」まで、どの様にして来たのかについて触れておこう。
その日は、国民宿舎「岩木荘」から少し登ったところから、左折して古い「林道」に入り、石切沢を渡ったところの分岐点を左に採ってやって来たのだった。
 この分岐点を右に採ると、石切沢の右岸を進んで、数回ジグザクを繰り返すと「百沢登山道」と併行する林道に出る。これは最新版の地図にも「まだ」載っている。この時季だと「姥石」よりも上部まで、案外簡単に辿ることが出来るのである。
 そして、その日に、左に採った「ルート」も最初は、「案外簡単」を越えて、「楽勝ムード」であった。しかし、それは「ある場所」までのことだったのだ。

 かつて、私はこの「ルート」を辿って「毒蛇沢」を渡って、「岳」方向に「横歩き」をしたことが何回かあった。最後に辿ったのは今から10数年も前のことであった。
 「横歩き」とは「縦歩き」の対意語である。これは勝手な私の「造語」だ。だから、もちろん「広辞苑」には載っていない。
 つまり、「縦歩き」とは山頂を目指して尾根や沢を登り、山頂から登山口か、または山麓に下山することである。
 「横歩き」とは尾根や沢を横断しながら、出来るだけ直線的に歩くことである。直線的に歩くといっても、それは言葉だけのものだ。距離的には「縦歩き」よりも「横歩き」の方が長くなるのが普通だ。
 「山」に平坦で直線的な地形などは存在しないからである。尾根を横断するにしても、それは必ず「ジグザク」であるし、沢へ下降する際のルートも真っ直ぐなところはない。これも、大体は「くねくね」と曲がっている。沢の底から対岸の尾根に登るルートも同じである。
 「縦歩き」は、ひたすら登り、ひたすら降りるのだが、「横歩き」は「ジグザクの繰り返し」と「アップダウン」の連続なのである。だから、「横歩き」が楽だということはない。「縦歩き」と同じように疲れるし、体力も要る。(明日に続く)