(今日の写真は「二子沼の上の沼」である。二子というからにはどちらが兄(または姉)で、どちらかが弟(または妹)なのであろう。だが、どちらを指してそのように判断すればいいのかは定かではない。
だから、私は「上にある、下にある」ということと「大きい、小さい」ということから、上部の沼を「姉沼」、下部の沼を「妹沼」と「勝手」に呼んでいる。
何故「姉妹」という「女性」にしたのかというと、その「美しさ」と「清らかさ」、それにブナの森に忽然と現れ、静に佇むその神秘性は、やはり、森の女神に通ずるものがあるように思えるからである。
また、この沼は昔々から「ここに」「このように変わらず」存在していたという「普遍性」を大事にすると「永遠性」をも象徴出来る。そのことから、「姉妹」の古語である「兄人(せうと)」、「妹(いもひと)」を充てて「せうと沼」と「いもひと沼」としてもいいかも知れない。
これは「姉沼」の東側である。この沼は「せき止め湖」である。岩木山の造山活動で噴出した火山灰や泥流がせき止められて、そこに「水」が貯まったものだ。つまり、流下する物質が偶然、そこで「停止」し、堆積して「堤防」が築かれたのだ。
だから、沼の縁にあたる岸辺「堤防」は微妙な位置関係にある。人間があらかじめ「設計」して造った「人造湖」とは訳が違う。
すべてが「流下と堆積」という自然の「微妙」な活動バランスとそれが創り出す「偶然性」に支えられて成り立っている。
「二子沼」の美しさや神秘性を感ずる理由の一つが「これ」だろう。「何故、このようなところにぬまがあるの?」「何故、二つもあるの?」というのが最初にこの沼に出会った人たちの素直な疑問であるはずだ。
写真に写っている東側の「堤防(土手)」部分は一段と低い。そして、その辺りから急峻な斜面になり、「白沢」に落ち込んでいる。だから、この場所は「いつ決壊するか」分からないというバランスの上にあるのだ。この微妙な「バランス」も「二つの沼」が出来たことも、すべて「造山火山活動の偶然性」が創り出したものだ。ここの風景には「人工」的な要素は何一つないのである。)
◇◇第26回「自然観察会」の思い出◇◇
この「観察会」は予定どおり、ほぼ快晴のもと2002年5月6日に実施した。一般市民を公募しての開催はこれで2回目となった。だから、26回目は東奥日報(Web東奥を含む)、陸奥新報、NHK等が記事や「お知らせ」の形で一般市民に働きかけてくれた。
その所為だろうか。101人の参加申し込みがあり、当日は96名の参加者であった。本会主催の観察会はその後も続けられ、今年で42回を数えるが、この「96名」参加をピークにして、その後は減り続けて最近では20名前後に定着して推移している。
なにせ、参加者が多いので、受付等に手間取った。予定を約30分遅れて西岩木山林道と長平登山道との分岐広場に駐車をし、そこで開会行事をした後、5班に分かれて二子沼を目指して歩き始めた。往復大体7kmである。
班の構成は、リーダー(会員が務める班長)・講師(植生「樹木・花」、鳥、昆虫の3部門各1名)他に会員、一般参加者の17~20名である。
観察の「形態・方法」は植生・生物を損なわないことを基本にして、各班のリーダーと講師に任せられた。
「講師」を分野・部門ごとに配置出来たから、多数の参加者という「制約」を受けたが、ある程度親切で丁寧な「観察」助言が出来たはずである。
開会挨拶の中で阿部東会長は「耳を澄まそう」と呼び掛けた。この「耳」とはもちろん、肉体的な器官である「耳」のことであるが、言外に「耳をそばだててよく聴こう」という意味と「心の耳や目を働かせてしっかり観察しよう」という意味を含んでいた。
当日、配布したものは「カラー版観察会パンフレット」「地図・花名記載のフィールドノート」「各班担当リーダー・講師名および班メンバー表」だったと記憶している。参加者たちは記録をとりながら、歩いて行ったのだ。その所為もあるが、出発の「30分遅れ」は二子沼に到着するまで取り戻すことは出来なかった。
加えて、何しろ、林道の「路傍」は花で溢れていた。観察対象が多いのである。なかなか、各班ともに「先に」進めない。その日、「二子沼まで行く間」に観察出来た花は次の通りであった。
マイヅルソウ・ミズバショウ・エゾリュウキンカ・スミレサイシン・オオバキスミレ・キクザキイチリンソウ・オクエゾサイシン・エンレイソウ・オオタチツボスミレ・エゾエンゴサク・エンレイソウ・ユキザサ・ナガハシスミレ・スミレサイシン・タムシバ・ムシカリ・オオバクロモジ・オオヤマザクラ・カスミザクラなど
また、出会えた野鳥は…オオタカ・ルリビタキ・メジロ・ウグイス・ヒガラ・コガラ・ゴジュウカラ・アカゲラ・アオゲラ・コゲラ・マヒワ・センダイムシクイなどであった。
往路での観察に時間を割いたので、帰路は簡単な観察となった。予定時間を5分遅れ程度で、閉会行事をすることが出来た。
帰路では、黒石市から参加したFさん一家が娘さんを中心に自主的に「ゴミひろい」を始めたのである。それに呼応して他の数人も「ゴミ拾い」を始めた。Fさん一家の行動に啓発されて、観察のかたわらゴミを拾い出す人がふえていったのだ。
雪解け直後は、よく「ゴミ」が目立つ。林道脇にはたくさんの「空き缶」が捨てられている。何と、拾い集めた空き缶などは「大きなポり袋」で15個にもなったのだ。このゴミは持って帰れる人に持ち帰ってもらい、「自家のゴミ」として出してもらうことにした。「山に出かけて山菜ならぬ他人のゴミ」を…本当にありがたいことであった。(明日に続く)
