岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

花弁(花びら)と萼片の話し(その1)

2009-05-23 05:06:47 | Weblog
 (今日の写真はキクザキイチリンソウの小群落である。たまたま、「白い花」のものだけが集まって咲いていた。「白い花」とカギ括弧でくくった意味は「花のように見えるが実は花ではない」ということである。
 このように、植物の中には「美しい花びら」を装い、実は私たち人間を「花」だと欺いているものが多数ある。だが、これは彼女たちの所為ではない。「欺かれた」と思うのは「人間の勝手」であり、「思い込みのなせる業」なのである。彼女たちにはこれぽっちの罪もない。
 特に、キンポウゲ科の植物には「花」のような美しい「萼片」を見せて、「花」を咲かせているように「見せる」ものが多い。早春に咲き出す「フクジュソウ」に始まり、秋遅くに咲き出す「シュウメイギク」などがそれだ。
 別種では「サトイモ科」の「ミズバショウ(水芭蕉)」や「ザゼンソウ(座禅草)」)も、一見花のように「白」や「臙脂」の仏炎苞を開いて、「水辺の貴婦人」や「達磨大師」の座禅像の姿で人を欺く。だが、本物の「花」はその苞に包まれた中にある棒状のものだ。
 先日、私の連れ合いが「あまり見事に咲いていたので摘んできた」といって、数輪の黄色い「花」を持って帰ってきた。
 本当に「見事な色具合」であり、「花弁」には光沢があり、「テカテカ」とエナメル質に輝いている。春の野辺を彩る見事な「キンポウゲ(金鳳花)」(別名を「ウマノアシガタ」という)だった。「美しいものには毒がある」と言われるとおり、「キンポウゲ」は全草が「毒性」である。手折ったところから草汁が出て、それに触れたり、それが口に入ったりしたら、「中毒」になる。
 その「毒性」について語ったが、「連れ合い」はまったく動じなかった。そのような「危険」を忘れさせるほどに「キンポウゲ」の仲間は「美しい」萼片を見せるのである。
 猛毒で知られる「トリカブト」も、「キンポウゲ」科で、トリカブト属の多年草だ。和名を「山鳥兜」といい、「生薬名」としては「烏頭(うず)」「附子(ぶし)」と呼ばれている。こちらは、「美しい花」というわけではないが、キンポウゲ科の中で、わずかに2種類だけ「食用」になる「ニリンソウ(フクベラ)」と「根生葉」が非常に似ているので、間違って採取して食べると「死に至る」ということで有名である。
 全草にアコニチン(アルカロイド)と呼ばれる毒があり、特に根に大量に含まれる。
 アコニチンは猛毒で、致死量は3~6mg。これはトリカブトの新鮮な根の0.2~1.0gに含まれる量だそうである。
 誤って食べると口の中に灼熱感があり、吐き気、腹痛、下痢、不整脈、起立不能、血圧低下、痙攣、呼吸麻痺などの症状が現れる。
 キンポウゲ科の仲間は毒があるのがほとんどで、食べられるのは「ニリンソウ」と「エゾノリュウキンカ(ヤチブキ)」ぐらいであろう。

 脇道に逸れたが、今日の写真の「キクザキイチリンソウ」は、私たちに「花弁」とは何か、「萼片」とは何かについて、「よく教えてくれる『花』」なのだ。
 この写真のものは、「白い萼片」の集団であったが、直ぐ近くのブナ林縁に咲いていたものは薄い紫系の色具合だった。この違いは、生えている「土壌の質」、つまり、「酸性」か「アルカリ性」かということで生ずると言われているが、詳しいことは「私の知識」では、説明が出来ない。)

         ◇◇ 花弁(花びら)と萼片の話し(その1)◇◇

 「キクザキイチリンソウ」などの「キンポウゲ科」は「花弁(花びら)」を持たない。「花弁(花びら)」に見えるのは「萼片」である。
 ところが、「花弁(花びら)」と「萼片」のない「花」もある。その代表が「ヒトリシズカ(一人静)」であろう。
 これはセンリョウ科センリョウ(チャラン)属の多年草だ。仲間に花穂が二~三本の「フタリシズカ(二人静)」がある。北海道、本州、四国、九州に分布し、山地や林の中や湿った木陰に生える。草丈は20~30mである。
 
 茎は紫褐色で節があり、茎先に4枚の葉が輪生状に対生する。葉は光沢がある。葉が開ききる前の4~5月に、赤紫色の若葉の間に、穂状花序を伸ばし、1~2cmほどの花穂に、「白いブラシのようにも見える花」を咲かせる。
 だが、花といっても花弁も萼片もない。雌しべと花糸だけの花である。白い花のように見える部分は雄しべの集まりだ。ブラシの「毛」に見えるのは、雄しべである。
 「ヒトリシズカ」の仲間のチャラン属は4種あり、内3種が日本にあり、「原産地は日本」とされている。

 実際には群生していることが多く、「一人ぼっち」ということはあまりない。群生している眺めは、かわいらしく、両葉を広げて「バンザイ」をしているようにも見えて、結構にぎやかだ。群落は「騒然」さを醸し出す。
 山地の本格的な芽吹き前に開花するので、枯れ葉の中から顔を出す。すっくとした立ち姿が目を引くのだ。
 派手ではないけれど、奥ゆかしい美しさだ。まさに花言葉の「静謐(せいひつ)」に適うだろう。
 花名の由来は「白く美しい花糸を静御前にたとえ、一人は花穂が一つであること」である。 源義経が愛した静御前になぞらえてこの名がつけられたのだ。日陰にひっそりと、静に伸ばして咲くしとやかな花。別名は吉野静。「眉掃草(マユハキソウ)」ともいう。
 眉掃草を含めて 「春ー植物」の季語である。
 
 ・花了(お)へてひとしほ一人静かな(後藤比奈夫)
           (明日に続く)