だから、私は「上にある、下にある」ということと「大きい、小さい」ということから、上部の沼を「姉沼」、下部の沼を「妹沼」と「勝手」に呼んでいる。
何故「姉妹」という「女性」にしたのかというと、その「美しさ」と「清らかさ」、それにブナの森に忽然と現れ、静に佇むその神秘性は、やはり、森の女神に通ずるものがあるように思えるからである。
また、この沼は昔々から「ここに」「このように変わらず」存在していたという「普遍性」を大事にすると「永遠性」をも象徴出来る。そのことから、「姉妹」の古語である「兄人(せうと)」、「妹(いもひと)」を充てて「せうと沼」と「いもひと沼」としてもいいかも知れない。
これは「姉沼」の東側である。この沼は「せき止め湖」である。岩木山の造山活動で噴出した火山灰や泥流がせき止められて、そこに「水」が貯まったものだ。つまり、流下する物質が偶然、そこで「停止」し、堆積して「堤防」が築かれたのだ。
だから、沼の縁にあたる岸辺「堤防」は微妙な位置関係にある。人間があらかじめ「設計」して造った「人造湖」とは訳が違う。
すべてが「流下と堆積」という自然の「微妙」な活動バランスとそれが創り出す「偶然性」に支えられて成り立っている。
「二子沼」の美しさや神秘性を感ずる理由の一つが「これ」だろう。「何故、このようなところにぬまがあるの?」「何故、二つもあるの?」というのが最初にこの沼に出会った人たちの素直な疑問であるはずだ。
写真に写っている東側の「堤防(土手)」部分は一段と低い。そして、その辺りから急峻な斜面になり、「白沢」に落ち込んでいる。だから、この場所は「いつ決壊するか」分からないというバランスの上にあるのだ。この微妙な「バランス」も「二つの沼」が出来たことも、すべて「造山火山活動の偶然性」が創り出したものだ。ここの風景には「人工」的な要素は何一つないのである。)
◇◇第26回「自然観察会」の思い出◇◇
この「観察会」は予定どおり、ほぼ快晴のもと2002年5月6日に実施した。一般市民を公募しての開催はこれで2回目となった。だから、26回目は東奥日報(Web東奥を含む)、陸奥新報、NHK等が記事や「お知らせ」の形で一般市民に働きかけてくれた。
その所為だろうか。101人の参加申し込みがあり、当日は96名の参加者であった。本会主催の観察会はその後も続けられ、今年で42回を数えるが、この「96名」参加をピークにして、その後は減り続けて最近では20名前後に定着して推移している。
なにせ、参加者が多いので、受付等に手間取った。予定を約30分遅れて西岩木山林道と長平登山道との分岐広場に駐車をし、そこで開会行事をした後、5班に分かれて二子沼を目指して歩き始めた。往復大体7kmである。
班の構成は、リーダー(会員が務める班長)・講師(植生「樹木・花」、鳥、昆虫の3部門各1名)他に会員、一般参加者の17~20名である。
観察の「形態・方法」は植生・生物を損なわないことを基本にして、各班のリーダーと講師に任せられた。
「講師」を分野・部門ごとに配置出来たから、多数の参加者という「制約」を受けたが、ある程度親切で丁寧な「観察」助言が出来たはずである。
開会挨拶の中で阿部東会長は「耳を澄まそう」と呼び掛けた。この「耳」とはもちろん、肉体的な器官である「耳」のことであるが、言外に「耳をそばだててよく聴こう」という意味と「心の耳や目を働かせてしっかり観察しよう」という意味を含んでいた。
当日、配布したものは「カラー版観察会パンフレット」「地図・花名記載のフィールドノート」「各班担当リーダー・講師名および班メンバー表」だったと記憶している。参加者たちは記録をとりながら、歩いて行ったのだ。その所為もあるが、出発の「30分遅れ」は二子沼に到着するまで取り戻すことは出来なかった。
加えて、何しろ、林道の「路傍」は花で溢れていた。観察対象が多いのである。なかなか、各班ともに「先に」進めない。その日、「二子沼まで行く間」に観察出来た花は次の通りであった。
マイヅルソウ・ミズバショウ・エゾリュウキンカ・スミレサイシン・オオバキスミレ・キクザキイチリンソウ・オクエゾサイシン・エンレイソウ・オオタチツボスミレ・エゾエンゴサク・エンレイソウ・ユキザサ・ナガハシスミレ・スミレサイシン・タムシバ・ムシカリ・オオバクロモジ・オオヤマザクラ・カスミザクラなど
また、出会えた野鳥は…オオタカ・ルリビタキ・メジロ・ウグイス・ヒガラ・コガラ・ゴジュウカラ・アカゲラ・アオゲラ・コゲラ・マヒワ・センダイムシクイなどであった。
往路での観察に時間を割いたので、帰路は簡単な観察となった。予定時間を5分遅れ程度で、閉会行事をすることが出来た。
帰路では、黒石市から参加したFさん一家が娘さんを中心に自主的に「ゴミひろい」を始めたのである。それに呼応して他の数人も「ゴミ拾い」を始めた。Fさん一家の行動に啓発されて、観察のかたわらゴミを拾い出す人がふえていったのだ。
雪解け直後は、よく「ゴミ」が目立つ。林道脇にはたくさんの「空き缶」が捨てられている。何と、拾い集めた空き缶などは「大きなポり袋」で15個にもなったのだ。このゴミは持って帰れる人に持ち帰ってもらい、「自家のゴミ」として出してもらうことにした。「山に出かけて山菜ならぬ他人のゴミ」を…本当にありがたいことであった。(明日に続く)